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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

これが真の福音です ソン・ケムン 第6回

2017年11月21日 | 日記

無原罪懐胎の教理の誤り

イエス様が私たちの本性ではなく、マリヤの本性を取られたという無原罪懐胎の教理は、キリストと私たちとを完全に分離させます。この教理と他の教理によってカトリック教会では、罪人がイエス・キリストを通して天におられる神様に直接進むことを教えられません。そして罪人たちにマリヤ、教皇、神父、聖人、つまりカトリック教会の仲介を通してイエス様へ行くことを推奨します。さらに、カトリック教会はマリヤの無原罪懐胎と彼女の罪のない生活によって、マリヤも「人を救うことができる権限」を持っているとします。

□カトリック教理問答を見ます。

「マリヤの多方面の仲裁を通して彼女は今日我らに永遠の救いの賜物を与えられ、我らの魂を死から救って下さる我らの代弁者、助け者、恵みを施す者、仲保となる」(キリスト教問答、p.252)

 

このようにカトリック教会は公的な教えの中で、実際にイエス様が肉体を取って来られたことを、つまり「子たちは血と肉とに共にあずかっているので、イエスもまた同様に、それらをそなえておられる」ことを否定しています。

「このように、子たちは血と肉とに共にあずかっているので、イエスもまた同様に、それらをそなえておられる。それは、死の力を持つ者、すなわち悪魔を、ご自分の死によって滅ぼし」(ヘブル2:14)

反キリストの勢力は、聖書の教えである、「イエス様が人間と同じ肉体の本性でこの地に来られた事実」を否認します。カトリック教会は、マリヤも罪なしに受胎したという教理、イエス様が罪のない本性を持った母親から生まれたという、無原罪懐胎の誤った教理を教えています。

従って、イエス様はその兄弟たちと同じではないと主張します。しかし、使徒パウロは何と言ったでしょうか?

□ローマ人への手紙8章3節をみると

「律法が肉により無力になっているためになし得なかった事を、神はなし遂げて下さった。すなわち、御子を、罪の肉の様で罪のためにつかわし、肉において罪を罰せられたのである」。

「御子を、罪の肉の様で罪のためにつかわし」とあります。英語聖書では、sinful nature/sinful flesh つまり「罪に満ちた肉体」となっています。私が言うのではなく、聖書に神様が自分の息子を「 罪の肉の様で」つかわしたとあります。「罪の肉の様」と言うのは「アダムが罪を犯し堕落した後の人間の本性」、「堕落した本性」と言えます。

 

しかしある人はこのように言うかもしれません。「この聖句をよく見てください。「 罪ある肉体」ではなく、『罪の肉の様(さま)』とあるではないですか」。 そういった疑問が生じるかもしれません

では、ピリピ人への手紙2章5-8節を読んでみましょう

「キリスト・イエスにあっていだいているのと同じ思いを、あなたがたの間でも互に生かしなさい。キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた」。

ここで「僕のかたち」も、ただ人のように見えるだけで、実際は人ではないということでしょうか。 それでは何ですか? 十字架の上で、イエス様が演技をしておられたということでしょうか? 神様は痛みを感じることはできますか。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」は何ですか? イエス様がただ苦しむふりをしておられたのですか?

聖書は、「罪の肉の様で罪のためにつかわし、肉において罪を罰せられた」と言います。「 肉において罪を罰せられた」という言葉は、私たちを支配する罪を滅ぼされたということです。神様がその力を使って罪の権勢を滅ぼされたのではなく、人間の姿で罪の力に勝たれたということです。神様を賛美しましょう! 神様は多くの問題を引き起こす、この肉体を取って罪を征服されました!


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