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なぜ欧米人は平気でルールを変えるのか?

2016年03月05日 | 外国

2014年ソチ冬季オリンピックは、スキー、ノルディック複合の個人ノーマルヒルが行われ、日本のエース、渡部暁斗選手が銀メダルを獲得した。

 

このときに、現地キャスターを務めていた元金メダリストの荻原さんは生放送中に人前をはばからずうれし涙を流したのでした。なぜでしょうか?

 

この種目で日本選手がメダルを獲得したのは1994年リレハンメル大会以来、5大会ぶりでした。ノルディック複合は前半にジャンプを行い後半に10kmのクロスカントリーを行うものです。

 

前半のジャンプのポイント差をタイムに換算し、選手たちはタイム差順にスタートして、ゴールした順番に全体の順位が決定するというものです。

 

このジャンプのポイント差をタイムに換算するルール改正で、従来距離の1分がジャンプの10ポイントであったのが、改正後15ポイントとなった。つまり、改正前はジャンプで10ポイント差をつければ距離で1分早くスタートできたのに、改正後は15ポイント差をつけなければならなかったのです。

 

ジャンプの比重が下がり、クロスカントリーの比重が上がるという北欧国に有利なルール変更となったのです。ジャンプに強かった日本勢はその後、低迷が続き、メダル獲得に20年という歳月を要したのです。そのために、はからずも解説者の萩原さんは苦難の20年を振り返り、号泣してしまったのです。

 

同様なことは、他の大会でも行われました。

1998年の長野オリンピックで、日本ジャンプ陣は、団体金メダル、個人でも船木が金メダル、原田が銅メダルと、大勝しますが、その直後、ヨーロッパ勢が牛耳る国際スキー連盟は翌年に、ジャンプ用スキーの長さに関するルールを、背の高いヨーロッパ選手が有利になるように変更してしまいます。その後、日本のジャンプ陣は一転して、長い低迷期に入りました。

 

オリンピックの水泳においても同じようなことがありましたね。

1988年ソウル夏季五輪の競泳で、鈴木大地さんの代名詞にもなったバサロキックで男子100メートル背泳ぎを制すと、すぐに潜水の距離が制限されました。

 

その他に日本の柔道界が猛反対しながら防げなかったカラー柔道着の導入なども一つの事例です。

 

なぜこのように、欧米人はルールを変えるのか?

私も欧米人の考えは不公平だ、自分勝手な考え方だと思いました。

そして、日本を好まない国もあるし、自分たちの国が有利となるように行動する組織もあるのだと思いました。それで、この問題について、少し実態を調べてみました。

 

『ずるい!? なぜ欧米人は平気でルールを変えるのか』の著者、本田技研工業 総務部長 青木さんは以下のように述べています。

 

こうした事態の背景には、「ルールに対する考え方の違い」があるといいます。

「ルール作り」から喧嘩がはじまるのが欧米流、それに対して、日本人は「ルールの守りすぎ」で「ルール作りには無関心」だというのです。

 

こうした違いを乗り越えて、スポーツやビジネスで、あるいは、温室効果ガス削減目標といった国際政治の舞台で、日本人が世界と対等に闘うためには何が必要なのでしょうか。

これからの時代の日本人とルールのあり方を問う内容となっています。

 

著者の提案は、以下の通りです。

1) まずルールの意味と目的を理解する、

2) ルールが実情に合わなくなったら変更を提案する、

3) ルールつくりを率先して行う。

 

そもそも、戦いはルール作りから始まっているのであって、「ずるい」などといくら文句を言っても無意味である。ルールは上から降ってくるモノ、一方的に与えられる規制ととらえるのではなく、自分たちもルールを作る側に加わるよう戦略をもって行動していくことが必要だ、というのです。

 

ふるい体制の中で搾取し続ける欧米にルール作りを牛耳られている場合ではない。世界の普通の国々を味方に付けて共通の認識を形成して、新たな価値観に基づく社会システムづくりに取り組んでいくことを日本は世界から期待されている。市場システムが行き詰まった今、いよいよ日本が腰を上げる時が来たのではないでしょうか。日本式システムの世界構築が待たれているのです。

 

話しは少し変わります。

1986年、F1でのホンダターボエンジンの圧勝を面白く思わないFISA(現FIA)はターボエンジンの段階的禁止、及び1989年から自然吸気エンジンのみへ移行する決定を下した。

 

これに憤慨したチーム監督の桜井らは本田宗一郎に直訴しようとしたが、宗一郎は桜井に会うなり「ホンダだけがターボ禁止なのか? 違うのか、馬鹿な奴等だ。ホンダだけに規制をするのなら賢いが、すべて同じ条件でならホンダが一番速く、一番いいエンジンを作るの決まっとる」と言ったのです。

 

「で、なんだ話ってのは?」と言い、桜井等は「いいんです、何でもありません」と嬉しくなってしまったという。

本田宗一郎さんはルール変更なんて屁とも思っていなかったのです。

 

ホンダは1987年に16戦11勝、1988年には16戦15勝の圧勝、自然吸気に移行した1989年にも16戦10勝、その後も、1991年に宗一郎が亡くなる年までタイトルを獲得し続けたのです。

 

ルールづくりの主導権を握ったほうが有利なのは、スポーツにかぎった話ではない。ビジネスの世界では国や企業間で規格競争がよく起きるが、規格争いが起きるのも、ルールを決める側になったほうが市場で有利に戦えるからだ。

 

残念ながらビジネスでも、ルールづくりについては圧倒的に欧米人に分がある。たとえば工業分野の国際規格としてISOが知られているが、幹事国を引き受けているのはいまだ欧米が主流だ。個人的に日本のJISのほうが規格として優れていると思うが、いまや日本国内でもISOを取らないと仕事にならない状況になっている。

 

ルールづくりで欧米人に後れを取るのは、そもそもルール観に違いがあるからだろう。日本人は自ら進んでルールに従うが、欧米人は自分の都合に合わせてルールを変えようとする。根底から考え方が違うのだ。

 

日本人は、「ルールはお上がつくるもの。自分たちは粛々と従えばいい」と思っている。ルールを変更することは、「フェアではない」とすら感じているのではないだろうか。しかし、それでは「ルールは随時変えるもの」というスタンスの欧米人には太刀打ちできない。

 

既存のルールをないがしろにしろというわけではない。従来どおりに規則を尊重しつつ、おかしなものについては異を唱え、ルールづくりや変更にも積極的に関わる。国際競争を勝ち抜くには、その姿勢が大切だと言っています。

 

欧米企業は、商品開発と同時にルールづくりに着手する。ドイツはEV用リチウム電池を完全に製品化する途上で、先行して国際規格案を提出したように思う。製品化してから規格提案をする日本とは発想が違う。日本企業もそれくらいのスピード感を持たないと、勝てない。

 

著者は、さらに、ルール改正が日本叩きでは無い事を証明する凡例がある、と言います。

 

ジャンプ競技の例では、1999年にルールが変更されたあと、世界選手権を3連覇したのは身長わずか169cmのポーランド人だった。日本は単に、新ルールに適応するのが遅かっただけ、だと言います。

 

大分前になりますが、1953年にフェラーリがほとんどの試合に勝った時にも、それまで許可されていなかったターボを許可するという変更があり、ノン・ターボのフェラーリはその後勝てなくなった。

 

FIA会長は、「特定のメーカーが圧倒的に強くなり連勝を続けるのは、長期的に見てF1の人気を落とすから望ましくない」と言い切ったのです。 要するにプロモーターとしての、確信犯です。

 

確かに、大相撲でも一人の横綱が圧倒的に強い場所よりも2-3人のライバルがしのぎを削る場所の方が盛り上がることは確かです。ではその圧倒的に強い横綱を負かすために大相撲のルールを変えるか、というと日本人はそこまで望んでいませんが、欧米人であれば、やるかもしれないということですね。

 

これらの事例を考えたならば、単に欧米人は卑怯だとは言い切れなさそうです。

 

「ルールは不変ではない」という認識を持ち「ルールを変えることを当然と思っている」のが欧米人であると認識すべきなのです(ではないのでしょうか)。

 

また、そのルールを変えることの必要性を認識し、その組織や団体に加わって、発言することが必要なのです。

 

日本人は法律やルールは、お上が決めることであって、自分たちはそのルールを守ることが大事だと昔から考えてきました。ソクラテスが説いたように、「悪法も法なり」を信じてきた真面目な国民ではなかったのでしょうか。

 

しかし、世界の動きを知ったならば、それに対応した動きを取り入れなければ、また、欧米諸国に搾取されてしまうのです。そのような、愚劣な行為を許してはならないのです。

 

憲法改正の議論も同様ではないのでしょうか。ルールを守ることに厳守して、時代に合った、状況にあったルール改正ができないでいるのが、今の日本ではないのでしょうか。

もっと、ルールを作る、ルールを変えるという発想や行動があっていいのではないのでしょうか。

 

---owari--

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2 コメント

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Unknown (シンゴ)
2021-08-14 17:59:50
日本は本当の意味での、民主主義が根付いていないと思います。民主主義は、人が自分たちで考え行動を起こす土壌がないと、成立しません。オリンピックだとバンクーバーでもそうでしたよね?韓国は審判を買収して金メダルを取ったなんて言う始末。これが浅田真央ではなく、荒川静香だったら、キムヨナは金メダルを取れなかったと思いますよ。
こんにちは (このゆびとまれ!です)
2021-08-15 18:42:58
シンゴさんへ

コメント、ありがとうございます。
確かに、民主主義は自分たちで考え行動を起こす土壌が必要です。それから、良心がなければいけませんね。

フィギュアスケートのことはよく分からないのですが、ネットで調べてみると、審判の判定に疑問があると書かれていますね。

国際スケート連盟(ISU)会長がソチ冬季オリンピックの現場で記者に対して、「金メダルはヨナだと確信する」と明言したり、「次の冬季オリンピック開催国である韓国は(キム・ヨナ選手引退後の)未来を準備しなければならない」とも語っています。

しかし、ソチオリンピック女子では、ロシアのアデリナ・ソトニコワが韓国のキム・ヨナ、イタリアのカロリーナ・コストナーを押さえてサプライズの金メダルを獲得した。この結果に韓国からは抗議の声が上がり、スケート関係者たちの間では、3位だったコストナーが金にふさわしかったという意見も少なからずあったようです。

このため、ISU は2019年7月、これまで長年、問題視されてきながらも向き合おうとしなかった、関係者間の交流など詳細にまでついに大鉈が入れられたようです。
・「レフリー」「技術パネル」「ジャッジ」の区別
・選手との個人的関係なども監視対象に。
・各国の連盟会長はジャッジとして参加禁止。
など審判の倫理規定を改善したようです。

ご意見、有難うございました。
またのご来訪をお待ちしています。

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