近頃自分の読書の癖が変化して、難しい本が読めなくなってしまった。
あいやぁ~脳味噌が縮んでしまいましたかぁ~?
まっ、読書の量は左程落ちても居ないのでありますが・・・んっ?それも違うかなぁ~?
柔らかくてすぐに呑み込める本しか読んでいないから冊数が落ちないだけで、重たい本を読むペースで行ったら5割減、かも知れない。
まっ、しかし、本に貴賤は無い・・・哲学書からエロ本まで、所詮は読んだ人の脳内での話しなので何を読もうがドーでも良いのでありましょう。
で、読書と言うのは素晴らしいもんでして・・・インプットであります。
で、入れたら出る、の法則に従うと、アウトプットがある訳でありまして、それは、会話であったり文章であったり、の、表現に反映されると思うのであります。
なので、人は、自分が読んでいる・・・要するにインプットしたものしかアウトプットし無いと言っても良い感じかな、と、思う訳であります。
まっ、簡単に突っ込まれそうな論でありまして、インプットはナニも読書に限らないんでありまして、本を読まない人だって会話もすれば文章も書く・・・そんな事は百も承知二百も合点・・・近頃この言葉を多用しますけど、好きなナンですね・・・まっ、先へ行きましょう。
しかし、ナンと申しましょうか、定期的に文字を書く人のインプットは、やっぱし、圧倒的に文字からのモノであると思うんであります。
要するに、読んだ本からの刺激や感化を自分の中で消化や昇華なりしてひねり出して来ると思う訳です。
で、自分も駄文が好きなんでアレなんですけれども、やっぱし、模倣から入るのが手っ取り早いんで、意識して誰かの真似などしてみると、わりと楽に話しが進んだりする事がある訳です。
そう言う時には文体もさることながら、中身の展開と言いますか、一つの事象に対しての解釈まで真似をした文体と同じになってしまう傾向が在ると、自分は思う訳であります・・・少なくても自分はそうなんであります。
で、例えば、少し難しい文章を書く時には正確を期するために参考書などを紐解いちまう訳ですが、そう言うときなどは、参考文献の文体のままではドロボー的なんで少し自分風に味付けをしたくてこねくり回す訳であります。
が、しかし・・・見て来たような嘘を書くときと言うのは自信も確信も無いからか「ナニナニであるという」とか、「と言われる」とか「とのこと」などの、曖昧と言いますか、断定しない言い回しが多発しちまう訳であります。
で、そう言う言い回しで伏線を張りつつも、持論の展開に持ち込む時には、先に示して事柄が曖昧であったのは無かった事のように、それを根拠として強く推す訳であります。
まっ、簡単に言うと詭弁なんでありますけれどもね・・・これの上手なのは左巻きの政治の人達で、民主党の枝野さんなどは天災的詭弁者であろうかと、私しゃ思いますが・・・。
で、論が長くなると尻が滅裂して来るのが私の常なんですけれども・・・言いたかったのは、読書によるインプット、と、アウトプットですね。
ホントは、読書は魔物でありまして、厄介だと思う訳でありますよ・・・特に歴史や政治体制などのドーにでもなっちまう事柄でのインプットであります。
まっ、私なんぞは日の丸大好きの右巻き体質なんで、それ以外の人とは相容れない感覚で書いちまう訳でありますが・・・それって、読んでる本の殆どが右巻きのものなんで仕方が無いんですよね・・・入れたのが右巻きのものばかりなんですから、出て来るのもそれしか無いんであります。
で、活字が好きなんで左巻き体質の本や文章にぶち当たりましても、鋭意読みますけれども、しかし、読む姿勢は、どこかに穴や粗は無いか? ツッコミ所はどこだっ、と言う姿勢で読む訳です。
アレぇ~・・・余計に話しが崩れて来たなぁ。
まっ、アレです・・・誰かを説得しようと思ってナニかを書いても、そう思わない人は最後まで読まないかもしれないし、読んでも全然インプットになっていないだろうし・・・と、言う事で読書はまだしも、ブログなんかだと好きな中身や文体のものしか読まなくなリャしないかと思う訳であります・・・それがインプットですから、出て来るものはやっぱし、そう言うもんなんでありますね・・・って、さっきから堂々巡りになっちまっている・・・止めよう。
暗に言いたい事が有って書き始めたんだけれども・・・文リキ貧しぃ~。
あぁ、今夜もまた激しく意味不明でありました、と。
あいやぁ~脳味噌が縮んでしまいましたかぁ~?
まっ、読書の量は左程落ちても居ないのでありますが・・・んっ?それも違うかなぁ~?
柔らかくてすぐに呑み込める本しか読んでいないから冊数が落ちないだけで、重たい本を読むペースで行ったら5割減、かも知れない。
まっ、しかし、本に貴賤は無い・・・哲学書からエロ本まで、所詮は読んだ人の脳内での話しなので何を読もうがドーでも良いのでありましょう。
で、読書と言うのは素晴らしいもんでして・・・インプットであります。
で、入れたら出る、の法則に従うと、アウトプットがある訳でありまして、それは、会話であったり文章であったり、の、表現に反映されると思うのであります。
なので、人は、自分が読んでいる・・・要するにインプットしたものしかアウトプットし無いと言っても良い感じかな、と、思う訳であります。
まっ、簡単に突っ込まれそうな論でありまして、インプットはナニも読書に限らないんでありまして、本を読まない人だって会話もすれば文章も書く・・・そんな事は百も承知二百も合点・・・近頃この言葉を多用しますけど、好きなナンですね・・・まっ、先へ行きましょう。
しかし、ナンと申しましょうか、定期的に文字を書く人のインプットは、やっぱし、圧倒的に文字からのモノであると思うんであります。
要するに、読んだ本からの刺激や感化を自分の中で消化や昇華なりしてひねり出して来ると思う訳です。
で、自分も駄文が好きなんでアレなんですけれども、やっぱし、模倣から入るのが手っ取り早いんで、意識して誰かの真似などしてみると、わりと楽に話しが進んだりする事がある訳です。
そう言う時には文体もさることながら、中身の展開と言いますか、一つの事象に対しての解釈まで真似をした文体と同じになってしまう傾向が在ると、自分は思う訳であります・・・少なくても自分はそうなんであります。
で、例えば、少し難しい文章を書く時には正確を期するために参考書などを紐解いちまう訳ですが、そう言うときなどは、参考文献の文体のままではドロボー的なんで少し自分風に味付けをしたくてこねくり回す訳であります。
が、しかし・・・見て来たような嘘を書くときと言うのは自信も確信も無いからか「ナニナニであるという」とか、「と言われる」とか「とのこと」などの、曖昧と言いますか、断定しない言い回しが多発しちまう訳であります。
で、そう言う言い回しで伏線を張りつつも、持論の展開に持ち込む時には、先に示して事柄が曖昧であったのは無かった事のように、それを根拠として強く推す訳であります。
まっ、簡単に言うと詭弁なんでありますけれどもね・・・これの上手なのは左巻きの政治の人達で、民主党の枝野さんなどは天災的詭弁者であろうかと、私しゃ思いますが・・・。
で、論が長くなると尻が滅裂して来るのが私の常なんですけれども・・・言いたかったのは、読書によるインプット、と、アウトプットですね。
ホントは、読書は魔物でありまして、厄介だと思う訳でありますよ・・・特に歴史や政治体制などのドーにでもなっちまう事柄でのインプットであります。
まっ、私なんぞは日の丸大好きの右巻き体質なんで、それ以外の人とは相容れない感覚で書いちまう訳でありますが・・・それって、読んでる本の殆どが右巻きのものなんで仕方が無いんですよね・・・入れたのが右巻きのものばかりなんですから、出て来るのもそれしか無いんであります。
で、活字が好きなんで左巻き体質の本や文章にぶち当たりましても、鋭意読みますけれども、しかし、読む姿勢は、どこかに穴や粗は無いか? ツッコミ所はどこだっ、と言う姿勢で読む訳です。
アレぇ~・・・余計に話しが崩れて来たなぁ。
まっ、アレです・・・誰かを説得しようと思ってナニかを書いても、そう思わない人は最後まで読まないかもしれないし、読んでも全然インプットになっていないだろうし・・・と、言う事で読書はまだしも、ブログなんかだと好きな中身や文体のものしか読まなくなリャしないかと思う訳であります・・・それがインプットですから、出て来るものはやっぱし、そう言うもんなんでありますね・・・って、さっきから堂々巡りになっちまっている・・・止めよう。
暗に言いたい事が有って書き始めたんだけれども・・・文リキ貧しぃ~。
あぁ、今夜もまた激しく意味不明でありました、と。