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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

福音の力を体験せよ 36

2013年12月06日 | 日記

   

  福音の力を体験せよ  36

“わたしがこの地から上げられる時には、すべての人をわたしのところに引きよせるであろう。”(ヨハネ12:32)

イエス様は、あらゆる罪の中にいる人々を、ご自身のもとへと導かれます。皆さんが生まれる以前から、神様は皆さんの救いのために働かれました。皆さんが生まれる以前から、皆さんの両親を救い、新しく生まれた親として、既に造りあげられていました。そして、皆さんが生まれたときから、聖霊に満たされた者となるように、主は努められました。

まさに、バプテスマネのヨハネは、そのような生まれ方をしたのでした。そして主は、「すべての母親は、そのように子を産むことが可能である」と言われました。私はその事を知りませんでした。子供を産んだとき、私は聖霊に満たされた者ではありませんでした。子供たちのために、聖霊を求めることを知りませんでした。私はただ、道徳的に善良な人であり、人間的な愛をもってなすべきことを果たしたに過ぎませんでした。しかし、救われるためには、それで十分ではなかったのです。

  新生への道 12 疑いをどうするか ④

使徒ペテロは、聖書の中には「わかりにくい個所もあって、無学で心の定まらない者たちは、ほかの聖書についてもしているように、無理な解釈を施して、自分の滅亡を招いている」(Ⅱペテロ3:16)と言っています。聖書の難解なことが、懐疑論者が聖書を攻撃する論拠となっていますが、このことがかえって聖書が神の霊感によるものであるという強力な証拠なのです。もし聖書の神についての記録がわかりやすいことばかりで、神の偉大さと崇高さが限りある心でも理解できるとすれば、聖書は間違いなく神からのものであるという証拠はなくなるのです。

聖書に示されている広大で神秘に満ちた主題は、聖書を神のみ言葉として受け入れる信仰を呼び起こすはずです。聖書は単純に真理を説明し、どんな人の心の必要や欲求にも答えることができるので、最高の教養ある人を驚かせてひきつけると同時に、どんなに無学な人にも、救いの道を知らせることができるのです。とはいえ、この単純に述べられた真理は、実に高尚深遠な問題をとらえ、人間の理解力のとうてい及ばないものですから、神がそのように明言されたということを根拠にして、それをそのまま受け入れることができるのです。このように救いの計画は明らかに示されていますから、だれでも神に向かって悔い改め、主イエス・キリストを信じ、神の定められた方法に従って、救われるために進む道を知ることができるのです。しかも、このようにやさしく理解できる真理のかげに神秘が潜み、見えない神の栄光を物語っています。この神秘は、研究する者の心を圧倒するのですが、真面目に真理を求めている人には敬虔な思いと信じる心を起こさせます。そして、聖書を研究すればするほど、それが生ける神のみ言葉であるという確信が深められ、この偉大な神の啓示の前に、人間の理性はひれ伏すほかないのです。


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