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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

モーセの信仰より学ぶ  第4回

2015年07月13日 | 日記

 新しい契約を結ぶ

 

イエス様がこの地上におられた時、聖霊を受けてその力によって天父の戒めを守られたように、人間も聖霊を受けることによって、戒めを守ることが出来ることを示して下さいました。それは、人間を義とするだけではなく、主もまた義とされるためだったのです。

戒めは、神様のご品性の反映であり、神様がどのような方であられるかを教えているものです。ですから戒めは、こんなに堕落した私たちも、神様のみ姿に回復される事を見せてくださるものです。そしてこの戒めは、神様のみ力によってのみ守ることが出来るものなのです。

ある人たちは、律法とは、私たちを叱りつけ罰するムチのようなものだと考えています。これは間違ったに考えです。戒めは絶対そのようなムチではありません。昔神様が律法を与えられた時、電光と雷鳴の中から語られたのは、イスラエルの民に恐れを与えるためでした。彼らは奴隷生活が長く、異教の習慣に浸っていたために、神様を畏れ敬う心が失われていました。心を尽くして神様に感謝を表現する精神が非常に欠けた、奴隷根性むき出しの精神状態だったのです。彼らが放縦な生活に陥らないようにするために、一度真の神様の真の偉大さと恐れの心を植え付けようとされたのです。そして民が、奴隷から解放して下さった神様に対して、「私たちは、主を愛します。主を喜ばせたいと思います。私たちは、偶像を拝んできました。しかしこれからは、アブラハムの神様、天地を創造された神様、稲光の中で戒めを授けて下さった神様にお仕えします。主の戒めを守れるように助けてください」と言うようになることを願われました。

聖霊が心の中に新しい霊を与えて下さると、戒めを守ることが出来るようになります。神様と人との間に、新しい契約が結ばれると、戒めに従うことが出来るようになります。

 戒めは、限りなく高い神様のご性質、神様の聖なるご品性を現す標準であり、そのような美しい品性を私たち人間も持つようになるための招待状でした。「この戒めを、あなたがたも守ることが出来るようにしてあげよう」という招きの言葉でした。律法を通してイエス・キリストのもとに導かれます。ですから招待状です。イエス様は私たちを招いて、「罪なしに生きなさい。私もあなたがたと同じ経験をしました。あなた方が受けることの出来る同じ力で私は罪に勝利したのです。私は神としてではなく、あなたがた人間が勝利できる方法で、罪に勝利しました。だから、あなたがたも勝利できるのです」との招待状を出しておられるのです。 しかし、イスラエルの民はこれを恐れてしまいました。