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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

赦し忘れてくださる神様 ソン・ケムン 第21回

2018年01月22日 | 日記

私がどんなにこのように声が枯れるほど話しても、「私が赦されるめにはこうしなければならない!」。このように考えている人がとても多いのです。「神様は私を赦されるかもしれないが、私は自分を赦せない」。そう思ったりします。これをどうしたらいいですか。私がこの話をする理由は、このような話をあまりにもたくさん聞いたからです。このような相談をたくさん受けました。

   ≪たとえ話≫

ある農夫がウズラの群れを市場に持ってきて、足に紐をつけて棒に縛っておきました。ウズラは、棒の回りを悲しそうにグルグル歩いていました。ある人がかわいそうに思って「私がウズラを全部買うから、さあその鳥たちを全部放してください」。「え?これを全部放すのですか?」。「はい、そうです」。それで農夫は紐を解きました。そして全部放しました。しかし、何が起こったでしょうか。そのウズラは飛んできて、ずっと円形で歩きました。再び放っても、またもとに戻って同じ場所を回っているのです。束縛から脱して自由の身になったのに、まだ縛られているように元の所をずっと回っているのです。

私たちはこの鳥の姿と同じではないでしょうか? 「自由に飛ぶには自分があまりにも厚かましいのではないだろうか?」。「あの人が私を解放してくれるはずがない」。「飛んでも、どうせまた罪を犯して堕落するから。どうせ飛んでもまた落ちるから、このままいた方がましだ」。そんなに思っていませんか?。

私たちが賛美歌を歌う時は「罪重荷をのぞくは血の力」と歌います。「肉の欲をのぞくは血の力」と賛美します。しかしそれは歌詞だけで、私には適用されないと思っていませんか。皆さんのそのような低い自尊心は、サタンが利用する致命的な心理的武器です。そのままだと、結局、審判に対する恐れと罪悪感に苦しめられそのような感情の悪循環を続けるだけです。いくら納得しても、またもとに戻ってぐるぐる回っているのです。クリスチャン生活がなぜそうなのでしょうか? 喜びはなく、満足もなく、平安もなく・・・。誰がそんな姿を見て、イエス様を信じたいと思うのでしょうか? サタンの心理戦に引きこまれてはいけません。皆さん自身についてもう少し寛大になっても大丈夫です。皆さんは、他人のことはすぐ赦してあげる立派なクリスチャンです。そのように、自分自身も赦してください。


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