じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

野良写真 (コスモス)

2014-09-16 20:30:31 | 日記的雑談
コスモスと言う言葉を聞くと思い出す女が居る・・・と、書き始め、適当な秘めた話しでもでっち上げようかと思ったんですけれども、どーも晩飯に食ったサンマの骨が嫌な所に引っ掛かっていましてそんな気分になれません。
なので早速お写真の羅列に行ってみたいと思います。


右側の間の抜けた空きが秋を語る訳ですが


あーらキレイ、と言うだけの構図ですか?


これを見て桜田淳子を思い出した


同じ花を位置を換えて何回も撮ってるだけですから


ナントもカントも コスモスですな


進退窮まってど真ん中においてみましたが


やっと自分らしさの出た感じですか?


似た物ばかりと言われましても・・・

いや、アレです・・・写真愛好家の間では、コスモス三年柿八年と言うのは殆ど言われていない訳なんですけれども・・・しかし、それは恐らく真理であろうかと思う訳であります。

いや、花と言うのは見た目のアレとは違って、写真に撮ると言うと我が侭な奴らなんですぜ。
まず、遠目に見て美しいと思い近寄ると、目尻に小じわじゃ有りませんけど、アップには耐えないわなぁ~とか。

で、もっと厄介なのが、特に小さな花達のアレ・・・遊び相手の風。
カメラ構えるでしょ、ピント決まるでしょ、シャッター切ろうとした瞬間に風がピューとか吹いてアウトぉ~ってな事が良く有る訳です。

いや、元から風がピューピューなんて事ならアレなんですけど、カメラ構えた途端に小さく揺れだして・・・小娘がおじさんをからかうようにして・・・ほら、スカートの裾を少し翻して焦らすとか・・・まっ、それとは幾分趣は違いますけれども、しかし、小さな花に良い歳をしたオッサンが翻弄される訳であります。

アレです・・・まっ、他の人の事は知りませんけど、私は野原で被写体に良さげな花など見つけますと、まず語りかける訳であります。
いや、邪な気持ちでは無くて、純粋に心からお近付きにならないと良い写真は撮れない訳なんですけれども、それが結構難しい訳です。

さて、この度のコスモスなんですけれども、田圃の隅っこに2株だけ毎年咲く訳であります。
もう自生しているんでありましょうね・・・でもそんなに増えないのは奥ゆかしいコスモスナンでありましょうか?

そんな訳でもう何年も同じ場所で同じコスモスを同じ構図で撮っている訳であります。
なので、撮る方も撮られる方も飽きている訳で、撮るときのくどき文句も無く、おお、咲いたのか? ンじゃ撮るわ、みたいな感じでして熱も気持つも入っていない訳です。

まっ、しかし、秋にはコスモスを撮れと言うのは死んだ親父の口癖でしたから・・・ああ、また口からデマかせを言っちまったぁ~。

と、言う事で、例年通りのコスモスで有りました、と。




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