⑲今回のシリーズは、徳川家康についてお伝えします。
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三者の城の特徴をあげると、信長は安土城を天下一統(てんかいっとう)までの政庁と見ていたようである。安土城の壮麗な外観は、かれの強敵に対する警戒色であった。信長は政治状況が変われば、どのようにも対応できる徹底した現実主義者である。安土城はかれにとって一時の本拠にすぎなかったと考えられる。
秀吉は信長に育てられた武将であるが、信長のような理想主義者ではなく、きわめて世俗的で権威主義的な考え方をした。かれは従一位大納言、関白、太閤と位人臣(くらいじんしん)をきわめ、子息秀頼にわが政権を譲ることに汲々として、信長にくらべあきらかに人物がちいさかった。大坂城はかれの現世欲の結実である。
家康は戦国期を生き抜いた経験によって、きわめて慎重な、攻めよりも守りの方針をつらぬいた。江戸城は家康の性格の通り、江戸を日本最大の城下町のかなめとして考えぬかれた、五層七階の大天守をいくつもの小天守が護る、環城型をとっている。
(小説『名将名城伝』作家・津本 陽より抜粋)
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