ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

〈老い〉を受け入れる

2024-03-21 10:21:32 | 日記
けさネットの森を散策していたら、素晴らしい言葉が落ちていた。落ちていたのは、ブログ「犀のように歩め」の林の中である。この言葉は、私がこのところ直面している問題に真っ向から答えるものであり、それだけに私の胸にぐさりとき突き刺さった。


このところ私が直面している問題、それは他ならぬ〈老い〉の問題である。長寿を幸福のシンボルであるかのようにみなす考え方があるが、私がこの考え方に疑問を持つようになって、すでに久しい。


馬齢を加えれば、だれでも身体のあちこちにガタが出て、不調に悩むことが多くなる。(悩み・痛みの多い)長い人生よりは、そうなる前にピンピンコロリとおさらばしたほうが良いのではないか、ーー毎朝、ベッドから起き出すときの腰の激痛に耐えながら、そう思ったりするこの頃なのである。


さて、ブログ「犀のように歩め」の林の中に落ちていた言葉は、佐藤愛子氏のこんな言葉である。


これからの老後は老いの孤独に耐え、肉体の衰えや病の苦痛に耐え、死にたくてもなかなか死なせてくれない現代医学にも耐え、人に迷惑をかけていることの情けなさ、申しわけなさにも耐え、そのすべてを恨まず悲しまず受け入れる心構えを作っておかなければならないのである。どういう事態になろうとも悪あがきせずに死を迎えることができるように、これからが人生最後の修行の時である。いかに上手に枯れて、ありのままに運命を受け入れるか。楽しい老後など追求している暇は私にはない。
(『こんな老い方もある』)


一々が〈老い〉の具体的な描写だから、説明は不要だろう。抽象度が低いリアルな描写だけに、一々が老いの身にはぐさりと突き刺さる。


ついでにこの言葉を教えてくれたブログ「犀のように歩め」の筆者の思いも紹介しておこう。


「『肉や慾や死生の葛藤』に真摯に向き合いながら、枯れてゆく生もあるのだと思います。
佐藤愛子の『こんな老い方もある』(角川新書)を読み返していて、改めてそんな思いを強くしました。枯れながら葛藤するという姿がそこにあると思うからです。次の文章は66歳のときのものなので、老いに向かっての佐藤愛子の宣言でもあります。」


66歳の佐藤愛子氏の言葉を引いたあとで、筆者はさらにこう書き継いでいる。


「どんなに頑張っても人は老いて枯れるのが『肉や慾や死生の葛藤』の果ての、どうしようもない帰結です。そうならば、それに真摯に向き合って、老いの傷や痛みにひるまず、『そのすべてを恨まず悲しまず受け入れる』ことが、上手に枯れることに繋がるのだと思います。」


茶人の著者は「上手に枯れる」生き方に理想を見ている。じたばたせずに静かに〈老い〉を、そして〈死〉を迎え入れる心構えを良しとするその著者の思いに、賛意を表したい。

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