もう一昨日のことなので記憶も定かでは無いのですが細い記憶を手繰り寄せつつ記して見たいと思います、なんちゃって。
是川縄文館は青森県八戸市近辺から出土した縄文時代の埋蔵品を展示する施設でして八戸埋蔵文化センターでもあります。
で、行って見たら市営と言う割にはとても立派な施設に驚いたわけですが、そこには恐らく三内丸山遺跡への対抗意識が強く働いたと思うのは私だけでありましょうか?
いや、なんとなれば、三内丸山遺跡は津軽のものでありまして、世界遺産になったとしても南部の八戸としては手放しでは喜べないわけであります。
そこで、世界遺産登録も睨んで南部の意地を見せなくては、と言うのが是川縄文館なのかと思ったんですが、まっ、いいでしょう。
是川縄文館 入場料250円
さて、是川縄文館では「装い・身を飾る人びと」と題する特別展をやっていまして、これがまた自分には新しい切り口で刺激になりました。
あれです・・・縄文人の装うってことをとても現代的解釈で説明していたわけですが、装う理由にマズローの欲求段階説を持って来ていたのには驚きましたが、詳細は省きます。
なんと申しましょうか、例えば土偶の髪型が様々見られることから、髪形によって年齢や所属を示す意味があった、かも知れないと説明されていますが、縄文晩期といえども所属を示す必要があるほどの人口や組織って有ったか、と思ったわけですが、まっ、いいでしょう。
土人顔? 男ですかね?
これも土人顔 男ですね
私ゃ縄文人の入れ墨に対して相当懐疑的だったんですが上記の仮面の土偶のように明らかに入れ墨としか見えないものを多く見るにつけもはや異議は唱えられなくなった次第であります。
が、しかし、争わず平和だったとされる縄文人がなぜ、という思いは残るのであります。
いや、入れ墨の始まりは自然現象で、野山で棘を刺したら残ったのが起こりってのを知ってからは特別な意味がなくてもチクチクやったのかも知れないとは思うんですが、まっ、いいでしょう。
漆塗りの土器
是川縄文館の見所の1つは漆仕上げの土器でありましょう。
あれです、縄文も晩期となると造形的にも仕上げ的にも完成されているわけでして三越あたりで売っても良い値が付く思うのであります、なんちゃって。
漆塗りの土器以外も素晴らしいものであります
で、漆塗りの土器でも素焼きでも家で父ちゃんが焼いたとはとても思えないわけで、これは土器を焼く専門の人たちがいたと思うんであります。
そーなると仕事の役割分担が生まれある程度まとまった社会が営まれたと思うんですが、まっ、いいでしょう。
家庭の実用品は父ちゃんの手作り!!!
で、昭和生まれで比較的器用な方だと思う自分でも作れない精巧な土器がある反面、俺ならもう少し上手く作れるって土器もあるわけです。
と、なると、やっぱし専門職がいたことは明白で、精巧な土器は特別なものだったんだろうな、なんてことは既に常識でありましょうか?
国宝 合掌土偶 正面
国宝 合掌土偶 斜め横から
と、言うことで、是川縄文館のお宝が国宝の「合掌土偶」であります。
もはや何も説明は要らない、体は名を表すの代表的土偶であります。
が、私の味方は少し違います。
これは男の土偶でして、雰囲気としては屈強な若者と思うわけです。
ならば、恋の成就を祈っているのかと言うとそーでは無く、手を縛られ許しを乞うているように自分には見えるのであります。
いや、罪のアレコレまではわかりません。
夜這いに失敗して娘の父ちゃんに捕まったってことも考えられますが、上目遣いは誰かに訴えており、口は一生懸命に言い訳をしている風に見えるわけであります。
しかし、服装全体から受ける印象は戦士の甲冑にも見えるわけでして、そーなると彼は捕虜であって命乞いをしているのかも知れないと見えるわけです。
まっ、そーなると戦いや争いが無かったとされる縄文人のイメージが根底から覆るわけですが、まっ、いいでしょう。
あれです、是川縄文館の展示物について有る事無い事嘘八百を書き連ねたわけですが、じつは見学していた間中ずっと一人だったのであります。
まっ、平日ってこともあるんですけれども三内丸山遺跡の賑わいと比較すると少し微妙な感じであります。
国宝もあるのになぁ・・・と、思うんですが、敢えていえば「観せ過ぎ」ってことで展示の方法や照明に凝りすぎ感が否めず縄文の素朴さが消されている、なんて言ったら失礼ですけど、まっ、いいでしょう。
もう一軒行きましたのでまだ続きます、が、もー飽きましたかね?
では、皆様と自分の明日がそこそこ良い日でありますように願いまして、おやすみなさい、と。
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