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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

後の雨に備える(デビット・カン講演25)

2012年12月22日 | 日記



ひまわりさんより(12月22日)
SDA教会では、安息日には、『聖書研究ガイド』の勉強をしますが、今日の学びのテーマは「最後の出来事―イエスと救われた者たち」というテーマでした。暗証聖句は、私の信仰の一つのきっかけとなった聖句で、この聖句の意味が聖所の研究を通して、自分なりに理解できたと思っています。「だから、自分の罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて本心に立ちかえりなさい。それは、主のみ前から慰めの時がきて、あなたがたのためにあらかじめ定めてあったキリストなるイエスを、神がつかわしてくださるためである」(使徒行伝3:19)。まずここで、「悔い改めて」は、聖所の経験では外庭の経験、ここを通って、「本心に立ちかえる」これは、聖所の清めの経験、そして、「自分の罪をぬぐい去っていただく」のは、至聖所の罪の除去の経験、それからイエス様による万物更新、つまり再臨となるのです。今までよく分からなかった聖句が、聖所に当てはめるとよく理解できるように思いますが、いかがでしょうか。なおガイドでは、「天の聖所におけるキリストの務めを非常に重要視していることは、だれが見てもあきらかです」(82頁)と言いながら、肝心のキリストの務めについては触れていなかったので、そこをもっと知りたいと思いました。

不平、不満のない人生(デビット・カン講演25)
なぜ人は不信をいだくか、わかりますか? なぜ人は罪を犯し続けるか、わかりますか? なぜ人は神様に対して不信感をいだき、神様を信じようとしないのか、ご存知ですか?
神様に対して、疑いを持っているからなのです。神様に問題を感じているからなのです。
私たちが神様のみ言葉を学ぶときに、私たちは、ヨブのような人間になります。何が起ころうと、神様に対して不平をいだかなくなります。不平、不満、文句を言わなくなります。誰かに、どんなにひどい扱いをうけても、不平を言わなくなるわけです。これがイエス様のご生涯です。これが神様のお心なのです。神様の、そのお心を、私たちは学び、身につけなければならないのです。私たちに、罪の言い訳を与えてくれるようなものは何もありません。私の言わんとしていることがおわかりでしょうか?これは難しすぎますか?





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