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じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

セシウム味の猪!!!

2013-07-17 12:37:04 | 日記的雑談
宮城と福島でセシウム味の猪が捕れたと言う事で新聞に小さな記事が載っていた。

急いで見出ししか見なかったんでおいくらベクレルの品なのか解らないが、ニュースになると言う事は、それなりの値のベクレルなのでありましょう。

宮城や福島の野菜も肉も魚も安全です・・・風評被害に困っています

福島県福島市産”大豆”の出荷制限解除を発表!100ベクレル以下の大豆は市場へ!

まず、ハッキリと言っときますけど・・・宮城県では、大倉川水系のイワナは昨年と違って釣るのも禁止になってます。
昨年は、釣っても喰うな、でありましたが、釣ったら喰っちまうのが人の道理と言うもので、喰われると拙いので、今年は釣るなよ、と、お達しが出ています。

山菜は・・・節が終わりましたけれども・・・おっさんの一番好きなコシアブラ・・・おっさんちの裏山系統では、絶対に喰うなよ、と、お達しが出ました。

その他の山菜も、タラノメなどを筆頭に、時により、場所により、中々結構な御点前でベクレっていたようであります。

その他、出荷停止になったり、自粛に追い込まれた露地物の野菜も数多く・・・でありますから、この辺の野菜は、はっきり言ってセシウム味にベクレって居る訳ですが、しかし、こんだけ見つかると言う事は、それだけ真剣に検査していると言う事で・・・市場に出ているものは安全である、と言えると思う訳です。

いや、底ものの魚なんか、あんた・・・大きな声では言えないけれども、金華山以南ははっきり言って相当な勢いでベクレって居る訳で・・・まっ、コレの厄介な所は、喰ってみても味は変わらないと言う事なんですね。

人間の味覚でベクレルが測れたならば・・・鼻で、セシウムのにおいを嗅ぎ分けられたら良かったんですけど・・・猿でも犬でも無理だそうで。

野菜や山菜なんかたぶん、ホントーに安全なんだと思うんだけれども・・・魚わなぁ~・・・奴ら、泳げるからなぁ~・・・アスパラやタマネギは自分で歩かないから、畑の代表者を選出して検査してOKでも良いと思うんだけれども・・・魚わなぁ~・・・泳ぐからなぁ。

おっさん、宮城県産の魚は買っては喰わない事にしています・・・釣って来たのは可哀想なんで喰ってますけど・・・キャッチ&喰うが釣りの王道ですからね。

でね・・・何故にこんな事を書いているのかと言うと、未だにこんだけベクレって居て大変な思いをしていると言うのに、もう原発再稼働とか、安全基準をしっかりしたらドーのコーのとか・・・日本国民って、殆ど馬鹿じゃないの? と、憤っている訳ですが・・・電気なんか無くたって死なないけど、ベクレル喰らったら死ぬんだぞ、オィ!!! 

わかるかなぁ~ わかんねぇだろうなぁ~ 経済発展と言う名の下に、僅かな銭の為に・・・ああ、日本国民よさもしいなぁ。

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もじもじして、文字にならない

2013-07-17 11:15:35 | 日記的雑談
もどかしい・・・なんとなく、尻尾が見えているのだけれども、影らしきモノが視界に入ったのだが、未だ見えたとまでは言えない・・・もどかしい。

こんな状態なので文字にする事も適わないのだが・・・メモ的に書いてみる。

個人の人間としてはまず、間違いなく戦争は嫌だと言うか、反対と言うか、理屈を抜けば戦争はやらない事になってしまうのに、何故に、結局はヤッチマウのか?

二日も掛けてそこを考えている訳ですが・・・何となくだが、考える糸口・・・ここからなら解けるかも知れない端緒を見つけた。

戦争は、人が始める、人が起こすのではなく、社会がおっ始めるモノだからじゃないか?
社会と言うのは、存在として自然ではない・・・人間は自然の産物な訳で、ここら辺に、人が人として戦争を考えた時には許せないと本能的に思うのに、しかし、天下国家や、家族を守るとか、社会性が絡んで来ると、やっちまっても仕様が無い、とか、やるべきであるとか、やるしか無いよな、になっちまうのじゃないかと思いついたんだが・・・ドーだろうか?

社会と言うのは、おっさん的に言うと、元は人間が脳味噌の中で考えた訳で、自然の産物の人間が作ったと言う事で、自然の延長と言う見方が出来無くも無いと思って考えてみたが・・・何故に人間が社会を考え出すのかと言うと、自然(ありのままの自然環境)に飽き足らないで、無いモノを考えた結果である、と・・・単なる好奇心が嵩じて、それの積み重ねでややこしい社会が生まれちまって・・・なので、やっぱし自然からはかけ離れていて相容れないのが社会であると思うんで、社会は不自然な存在と断言する訳です。

で、社会は、個人の集まりであるかも知れないが、個人は人間と同義ではなくて、たぶん、個人と言うのは、社会の中で、集団と対比して質量の上での個人、と言う事で、一人の人間と言う事では無いのだと思う。

個人は、社会を構成する最小単位で、人は、自然界の一つの自然な存在と言う事じゃないかと思う訳です・・・ナニっ? そろそろ支離滅裂ですとぉ~・・・。

いや、長々と説明を加えちまう所がおっさんの弱点です。

言いたい事はとても簡単で、戦争は、社会性が無ければ起きない。
人が人として戦争を考えると普通の人は反対になるのに、社会性を帯びた個人になると戦争もやむなし、になるのが、戦争は社会がするものだ、との証明になると思う・・・と、コレだけの事なんですけど。

この思い付きの良さは、社会と個人と人の関係・・・自然と不自然の関係が、ここから何となく踏み込めやしないかと言う所なんですが・・・笑っちまいますか?

フフフっ、馬鹿はバカなりに真面目に考えてみる訳ですよ・・・真面目にね。

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今夜も酔っぱらい・・・!!!

2013-07-16 21:03:34 | 日記的雑談
呑んでいるときは書いてはいけない・・・と、思いつつ、今夜もまたしょうもない駄法螺を吹く。

たぶん、色んな変な事を書くんだけど、それは嘘ではなくて、妄想か、少しの誇張が有るけれども、たぶん、本人はそれをとても大切に受け止めている事で、時間軸の中で少し歪んで入るかも知れないけれど・・・きっと確かな現実なのです。

だから、読んでも受け流してください。

フィリピンに行っていた時、自分の恵まれた境遇に驚いた・・・いや、日本人としたら平均以下なんだけれども、あの国の奴らにしたら特上の部類・・・いや、フィリピンの特上はおっさんらの考える斜め上を通り越した上に居るんで・・・例えば、自分の敷地内に飛行場が有るとか、自分用の銀行を持っているとか・・・そう言う人です。

しかし、それの反対の、底辺社会は凄まじい・・・生きて行くのがやっと、で、それが適わず死んじまう人も多々居る訳です。

だから、勘違いします・・・貧乏でも明るくて元気、とか。

元気無くて死にそうな人は人目に触れません・・・ましてや、ヒヨッコリ現れた外国人の目には触れません。

病気になると医者に行くんですけど・・・州立病院です・・・診察と応急処置は無料ですが、気休めです。
で、処方箋が出されます・・・それを持って民間の薬局に行き薬を買って病院の処置質に行き、手当てしてもらうんですけど、大抵は薬局で薬を買う金がなく、処方箋を握りしめて帰ります。

州立病院での入院にも金は掛かるんで、明日死にそうでも帰ります。
それでも、一応病院に担ぎ込むのは、居ても立っても居られない気持ちを治めるために・・・皆して少しの金を出し合って、最後の儀式です。

そして、家で亡くなります・・・家と言うのは、ナンであれ、そこに寝ていると言う形だけの家で、スクオッターですから、ベニヤ板と段ボールの囲いの中で・・・そこで息を引き取ります。

金があれば葬儀屋を呼んでドライアイス入りの棺桶にいれ、死に装束をして花を飾り、三日三晩の通夜をやります。

ろうそくの火を絶やさず、一晩中誰かが見守ります・・・が、貧乏人は、隣近所が出し合った金で棺桶を買い、教会でお祈りを上げてもらい、市や街の墓に持って行き埋めちまいます。

金があればか棺桶を積んだ車を先頭に長い行列で墓場まで行き、埋め終わるまで見守ります。
最近では日本のような葬祭会館が流行で、一切を葬儀屋が取り仕切ってくれますが、そんなのは金持ちの行事で、スクオッターは近所の人たちと出かけて自分たちで埋めてきます。

穴を掘って、コンクリートを練って・・・手狭になったセメタリーでは段重ねで何段もの棺桶が積み重なります。

そんな貧乏人の墓を見下ろすのかあざ笑うのか、広い敷地を占めて、エアコンの入る廟が作られていたりもするのがあの国でした。

おっさんは、スクオッターと交わって、自分に何か出来ないか、こんな理不尽な世界が有って良い物か、と憤り、自分に出来る限りの事をしてみようと舞い上がりました。

そして、舞い上がって、飛んでいたのは何処の世界だったのか、それとも、飛んだと思ったのは単なる錯覚だったのか・・・自分が思う事とは全く違った、端的に言えば、持ってる金を狙われては毟り取られる、そんな暮らしにしか成らなかった訳です。

誰一人として、一ミリも浮上させてやる事が出来ない・・・俺ってナニやってんだろう?でありました。

日本人にしても大して財力の有る方でもないのに、中途半端な正義感か? ナニをトチ狂ったのか、助けたい、なんて思ったのでありましたが、どんな貧乏人でも、ひと独りがぶら下がる事の重さは並大抵ではなく、あっという間に息切れし、支援し続けられなくなり、そして、続けられなくなった理由を彼らの方に探し、見事に自分を正当化し、あっさりと手を引きました。

おっさんは、あの地で、ヒーローにでも成りたかったのか? 白馬の騎士として闊歩したかったのか?
ナンなのか、自分でもよく分かりません・・・今でも。

なんて書くと、まじめに何かを考えていた風にもとれるんですけど、その実は、自分のダイビング屋をやる傍らで、気の向いた時に、酔っぱらった勢いで見栄はって偽善を働いていただけなのでありましょう。

それが証拠に、面倒を見ていたはずの娘に不純と言うか、邪な思いを抱き、結局は男と女に成っちまった訳ですから。

セブの領事館には・・・もう五年も行っていないので今は分かりませんけど、フィピン人との結婚の専用窓口と言うのが有って、そこには、おっさん・・・今のおっさんよりも年上の爺様が、孫みたいなフィリピーナを連れて、結婚の手続きに来ているのがよく見られました。

当時、日本人のおっさんやら若い衆も含めて、日比の国際結婚が年間一万組、と言われていまして、そりゃぁ、もう、お盛んでした。

色んなパターンが有って、一番不憫だなぁ~と思って眺めていたのは、爺様が独り身が寂しくてか、業者に頼んでフィリピン人の嫁を貰う姿でありました。

おっさん、現地の言葉がナマジッカわかるんで、ピーナが業者や付いて来た親族と話している事が分かっちまう訳です。

一番酷いと思ったのは、ビーナと一緒に居た、兄と言う若い男が、実は、ピーナの彼氏・・・実際には旦那である、と言うのを聞いたときでありました。

それは、日本の領事館に出す書類のやり取りの中で、バプティスト証明というのが教会から出るんですけど・・・出生証明の代わりですか? それのやり取りの所で、地元の教会に夫婦の届けを出してあるのはバレないのかな?と言う会話が有ったからでありました・・・これは、逆もまた可成りでして、日本人で、日本に嫁が居ても、あっちで形だけ結婚して、と言うのが可能と言う事なんですけど・・・そんな事の法的な意味を問えば、無意味なんですけど。

あの頃、日本側が一方的にフィリピーナのエンターティメントビザの発給を制限しだし、いわゆるジャパ行きがとても難しくなり、日本国内のフィリピンパブが激減して行く頃でもありました。

日本の男どもが国内のフィリピンパブでピーナを見初め、結婚の約束をしてフィリピンに渡り、籍を入れて嫁さんの親族、一族郎党の待つ村で暮らし始め・・・その後は数ヶ月から数年でお決まりのパターンで破綻し、大抵日本人の旦那は着の身着のままで日本に帰るなり、戦いを挑んで討ち死にするなり・・・いや、討ち死にと言っても丸裸になって日本に帰ると言うだけで、結果は一緒です。

おっさんが知っている人で、何組か、ホントーに上手く家庭を築けている人が居ますけれども・・・ホントーに稀です。

稀な成功例に共通するのが、旦那の、並外れた能天気・・・簡単に言うと、日本には適応できないだろうなぁ~と言う人であるなと、おっさんは見ていましたが、勘違いかもしれません・・・おっさん見つけられなかった「愛」を手に入れているのかもしれません。

結局おっさんはナニを言いたいのでしょうか? 思い出話ですか?

いや、環境で出来上がった気持ちと言うか、生活は、ちょっとやそっとじゃ変わらない、変われない、と言いたいのかな?

アレ・・・フィリピンでの暮らしを一つの水たまりだとすると、おっさんは、投げ込まれた石ころで、その時には波紋が起きるけれども、やがては何事も無かった如くまた静かな水面に戻る。
その時、投げ込まれた石ころは、水たまりの底で泥に沈む・・・そんな感じかな?

で、今ナニを考えているのかと言うと・・・あの時、中途半端に金を使って失敗した。
なので、今度、もうすぐ死ぬほど暇になる訳だけれども・・・そん時、奴らの下を行く貧民としてあそこに潜り込んだら、奴らのホスピタリティーに付け入って生きて行けるンじゃ無いか?

ジャガイモと、バナナを植えて、鶏を飼って豚飼って・・・少しまじめに考えよう。

みんな、元気かな・・・秋の試験に英語の辞書が必要だって、メールが来てたけど・・・日本円で一万近いって・・・バーか、嘘こけぇ・・・学校帰りのジョリビーの勘定を盛り過ぎだろ?

足長おじさん・・・只今、必死で、五人ほど・・・って、もうすぐおっさんが無職に成るんで、喰わせてもらいたいんですけど。



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夏休みが欲しい!!!

2013-07-16 17:18:32 | 日記的雑談
毎日暇していて、仕事も糞も無く、休みたいと言えば、明日からでも一生休んでいられるのに・・・夏休みが欲しい。

夏休みじゃなくちゃ嫌だぁ~・・・暇な毎日、気侭な毎日は夏休みとは違う。

あの、いろんなモノに追いかけられつつ休む快感・・・始業式が迫って来る恐怖。

アレが無い暇な日々は、似て非なるモノなんだ・・・夏休みが欲しい。

切羽詰まって追いかけられて、しかし、それでも間に合わなくて、新学期に向かっての恐怖と言い訳を考える頭脳ゲーム・・・先生との心理戦。

夏休みが欲しいぃ~・・・!!!

指折り数えて残りの日数が減る事に溜息をつく・・・夏休みが欲しい・・・!!!
地獄の暇さ!!!



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ドーだっていいじゃネェか・・・ええっ?

2013-07-16 16:30:08 | 日記的雑談
いや、いろいろ青臭い事を考える訳です・・・暇だから。

そして、ヤクザ映画を見て映画館を出て来た人が、何故か皆一様に肩を揺するように歩き出すと言う・・・人間って、そう言うもんなんです・・・と、言う事で、あの本を読んで受けた影響から、年甲斐も無く、また、柄にも無く、戦争反対について、さっきトイレに座り込んだまま30分程考えてみたんだけれども、結果から申し述べれば、おっさん如きには何も解らないと言いますか・・・ウンコをしていつまでも放っておいたもんですから、乾いちまって、こびり付いちまいました・・・昔の人はこの様な有様を、運の付きとして慶事の兆候と喜んだのでありました。

運の付き・・・は、正しくは運の尽きな訳ですが、汲めども尽きない、垂れても尽きないウンを持つおっさんのウンは尽きる事は無い訳でして、付く事はしょっ中です。

いや、マジで、戦争と言うか、争い事について考えてみた訳だけれども・・・ヤラレタラやり返すのか? ヤラレル前にヤッチマウのか? ヤラレてもヤリ返さないのか?

で、ヤリ返さない場合を考えてみたんだけれども、ヤリ返さない事を文字にしてみようとすると、意外と窮屈な表現しか出て来ない。

ヤラレても我慢する・ヤラレても堪える、で、ヤラレても知らん顔、とかは、命のやり取りには使えなそうな感じで、どうしても平気で受け流す事は出来なくて、我慢になっちまう気がする訳です。

ヤラレても我慢すれば、相手を傷つけなくて済む・・・ンじゃぁ、反撃しない心理に付いてはここを考えれば良いのか? と、思いついたのでありますが如何でしょうか?

自分は痛い思いをしても、相手を傷つけたく無いから応戦はしない・・・これはどういう心理なのか?

コレ、一見相手を慮った心理のようで在って、その実は、自分の気持ち・・・相手を傷つける事でもっと傷つく自分の気持ちを考えた防衛策じゃないかぃ? と、思ったんだけれども、どうなんでしょうか?

この場合、攻撃して来る・・・自分の命を狙って来る相手に、人としての感覚を持つべきなのか?
仮に自分が反撃したとして、それで相手が傷ついたとして、その痛みを考える必要は在るんだろうか?

ナンとなれば、命を狙うなどと言う理不尽な事をしなければこちらからは何もしなかったのだから、仮に敵が死んだとしても、それは、物理的にはこちらからの反撃では在っても、原因は自分が作った・・・攻撃を仕掛けなければ反撃はされなかった・・・ゆえに、死んだ理由は自分にある、と言う事になると思うんだけれども・・・どーだろうか?

戦争の意味とか理由を国家間の難しい問題とか、国家存亡の危機とか、そう言う観点じゃ無くて、一個人として、戦争と言う名の殺し合いの場で、戦争反対を叫んで誰も殺さずに死んで行くのが人の道として正しいのか? 戦争なんだから、殺し合い・・・「合い」とはお互いに、な訳だから、一方的にやられる必要なく、反撃してしかるべきである、と、考えるのか・・・そう言う事を考えているんですけど・・・妙案は、一つしか思いつきません・・・殺し合の場から逃げる!!! コレに尽きると思うんですけれども、しかし・・・細かいことを言えば、国家が戦争に突入する時には、まず、逃げられないように細心の注意と策を練るのは必定であります・・・赤紙一枚、一銭五厘で招集された兵隊も、逃げる事は適わなかったと・・・家の爺ちゃんが言っています。

ところで、縄文時代には大規模な戦の兆候と言いますか、痕跡が無いのだそうであります。
で、農耕民族として、一見穏やかそうな弥生時代・・・弥生人になってからは、戦の痕跡が見られるのだそうであります。

で、生半可な知識を基にですが鑑みれば、縄文人は狩猟民族であったそうで、部族単位で共同で仮をして暮らしていたんだろうと言う事で、移動が可能で、領地「富」を持たなかったんで争いが無かったんじゃないかと。

で、弥生人は、定住して稲作を始めたが為に土地と、それから出来る米の保存が「富」の蓄積を産み、それの奪い合いが戦争と言うか、争いと言うか、まず、大規模な戦いを生んじまったんじゃないかと・・・まっ、これはそんな事は小学生の社会の教科書でも書かれている訳ですが・・・人の戦いの理由は、弥生人の頃から「富」の奪い合いであります。

と、言う事で、おっさんは奪い合う富みを持つ事は否定します・・・なので、見事に貧乏なんですが・・・まっ、戦争は良く無いと知りつつ、ずーーーーっと戦いは止まない訳で、それが人間の性なんですね・・・奪い合い、戦う。

しかし、おっさんは戦争が始まったら・・・逃げる事にだいぶ気持ちが傾いています。

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