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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

主は我らの義 9 あなたを造り変える福音の力

2012年02月11日 | 日記



     ひまわりさんの夢 ①
 私の夢はたいてい、前の日に起きたこととか、何か自分の体験に基づくもので、主人から、
「昨日のことをもう夢に見ている」と言って笑われたりします。
ところが最近、全く考えてもいなかったような、不思議な夢を見ましたので紹介させていただきます。
 ある安息日に、教会の礼拝に出席していました。私は前の方の席に座っていて、用があって聖書や讃美歌をそこに置いたまま席を立ちました。
そして、席へ戻ってくると聖書が見当たりません。その聖書は父からもらった、大型の立派な聖書でした。
どうしたのだろうと思ってあちらこちら探してみると、聖書が放り投げてあり、聖書の表紙は椅子の足で強く踏みつけたように四角く深くくぼんでいるのです。
私はそれを見て、ものすごい憤りを感じ、もうあらん限りの大きな声で、「いったい誰がこんなことをしたんですか!どうしてこんなことをするんですか!」と叫んでいました。しばらく沈黙が続きました。
 すると一人のおばあちゃんが、「すみません。聖書を踏みにじっていたのは私です」と言って涙をボロボロ流して泣き出したのです。
すると、教会がシーンとして、周りの人たちも、「私も聖書を踏みにじっていました」。と、口々に言い出しました。
その時聖書を見ると、聖書は、元通りきれいになっていたのです。私は、「心配いりませんよ。
聖書は元通りになっていますから」と言って、私も一緒になってそのおばあちゃんと一緒に泣きだし、周りの人たちも泣きだしました。
 こんな夢でした。

     義とは、神の律法を守り行うことです(デビット・カン先生の講演の続き)
そして、私たちの伝道の働きの前進のために祈ります。私たちのミニストリーは、神様のそのような力に頼ることにのっとっています。
特に私たちの思いは、中国伝道にあります。何百万部の書物を出版し配布していますけれど、これは奇跡です。
お金がないのですから・・・。でも実際に起こりました。何百名もの、私たちのために働いてくださる文書伝道者が中国にはおられます。
彼らの物質的必要にどうやって答えるのか、私にはわかりません。ただ祈ります。奇跡によって神様が用意し、備えてくださるんです。
この伝道の働きにおいて、奇跡に次ぐ奇跡を経験してきました。そして、「神の国と神の義」に私は焦点を当てています。
そして旅行をして、どこであっても、どのようにして義なるものとなるかということを語ります。義とは何でしょうか。ローマ2:13
「なぜなら、律法を聞く者が、神の前に義なるものではなく、律法を行う者が、義とされるからである」。
ここにありますね。律法を行う者が義とされると。
イザヤ51:7には、「義を知る者よ、心のうちにわが律法を保つ民よ、わたしに聞け」とあります。
聖書に一貫してはっきり言われていることは、神の律法を心に保つということです。
それは、単に情報として律法を受け入れるのでなく、その律法を実践することであります。
次に申命記6:25 「もしわれわれが、命じられたとおりに、このすべての命令をわれわれの神、主の前に守って行うならば、
それはわれわれの義となるであろう」。これは、モーセが言った言葉ですよ。
イエス様と顔と顔を合わせた人物です。彼が、2枚の石の板を神様から直接いただきました。
彼はその時、神様がご自分の指で、律法を実際に書かれるのを目撃したわけです。
その人物が義の定義を私たちに教えてくれているわけです。義とは何でしょう。
神の律法、戒めを守り行うことです。律法主義に聞こえますか。
このようなことを日曜教会の人に言ったとしますと、彼らはカンカンになって怒ります。
怒鳴られますよ。「律法主義だ!」とね。「だからあなたたちSDAはカルトと呼ばれるんだ。
私たちは信仰によって救われるんだよ。神様の恵みを通して」と・・・。(続く)