このゆびと~まれ!

「日々の暮らしの中から感動や発見を伝えたい」

人を見抜くこととは

2023年01月14日 | 歴史
⑱今回のシリーズは、徳川家康についてお伝えします。
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企業やビジネスマンにとって、現代は、
「戦国時代と幕末の複合時代だ」
と言われる。どちらかが単一に襲ってきた時代はいままでにも何度かあるが、二つがダブって同時に訪れたことはない。
それだけに、既成の方法のほとんどが役に立たなくなり、結局は、
「やはり人だ」
ということになる。

そのために、人材発見やその育成・活用が、いまやどこの職場でも合言葉になっている。
しかし、人を育てるのは植物を育てるのと同じで、
「この木は何の木なのか」
「花を咲かせるのか、実をならせるのか」
と、まずはその植物の持つ可能性を見極めなければならない。そうしなければ、どういう肥料を与え、時に剪定(せんてい)をし、副(そ)え木をすればいいのか見当がつかないからだ。

人の場合、この可能性や本質を見極めることを、
「人を見抜く」
と言う。人材の発見・育成・活用のスタートは、すべてこの「人を見抜く」ことから始まる。しかし、人を見抜くと言っても、ただ無目的に見抜こうとしても始まらない。

まず、「何のために」という“目的”をしっかりわきまえる必要がある。
ということは、
「見抜かれる側」
の状態以前に、
「見抜く側」
の状態が問題になる。つまり見抜く側が、自分の属している組織の目的をどう認識し、どう寄与しようとしているのかに加えて、職務に対する情熱や自己能力が深く関わりを持ってくるからだ。
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(信長・秀吉・家康の役割分担)
織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の三人の天下人は、奇しくも同じ現在の愛知県で生まれた。これは、偶然の出来事ではない。三人の事業にはそれぞれ、
「継続性・連続性」
があったからだ。戦国民衆という同時代人のニーズ(需要)を満たすために、三人の果たした役割は、次のとおりである。
●信長=旧価値観を破壊する
●秀吉=新価値社会を建設する
●家康=新価値社会を修正改良しながら維持する
言ってみれば、
●信長=破壊
●秀吉=建設
●家康=推持管理
という役割を負ったのである。そうなると、それぞれトップとしてのリーダーシップのとり方も変わってくる。
信長は信長なりに、秀吉は秀吉なりに、家康は家康なりに、
「自分の目的を達成するには、どういう部下が必要か」
ということが定まってくる。

(『歴史小説浪漫』作家・童門冬二より抜粋)

---owari---
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