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われわれは「意志」を挫(くじ)かれてきた

2021年11月23日 | 政治・経済
日本がNPT(核拡散防止条約)の加盟国であること、厳しい査察を受け入れるIAEA(国際原子力機関)の追加議定書の批准国であることなど、国際社会との関係を考えると、核保有は不可能だと決めつけるのも、自らの可能性を封じる怠惰といわねばならない。

平成18年12月25日付の『産経新聞』に、「日本が小型核弾頭を試作するまでには少なくとも3~5年かかる」とする政府の内部文書が明らかになったという記事が載った。「核兵器の国産可能性について」と題した文書によると、日本にはウラン濃縮工場や原発の使用済み核燃料の再処理技術・設備はあるが、技術上の制約から核兵器にはただちに転用できないとしている。

結論として、「ただちに独力で北朝鮮からの『核の脅威』抑止には間に合わない」という。そして、たしかに核保有は難しいという材料を探し出せばいくつも出てくる。

だが、核保有国になる手段は何も国産だけではない。私はそうした現実的な困難を論じるうえで最も大切なことは“日本人の意志”だと思う。日本人の独立の意志、心のあり方こそが問われる。戦後の日米関係のなかで、われわれはこの意志を挫かれ、国家意志そのものがないことにされてきた。何も日米同盟を破棄するというのではない。アメリカの負担を軽くするための核保有だと日本が説明し、決断すればアメリカも変わるはずである。

2006年3月、インドを訪問したブッシュ大統領は同国のシン首相と首脳会談を行ない、NPT未加盟のインドに対し、アメリカが民生用の核開発分野で協力するという協定に合意した。インドの核開発への協力について核不拡散政策の転換ではないかというアメリカ国内の批判に、ブッシュ大統領は「時代は変わりつつある。過去にしばられてはいけない」と語っている。

たしかに米印原子力協力協定の合意には、NPTを締結しないまま核を保有するインドを核管理体制に組み込む狙いがあったものの、核査察面から見れば、インドに自発的な査察を認めることで米露中英仏の核保有国と同じ扱いとなり、事実上インドを6番目の核大国として認知したのである。アメリカがインドにその“地位”を認めたのはインドが民主主義国家で、核拡散の懸念は小さいと考えたからで、この要件を日本は十二分に満たしているし、何よりアメリカの同盟国である。NPTの枠組みもまた、核保有を選択しようとする国の「意志」と「実力」による。

インドの選択が日本に何を問いかけているかを真剣に考えることが、戦後の“閉ざされた言語空間”を打ち破って日本が国家たること、運命を自ら決する主体となることにつながっていくのである。
(日下公人著書「『超先進国』日本が世界を導く」より転載)

---owari---
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