SOS.TV.JAPAN

ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

デビット・カン先生の証2

2012年08月24日 | 日記



    ひまわりさんより(8月24日)

今日、訪問先の方に、こんな話を聞きました。
その方は、シシタケというキノコが出るところを知っているのだそうです。
そのキノコは、好きな人は、マツタケよりもおいしいというほどで、知る人ぞ知る隠れた高級食材なのだそうです。
そしてこの方が言うには、キノコを採ったら、やってはいけないのは、
ビニールなどの袋に入れて持ち帰ることなのだそうです。キノコは必ず、竹かごのような、
目の空いたかごに入れて持ち帰らなければならないのだそうです。
どうしてかというと、キノコは、生えていた場所で、仮に全部採られたとしても、途中で胞子をかごの間から落とし続け、
その胞子の落ちたところからまた新しいキノコが生えてくるようになるのだそうです。
自分はいなくなっても、子孫を残すことで命を継承していくというキノコの話に、私はとても感動しました。
特に私は、最近、自分が心を注いできた、3つのもの、教会と家と仕事が、急に変わらなければならない状況になり、
今までやって来たことは何だったのだろうという思いがしていただけに、自分がいなくなっても、
後の人たちが立派にやり遂げてくれる、自分は、その橋渡しをすればいいのだ、という気持ちになり、すごく納得がいきました。

   母の思い出(デビット・カン講演2)

1年ほど前に、私の母は亡くなりました。彼女は特別なクリスチャンでした。
とても敬虔な、私にとって、すばらしい母でした。私には4人の姉妹がありまして、私は一人息子なのです。
ふつう東洋では、一人息子は特別扱いされるわけです。日本でもそうですか?最近ではそういうことはなくなってきましたね。
しかし、私が育ってきたころは、そういう風潮が強かったのです。私はわがままな子供でした。
よく、母に苦労をかけたことを覚えています。しかし、神様の恵みが母を通して働いたのです。
私は母に一度もどなられたことがありません。声を荒げて私を叱ったことは、一度もありませんでした。
そのような母でした。敬虔なクリスチャンでした。
母は韓国長老派の熱心なクリスチャンで、執事も務めておりました。
ところが私が赤ん坊だったころ、セブンスデーに改宗したんですね。
どうしてかと言うと、ある日、文書伝道者が私の家に来て、『各時代の大争闘』と言う本を売ってくれたんです。
この本を読んだ私の母は、著者であるエレン・G・ホワイトがとても好きになったのです。以来、証の書を読みあさりました。
そして、韓国語に訳されているすべての証の書を読んだのです。
彼女が特に大好きな本は、『教育』と『アドベンチスト・ホーム』で、この本を、全部暗記するぐらい読みました
。そしてこの勧告を、私を教育することに用いたのです。
私が何か悪いことをした時、母は決して私をどなりつけるようなことはありませんでした。
たたきもしませんでした。私の両手を握って、私を見つめて何も言いませんでした。
ただ、私を見つめ、同情にあふれた目をしていました。
私も母の眼を見つめるのですが、見ているうちに、母の目がうるんでくるのです。
今にも泣きだしそうな顔でした。これは私にとっては最悪の罰でした。





最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。