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教育改革に立ち上がったアメリカの青年たち(後編)

2022年11月06日 | 外国
大学新卒者が学力の低い地域で2年間、子供たちを教える-そんなアイデアが多くのアメリカ青年を立ち上がらせた。

(「ティーチャー・コープ(教師部隊)を作れないだろうか」)
ウェンディはプリンストン大学で社会問題について議論する組織を率いていたので、その活動の一環として、50人の学生とビジネス・リーダーを集めて、アメリカの教育システムを改善するための会議を行った。そこである参加者は、こう言った。

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公立校では、教育の学位のない人も、教師としてよく雇われている。なぜなら、教育の学位を持つ人で、かつ低所得地域で教えたいという人が十分にはいないからだ。
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日本と同様、アメリカでも私立校は裕福な家庭の子供が通うところで、学力も高い。公立校は貧しい家庭の子供が通い、教育の質も低い。そういう地域では、教師のなり手自体が少ない。

そして、会議に参加していたほとんどの学生が「もし可能なら、自分が公立校で教えたい」と言った。

こうした議論の最中に、ウエンディは突然、ひらめいた。

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アメリカで全国的なティーチャー・コープ(教師部隊)をつくれないだろうか。トップクラスの大学から学生を集めて、卒業後の2年間、都市部や地方の公立校で教えてもらうというのは、どうだろうか。
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ティーチャー・コープ(教師部隊)とは1961年にジョン・F・ケネディ大統領が創設した「ピース・コープ(平和部隊)」からヒントを得たものだ。そこでは若者が開発途上国で援助活動にあたる。それと同様に、若者が自ら志して、教育改革にあたるのである。

(3つの難関)
ウェンディは「全国的ティーチャー・コープ設立のための計画と議論」と題した卒業論文を書き、自分のアイデアを具体的に描いた。1年目に数千人の大学生の応募を得て、そのなかから500人を選んで教員養成研修を行い、全国のいくつかの地域に送り込む。募集から研修までの間には、250万ドル(約2億5千万円)の資金が必要と予測された。

一年目から大規模に始めなければならない、とウェンディは考えた。優秀な若者に目の前の優れた就職機会を捨てて、教育活動に参加して貰うには、大規模に始めなければ、その重要性は伝わらないからだ。

しかし、このアイデアには3つの難関があった。

第1に、教師経験もない、短期間で養成した若者を、公立校で教師に採用してくれるかどうか。

第2に、受け入れてくれるとしても、そもそもそれだけの多くの若者がティーチャー・コープに応募してくれるかどうか。

第3に、250万ドルもの資金を集めることができるのか、どうか。

大学をこれから終える、社会経験もない女性の思いつきを、現実の社会が受け入れてくれるかどうか。ウェンディには、自分の就職問題を投げうって、このアイデアの実現に奔走を始めた。

(「スタンフォードの卒業生が、ここで教えたがると思うかい?」)
最初の問題に関して、ウェンディはいくつかの地域の教育責任者を訪問して話を聞いたが、ある都市で非常に尊敬されている学区長に会った時のこと。ウェンディが計画を説明するにつれ、彼はいらだち、怒り始めた。「君の話を聞くのは時間のムダだ。おせっかい焼きは自分の学区には必要ない」

ここまで言われて、車に戻ると、ウェンディは泣き崩れた。

低所得地域の子供たちを長年支援してきた財団のトップに会った時はこう言われた。「経験が浅く、恵まれた立場にいる教師たちが“自分探し”をしたあとで、残された子供たちは捨てられたように感じるだろう」

ロサンゼルス統合学区の人事担当部長を訪ねた時のこと。リクルートを予定している大学のリストを見せると、彼は声を出して笑った。「スタンフォードの卒業生が、ここで教えたがると思うかい? いいだろう。もしほんとうにリクルートできたら、私たちが雇おう。500人全員、私たちが雇おう!」

多くの学区の責任者は、大学卒業生を2年間雇うという案には賛同してくれたが、大学卒業生は低所得地域の公立校などで教えたがらないだろう、という懸念を持つ人が多かった。

こうした懐疑的な人びとを説得するためにも、志願者の大規模なリクルート活動を始めることを、ウェンディは決心した。

(「アメリカのために2年間教えるということを、考えてみませんか?」)
ウェンディはいくつかの大学で、リクルート活動をしてくれる同志を見つけた。彼らはそれぞれの大学で、様々な形でリクルート活動を展開した。たとえば、イェール大学の同志は、次のようなチラシを学内で配った。

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卒業後に何をするか、ほんの少しでも迷う部分はありませんか?アメリカのために2年間教えるということを、考えてみませんか?小学校でも高校でもかまいません。アメリカを今後も競争力のある国にするために。すべての人に等しくチャンがある、民主主義的な国家でありつづけるために。
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このチラシを配ってから3日間で170人から電話があった。
こうした形で、各大学でリクルート活動が行われ、全米で2500名の応募があった。その中から、当初の計画通り、500人の優秀な候補者を選ぶことができた。

祖国アメリカのために何らかの貢献をしたい、という若者は予想以上に多かったのである。

(人づくりは興国の大業)
資金確保の問題は、予想以上に難題で、ウェンディはその後、何年も寄付金集めに走り回らねばならなかった。その波瀾万丈の物語は本書[ウェンディ・コップ『いつか、すべての子供たちに――「ティーチ・フォー・アメリカ」とそこで私が学んだこと』(英治出版))]に譲るが、
国家のためになんとか貢献をしようという若者たちの志に共感し、資金を出してくれる篤志家も少なくなかった。このあたりにアメリカ国民の底力を見る。

こうしてTFAの活動は軌道に乗り、その創立から18年で、約1万4千人の経験者を出すまでになった。冒頭のミッシェル・リーのような志に燃えた青年が各地で教育に取り組んできたことで、多くの子供たちに素晴らしい未来が開けたことだろう。

 TFAの活動から思い起こされるのは、明治日本の「学制」である。財政も不安定な中で、明治初期の日本政府は全国津々浦々に現在とほぼ同数の2万4千校の小学校を作り、また志ある多くの青年たちを師範学校で教師として養成した。ここから生まれた無数の人材が明治日本の近代化の原動力となったのである。

現在の我が国においても、今一度、教育改革が求められている。そのための試みは各地ですでに行われている。

その一つとして「株式会社 寺子屋モデル」がある。青年から定年後の熟年まですべての人を対象に「寺子屋の先生」を養成し、その先生たちが各地で子供たちに偉人伝などを通じて「日本人の心に生き方のお手本(モデル)」を教えている。

国家百年の計は人づくりにある。人づくりこそ、国民の誰でもが何らかの形で貢献できる興国の大業なのである。
 (文責:「国際派日本人養成講座」編集長・伊勢雅臣)

---owari---
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