帝国万歳なら過去に囚われている人になるが、日本国万歳だと今の日本をディスることになっちゃうよ? 帝国がワードとしてキツいからオブラートに包もうとしたんだろうけど逆! 逆! 相当失礼だからね。枝豆がやりきれないと言うところまではあの狂った男の事情を知る者としての台詞だけど、例え勝ったとしても~は全然別の人物の台詞で、書き手がノルマで書いてるだけになっちまってる。ああいう台詞は戦後コロっと右から左に宗旨替えした新聞社の記者とか、言うのに無理無い人物に言わせないと変だよ。
夢の雑誌の構想は、構想自体が特殊な上に具体的過ぎるから、思い付くまでの過程が一つか二つ抜けた印象になっている。暮らしを守る、がはっきりとは言わせてないが防衛まで拒否といった論調に掏り替わり気味なのもどうかと思った。話の範囲がズレてるから。暮らしを守る思考が結果的に平和を尊ぶことになる、という会話の流れとしても不自然になる。暮らしを守る思考自体が胡散臭いプロパガンダの目眩ましのようになってしまっている。ミソもクソも一緒にすべきでない。
急に巫女的な精神に至った常子の台詞全般もそうだが、花山の女を信じるといった台詞もあの会話の流れではおかしい。あれは常子が急に巫女モードになったから、花山が台詞で応える必要が出て飛躍し過ぎた言葉になっていた。今回で花山を味方につけなきゃいけないから焦ったのかもしれないけど、あそこだけで重要なやり取りを全部済まそうとするから無理が出たんだろう。
鞠子より美子が雑誌にのめり込む様子があったり、花山の友達がドライだったりもしていたが、何か気になるところが多くて、あまり頭に入らなかったよ。たぶん避け難いヤバい件はさっさと済ませるより面倒でも丁寧にやった方がトラブルは少ないように思う。
夢の雑誌の構想は、構想自体が特殊な上に具体的過ぎるから、思い付くまでの過程が一つか二つ抜けた印象になっている。暮らしを守る、がはっきりとは言わせてないが防衛まで拒否といった論調に掏り替わり気味なのもどうかと思った。話の範囲がズレてるから。暮らしを守る思考が結果的に平和を尊ぶことになる、という会話の流れとしても不自然になる。暮らしを守る思考自体が胡散臭いプロパガンダの目眩ましのようになってしまっている。ミソもクソも一緒にすべきでない。
急に巫女的な精神に至った常子の台詞全般もそうだが、花山の女を信じるといった台詞もあの会話の流れではおかしい。あれは常子が急に巫女モードになったから、花山が台詞で応える必要が出て飛躍し過ぎた言葉になっていた。今回で花山を味方につけなきゃいけないから焦ったのかもしれないけど、あそこだけで重要なやり取りを全部済まそうとするから無理が出たんだろう。
鞠子より美子が雑誌にのめり込む様子があったり、花山の友達がドライだったりもしていたが、何か気になるところが多くて、あまり頭に入らなかったよ。たぶん避け難いヤバい件はさっさと済ませるより面倒でも丁寧にやった方がトラブルは少ないように思う。