ドイツの物らしいビールを飲みました。
その名は・・・ホフブロイ ヘーフェ ヴァイツェン。
こー言うビールはヤンキー飲みで瓶のままじゃダメなんだよ、と言うんでグラスに注いで飲んでみました。
酵母がドーのコーのがその理由らしいんだけれども、そーゆー面倒くさい講釈を抜きにして文句無く美味い!!!
私は比較的愛国タイプの日本人なんですが、このビールに勝てそうなビールって我が国には無いなぁ~と、悔しいですけど思いました。
味の説明などは詮無き事・・・一言で美味い、もっと飲みたい、でありましたが貰い物なので1本きりでありました。
ドイツ・・・かぁ~・・・ビール飲みに行ってみたいなぁ~と、思いました。
さて、と・・・特別書く事も無いんですけどね。
外は冷たい雨で家では温風ヒーター稼働してます。
では、唐突に・・・「生きる、とは?」
そー言えば、「」の中に?を入れるのは御法度って習った様な気がするんですけど、ドーでしたかね?
まっ、いいでしょう・・・句読点は読み易ければ、と、流れを整えられればドーでも良いと私しゃ思うんで仕来りには捉われない事にしております。
で、生きるとは? の答えなんですけど、私しゃ思う訳です。
生きると死ぬ、って。
と、言う事は「生きる」の結果は決まっている訳でして、それなら「生きる」って過程の事なのか? と、思う訳であります。
そっかぁ~「生きる」って死ぬまでの過程かぁ~と、思うと自分的にはなる程、であります。
が、しかし、一寸待ってちょーだい、であります。
「過程ってナンだ?」と素朴に次の疑問が湧くのは否めない訳であります。
まっ、言ってみれば「生き様」ですかね?
産まれてから死ぬまでの歴史・・・そー自分史、でありましょう。
いや、我が身で振り返ると、生涯のあれこれは歴史と言う程のもんでは無いのであります。
平凡な一市民、と言うよりは比較的貧乏で、どちらかと言えば下の階層で蠢いた私の来し方は「生き様」と表する程の物では無い訳であります。
そー・・・私の生き様ナンて「屁」であります。
社会的な地位や名声とは無縁でして、ごく少数の周囲の人以外に存在を知る人も無く、言ってみればその他大勢であります。
と、こんな事を考えると・・・もしも生き様が人生だとするとそれは社会に対しての相対的な存在、と言う事になりはしないかと思うんであります。
相対的評価・・・それが自分の存在の証?
自分一人だと貧乏も下層民もあり得ない。
と、言う事は、人生とは他人様や社会からの評価を得るための時間だったのか? なんて処に辿り着いたんですが・・・ダメですか?
そんな訳で、歯科に予約が入っているんで端折りますが、私の偏屈な思考では・・・「人生とは?」他人の評価を得るために過ごす死への時間、となりました、が、ドーでしょうか?
そんなに的外れではないと思うんですけど・・・だとすれば、他人の評価なんか糞食らえ、と思うと生き方はとても簡単だと思うんであります。
と、まぁ~・・・書くは易し実践は難し、であります。
分かってるんですよね、総ては相対・・・世間のインチキな基準に踊らされているんだ、と。
でも、そー言う風しか吹かないように社会は造られちまっているんで抗うのは難しい訳です。
だからでしょうね・・・もーずーっと昔から、仏様はこんな事を言い続けている訳ですもの。
おおっと・・・行かなくちゃ。
落ちも無く意味不明・・・失礼いたしやしたぁ~
その名は・・・ホフブロイ ヘーフェ ヴァイツェン。
こー言うビールはヤンキー飲みで瓶のままじゃダメなんだよ、と言うんでグラスに注いで飲んでみました。
酵母がドーのコーのがその理由らしいんだけれども、そーゆー面倒くさい講釈を抜きにして文句無く美味い!!!
私は比較的愛国タイプの日本人なんですが、このビールに勝てそうなビールって我が国には無いなぁ~と、悔しいですけど思いました。
味の説明などは詮無き事・・・一言で美味い、もっと飲みたい、でありましたが貰い物なので1本きりでありました。
ドイツ・・・かぁ~・・・ビール飲みに行ってみたいなぁ~と、思いました。
さて、と・・・特別書く事も無いんですけどね。
外は冷たい雨で家では温風ヒーター稼働してます。
では、唐突に・・・「生きる、とは?」
そー言えば、「」の中に?を入れるのは御法度って習った様な気がするんですけど、ドーでしたかね?
まっ、いいでしょう・・・句読点は読み易ければ、と、流れを整えられればドーでも良いと私しゃ思うんで仕来りには捉われない事にしております。
で、生きるとは? の答えなんですけど、私しゃ思う訳です。
生きると死ぬ、って。
と、言う事は「生きる」の結果は決まっている訳でして、それなら「生きる」って過程の事なのか? と、思う訳であります。
そっかぁ~「生きる」って死ぬまでの過程かぁ~と、思うと自分的にはなる程、であります。
が、しかし、一寸待ってちょーだい、であります。
「過程ってナンだ?」と素朴に次の疑問が湧くのは否めない訳であります。
まっ、言ってみれば「生き様」ですかね?
産まれてから死ぬまでの歴史・・・そー自分史、でありましょう。
いや、我が身で振り返ると、生涯のあれこれは歴史と言う程のもんでは無いのであります。
平凡な一市民、と言うよりは比較的貧乏で、どちらかと言えば下の階層で蠢いた私の来し方は「生き様」と表する程の物では無い訳であります。
そー・・・私の生き様ナンて「屁」であります。
社会的な地位や名声とは無縁でして、ごく少数の周囲の人以外に存在を知る人も無く、言ってみればその他大勢であります。
と、こんな事を考えると・・・もしも生き様が人生だとするとそれは社会に対しての相対的な存在、と言う事になりはしないかと思うんであります。
相対的評価・・・それが自分の存在の証?
自分一人だと貧乏も下層民もあり得ない。
と、言う事は、人生とは他人様や社会からの評価を得るための時間だったのか? なんて処に辿り着いたんですが・・・ダメですか?
そんな訳で、歯科に予約が入っているんで端折りますが、私の偏屈な思考では・・・「人生とは?」他人の評価を得るために過ごす死への時間、となりました、が、ドーでしょうか?
そんなに的外れではないと思うんですけど・・・だとすれば、他人の評価なんか糞食らえ、と思うと生き方はとても簡単だと思うんであります。
と、まぁ~・・・書くは易し実践は難し、であります。
分かってるんですよね、総ては相対・・・世間のインチキな基準に踊らされているんだ、と。
でも、そー言う風しか吹かないように社会は造られちまっているんで抗うのは難しい訳です。
だからでしょうね・・・もーずーっと昔から、仏様はこんな事を言い続けている訳ですもの。
おおっと・・・行かなくちゃ。
落ちも無く意味不明・・・失礼いたしやしたぁ~
同期は出世していますが、
おばちゃんは早期退職で、言わば負け組ですから
仕事仲間だった人らとは、ほぼ関わりを
絶っています。
紀州のドンファンのような生き様は感心しませんね{BOO}
</太>
そんな事無いですょ~。
早期退職はサッサと自由になったと言う事で精神的勝ち組でしょう?
おばちゃんさんにはヤプミーがいるし・・・ねっ!!!