いや、腹の皮が突っ張ると瞼が弛むと言われてますが、今は満腹がもたらす眠気が最高調でしてBGMで流しているカーペンターズのタッチ ミーのキレの良いリズムも手伝ってこのまま突っ伏しそうな感じであります。
そー言えば、カーペンターズのCDを二枚組で買ったのはつい最近なんですが、よく考えたらYouTubeにアルバムごとそっくりありましてダウンロードできたのであります。
まっ、古い曲で安かったんでアレですが無料で手に入るものに2000円と少し支払ったと思うと心痛い気もしますが、まっ、いいでしょう。
なかなか面白い記事と言いますか、読み方によって微妙で有ったり絶妙と感じられる記事を見つけたので貼って見ました。
「戦前の歴史で気をつけなければいけないのは、政府からではなく、民衆の側から私権制限を求めてしまうという動きがあったことです。私たちは政府から押しつけられたものには警戒感を持っている一方で、我々が自発的に権利を差し出してしまうことには無警戒なのです」
上記の論には挙手してオブジェクションでして、それは表向きだろうがぁ〜と、まず言いたいわけです。
いや、日本には1600年ごろ既に相互監視が目的の十人組があり、その後五人組もあり、戦前と戦中には隣組がモノを言ったわけですが、五人組は内務省の主導でありました。
なので巷の空気を醸成したのは政治とマスコミであり、国民の側では無かったわけであります。
しかし、記事の後の方で隣組による相互監視が空気感を醸し出していたと書いているのは何故に矛盾を、と引っかかる所でありますが、作者も適当なんですかね?
なお、特措法においては特定地域における重点的取り組みを実施するための「まんえん防止措置」も新設された。緊急事態宣言と同様に罰則を伴う措置にもかかわらず、その発動要件に対しては恣意的な運用への懸念もあがっている。
いや、自分も特措法の叩き台が示された時、真っ先に考えたのが恣意的な運用でありました。
しかし、その後公表された特措法をじっくり鑑みた結果、個人を縛るには緩すぎ恣意的使い勝手は良く無い、が結論であります。
なので特措法が定められた意図は他にあって、私権を制限する試みで、取り敢えずの一手で国民の反応も序でに見たのかと思うのと、今回のコロナに対しては政府がここまでやるのかと国民に見せつけ、コロナの威力を盛り上げワクチン利権を、なんて思うんですが、意味不明でありましょうか?
「また、感染拡大の防止策をめぐっては、リベラルと言われる野党側やその支持者も私権制限に前のめりだったように感じています。そうなってしまうと、制限によって奪われる移動の自由や集会の自由を擁護するのは誰になるのでしょうか」
いや、これにも反論であります。
リベラルと言いますか、野党は中華の手先も多いわけでして社会主義は大好きな輩であります。
と、なれば個人の権利なんて屁でも無いわけでして当然のことなのに認識が上品過ぎます。
「医療従事者がいかに大変なのか、重症患者がいかに苦しんでいるのかを伝えることは、止むを得ないでしょう。しかし、そうした感情的なものと私権制限は本来であれば切り離して議論をしなくてはいけないと思います。こういうことをいうと、反発が寄せられると思うのですが……そこまで、戦前と同じですよね」
いや、この記事で諸手を挙げて賛成したのはこの行だけであります。
医療従事者の使命感は理解します、がそれは職業であります。
選択自由な職業でして嫌なら辞めても良いはずであります。
で、さらに言うならば、ではこの風潮はコロナの対応に疲れて密かに辞めてしまった同業の人を精神的に追い込まないのか、と思うんですが、言い掛かりでありましょうか?
数日前の地震で未だに断水して居る地域があるわけですが、ライフラインて言うくらいだから水道も命を繋いでいるんでしょ?
テレビに出ていた婆様が死ぬほど困って給水され、命の水とはこのことだと語っていましたが、水道屋にも同じくらいの声援を送る人はいないのかね? と思う私は確かに偏屈で屁理屈好きでありますが。
「いまの日本社会では東京五輪が予定されていたため、みんなでやろう、感情でひとつになろうという同調圧力が広がっていました。それがコロナに置き換わり、自粛の同調圧力へと変化した。政府も五輪を開催したいがために本来は強制力を用いたいがそれをせず、人々の同調圧力を煽るような振る舞いをみせた」
そんなもの有りましたかねぇ〜?
マスコミが盛り上げていただけで同調圧力なんか私ゃ感じていませんけどね。
そんな事より「復興五輪」と銘打っておきながらやっぱしただの「東京オリンピック」じゃねぇかと、競技場選定で被災地を蔑ろにした仕打ちに白けていましたけどね。
そーか、この記事の狙いが見えてきたぞ・・・やっぱしこれも誘導記事と言いますか、無理して「空気感」や「同調圧力」を日本人の悪いクセ、としたいのかと思うんですが、まだわかりません。
「警察が警棒を持って巡回したり、自治体が県外ナンバーを監視したり……。そうしてできた特有の空気によって差別なども横行し、SNSでの特定など人権侵害に近いようなことも起きてしまった。ハンセン病などの教訓が普段はあれだけ叫ばれているにもかかわらず、非常時にはここまで変わってしまうのだな、と感じましたね」
いや、警察が警棒を持って巡回は普通にあるでしょ?
と、言うよりも持っていて当たり前のものをさも不都合と匂わせる書き方に正体見たり、かと思うんですが如何でありましょうか?
で、隣県が県境で他県ナンバーを検問したのは確かにニュースになりましたが、あれは立民や共産党を背景にした県知事の仕業でして県民が望んだことでは無かったと、隣の県民は聞いておりますが、まっ、いいでしょう。
今回の法改正は、第3波における緊急事態宣言下という、やはり特殊な「空気」のなかで議論が進んだ。懲役刑などの刑事罰の制定は回避されたとはいえ、罰則付きの法改正がされたことには変わりがない。
「本来であれば、冷静なときに議論をすべきだったのに、なぜそれをしなかったのか。この法改正では、さらなる感染拡大が起きた場合、営業している店舗の通報合戦や脅迫など、より激しい同調圧力を目覚めさせてしまう恐れもあると思います」
いや、いやいやいや、これを政府に決断させたのはマスコミでしょう?
なんの手も打たないとか、後手後でだとか、Go-Toは愚策だと、自粛風を最初に煽ったのはマスコミでしょう?
見難くてゴメンです
で、コロナ以前にコロナの話をできる筈が無いわだし、初期段階では一度収束しているんですぜ。
そこまで言うんだったらインフルエンザの時にも騒げよな、であります。
余談ですが、諸外国には強力なロックダウン政策を取っている国がありますが、それとコロナの沈静化との因果関係を明確に出しているデーターは見当たらないわけであります。
いや、あるぞ、と教えていただければ幸いですが、自分が探すと曖昧な表現が多く絶対的と言うのは無いわけです。
で、余談なんですがスゥェーデンの集団免疫作戦で良い話を見つけたんですが・・・
●限られた(人的・物的)医療資源は,十分な感染症対策が可能な施設に集中的に投入する必要がある.
●また,高齢であればあるほど,合併症があればあるほど致命率が高いので,救命可能性の高い患者の治療を優先することになる.
●また,高齢であればあるほど,合併症があればあるほど致命率が高いので,救命可能性の高い患者の治療を優先することになる.
で、かの国が潔くトリアージ政策を選択できたのはスウェーデン国民の武士道と言いますか、以下に記した気高い精神だったようであります。
「自分は,後出しじゃんけんで自分が選んだ議員の責任を問うような,特異な記銘力障害とは無縁の存在である」
いや、スウェーデンの国民の言葉を鑑みますと、マスコミ先導の空気感とか、仕掛けは様々言えるわけですが、やっぱし一番問題なのは日本国民ですかね?
まず、低い投票率で選ばれたとはいえ、自分らが選んだ政治家を後出しじゃんけんで追い込んでおいてなんとかしろって無責任な感覚の国民が一番バカなのは明白であります。
「いまの自民党政府は、その憲法改正草案からもわかる通り、国民に権利よりも義務を科したいと考えている。五輪があるからそのような強権的な姿勢は出していなかったわけですが、中止になれば、ロックダウンができないのならできるように憲法改正をしよう、という流れになりかねないと思っています」 実際、新型コロナウイルスの感染拡大当初の昨年1月末には、自民党の重鎮である伊吹文明元衆院議長が、コロナ禍が「緊急事態のひとつ」として、「憲法改正の大きな実験台と考えた方がいいかもしれない」などの発言が飛び出したこともあった。
いや、この記事の狙いはここで明確になりましたかね?
マスコミや野党が煽り立てた空気感から政府が動かざるを得なくなって生まれた穴だらけのゆるい法律をここに持ってきたところで馬脚をってことでよろしいと思うんであります。
なので総合的なオチに行きたいんですが、中々うまく落とせない感じであります。
まっ、面倒になったので逃げますけど・・・。
と、言うことで、ナンダかんだと他人様の記事に文句をつけてきましたが、
結局はまた何時もの私の持論に戻っちまいました。
コロナに関わらず、年寄りは遅かれ早かれ死ぬんだから潔くしろ、と言うことに落ち着くわけであります。
で、蛇足を付け加えてナニですが・・・日本人の空気感と言いますか「わきまえ論」を本気で論じたら縄文後期の稲作文化から始めないとダメなわけでしてとても自分如きの手に負えるものでは無いわけでありますが、これが日本だ、私の国だと言うことで、自分はこれでも世界一良い国だと信じております、なんちゃって。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます