今日も昨日もバイトであります。
高齢者の仲間入りをしても働いていないと生きていけないって、どーなんでしょうね。
いや、生きていけないと言うのは食っていけないと言う意味では無くて、精神的なことであります。
僅かですが餓えない程度の年金もありますので飯は食えるのですが精神的に仕事を止められないのであります。
瑣末なことですが辞められないでは無く止められない、でして、宮仕えでは無くても何がしか銭になることをしていないと明日が不安という悲しく、貧しい精神ゆえのことであります。
明日が不安・・・これを植え付けられたのは「働かざる者食うべからず」の精神論で育ってしまったからだと思うんであります。
まっ、ある種の人たちは「働く」を広義に解釈し、銭と結び付けない、人が重い物を動かす力を出せば「働く」だからボランティアでも「労働」と言いますが、私はそれを否定します
この話は「働」の頭に付く「労」と言う字が付いてこそが真っ当な意味でありましょう。
愛用する三省堂「新明解国語辞典」で「労」を引いてみたら、骨を折ってなにかをすること、とありました。
我が意を得たりということで、骨を折るんですね、労働は。
そして、拡大解釈すると、労働者は骨身を削って銭を得るのだ、と。
さて、話は突然急カーブして三省堂新明解国語辞典になるんですが、私はこれが大好きで一時期愛読書にしていたことがありました。
意味づけが今風で解釈が時代に合っていると思ったのであります。
だからと言って文字が持つ本来の意味や感覚から逸脱しているのでも無く、読んで楽しく納得のいく辞書だと思うのであります。
しかし、自分が持っているのは昭和54年発行第四版の旧いもので、すでに第八版になった今のものとはだいぶ違っているのかも知れません。
最新版は3410円で、私の1日のバイト代の8割なので買うには少し気合いが要ります。
と、ここでひらめく私!!!
そーかぁ、労働の意味を調べるのに辞書が欲しいとすると労働して買わないとダメなわけで、そう思うと止められないのは労働では無く物欲なのであるな、となるわけであります。
誰のためでも無く、自分のための労働なのに嫌になるとはこれ如何に、となりますがこの先に踏み込むと闇が深いので今日は端折ります。
まっ、暇なので屁理屈を考えてみましたが、答えは簡単なんであります。
餓鬼道から脱せよ、多財餓鬼から足を洗えってことでして、また仏様の教えにたどり着くのでありました。
それにしても「労」の付く熟語に明るいものや気分が軽くなるものは無いですね。
そこからしてもそー言うことなのでありましょう。
ちょっと無理やりの展開でしたが暇つぶしなので好しとしましょう、なんちゃって。
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