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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

福音の力を体験せよ 81

2014年01月21日 | 日記

  

福音の力を体験せよ 81

皆さん、イエス様は皆さんの罪悪をどこで負われましたか?ご自身の魂に、罪を負わせられたのです。彼はまさに、私たちの罪悪の苦痛を感じなければなりませんでした。まさしく私の罪、皆さんの罪を負って、その苦痛を受けられたのでした。皆さんは、そのことを間違いなく理解しておられますか?

“あらゆる罪の意識が、驚くべき重みでもって世の救い主の聖なる魂を圧迫した。アダムのすべての息子と娘が受け継いだ邪悪な思い、邪悪な言葉、邪悪な行為は、彼自身を懲らしめようと求めたが、それは主が人間の身代わりとなられた故であった。”(1SM322)

皆さん、イエス様は、単に罪ある者と見なされただけでなく、罪そのものとなられたのでした。イエス様は、ご自身の魂のうちに罪悪を取り込まれました。皆さんが犯した罪、さらに犯す罪、また他の人たちが犯した罪悪をことごとく負われました。彼が私たちの罪をそのように負ってくださったことを信じないなら、私たちが罪から救われるという真実も信じることはできません。

  主の幕屋の中へ ⑮

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  しかし、やがて、南王国ユダにも、イザヤを通して同じ訴えをしなければならない状況になりました。イザヤ1章10~17節も意訳して読んでみます。

   

「あなたがたイスラエルの指導者たちよ、しっかり聞きなさい。ソドムとゴモラの人々と、あながたとの違いは何であるか?神様の言葉をはっきり聞きなさい! 主があなたがたに語られる言葉をきちんと聞きなさい!神様は語られる。『わたしはあなたがたが捧げるいけにえの供え者がうとましいのだ。これ以上そんなものを、わたしの所に持って来ないでほしい。あなたがたが捧げる、肥えた雄羊にあきてしまった。あなたがたが捧げる供え物の血は、見るのも嫌だ。犯した罪を心から悔い改めていないのに、誰があなたがたの犠牲の供え物を受け取ることができようか?あなたがたが、私の前に捧げる香も、私には悪臭であるだけだ。あなたがたが、新月や、エホバの諸安息日や、その他の聖日に集まって行う断食の祈りなどは、いくら敬虔な集まりのようであっても、心を見る私にとっては、すべて詐欺行為にしか見えない。

わたしは、そのようなものを捧げなさいと命じたことはない。これ以上関わりを持ちたくない。誰があなた方に、そのようなものを持って来なさいと頼んだのか?私はそれらを全部憎む。私はそんなものなど、見るのも耐えられない。これからは、あなたがたが天に両手を広げて祈っても,わたしは、見ないし、聞くこともしない。あなたがたが多く祈ったとしても、わたしは耳をかさない。大勢の人を殺したあとで、その手を上げて、またわたしにお祈りするなんて! 身を洗いなさい。きれいに洗いなさい。私の目の前で悪を行わないようにしなさい。これからは、悪事をやめなさい。これからは正しい事を学んで行いなさい。正義を実践しなさい。しえたげられている人たちを解放してあげなさい。孤児たちの悲しみと、やもめたちの恨みを晴らしてあげなさい』」(イザヤ 1:10~17)


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