羊日記

大石次郎のさすらい雑記 #このブログはコメントできません

SSSS.DYNAZENON

2021-06-27 23:23:11 | 日記








かなり遅れたがバトルゴーっ! 完結っ。実写特撮ベースの作劇である以上避け難い問題で前作は特殊な設定でそれを乗り越えていた『被害の現実性』が曖昧であった点は最終的に『めっちゃ死んでた』ことがハッキリして必然的に怪獣使いであることを選択してしまったオニジャ、ジュウガ、ムジナも断罪されることと相成った。あの世界の住人達は被害出ても淡々といたけどねっ。オニジャは素の狂気、1人相撲なジュウガはフラれっぷり、ムジナは助けが必要だけど求めた相手に余裕なくて死ぬしかない結末、シズムは人間的な関係性や道理を受け入れられず滅ぶ様を見せつけて逝った。諸々の謎は結構謎なまま。夢芽は色々機能的な立ち回りの蓬の介助ありきで所謂世間に復帰。暦は正社員になることに拘った結果、そこ行く? という所に着地。ちせとも改めて線を引いた。ちせは夢芽とは逆にドロップアウトを自覚した。互いに神話的な物が無くなった結果、反って暦との間に緊張感出た気もした。これから物理的に離れた方が安全ではある・・。アンチと2代目も一仕事終えて去っていった。あのバトン、便利。そしてガウマ、願いは叶わなかったがその為に起きたワケでもなかったから致し方なしか。謎も多し。ヒロイックな人物の最終解決筋以外のパートへの関わり方として興味深かった。結末として彼はダイナゼノンその物になったようだ。

Arc

2021-06-27 23:22:12 | 日記




特に原作の色彩の強い前半の文法が独特なのと、淡々とした観念的な作風であること、物語の開始時点でパラレル感がある上に人類の進歩が停滞している様子で時代が変わっても目に見える形では文明が変わらないこと等もあるのに加えて、やはり不老よりも一貫してインパクトが強い遺体アートの部分がかなり人を選ぶかな、というのはあった。原作は短く淡白に進行するということもあって、より猟奇性の強い行為であるという点をわりとそのまま出して、一方で師がその業に折れる件が入るが、映画は遺体アートが当たり前の世界で師の立ち位置も違う。アートのグロテスクさをオブラートにした分、当事者達が死に惑ってどこか欠落した印象があった。映画だとたぶんこの人類は滅びるか大幅に減少した上で違う生き物になると思われた。後半邦画的な文法に一時切り替わったりもするが、物語の根底がそれを完全には受け付けず最後の浜辺のシーンに帰結していた。芳根京子が感覚的に違和感も含め体現できたのは荒んでいた若い頃の姿だったとは思うけど、老いた所作や母性や孫バージョンの様子は経験値が発揮されていた。そして中年時代の硬質な姿には、これから実体のある形で獲得してゆくだろう表現を予感させる物があった。