ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

老子は危険思想家?(その2)

2016-02-09 08:56:14 | 日記
老子は48章で、こう述べていた。

「爲學日益、爲道日損。損之又損、以至於無爲。」

〔学を為(な)せば日々に益(ま)し、道を為せば日々に損(そん)す。

これを損して又(ま)た損し、以(も)って無為(むい)に至る。〕

(学問を修めると日に日に知識が増えるが、

「道」を修めると日に日に知識が失われていく。

知識を減らした上にまた減らし、

そうして無為の境地へと至るのだ。)


老子のこの言葉をどう考えるべきなのだろうか。

この文章の前半部に、問題はないだろう。

「学問を修めると、日に日に増える」のは、知識であり、

それも、実在する世界の事物(有)についての知識である。

そのような知識をこつこつと増やしていくこと。それが学問の特徴である。

しかし、それが学問の真骨頂だとは、

老子は考えなかった。

そう考えなかったこと、それこそが老子の独自な点と言えるのだ。

彼が「学」の習得に飽き足りずに、そこからさらに

「道」の体得へと向かわざるを得なかった運動の起点は、ここにある。

そんなふうに「学」への不満を感じたとき、

老子は「学」から一歩離れたところに身をおいていると言え、

例の「憂い」からも遠いところに立っているように思えるのだが、

それはともかく、

「学」の習得は「道」の体得とは違うのだと

老子が考えているとすれば、

老子は、学問の習得によって知識を増やすことの、

いったい何が問題だというのだろうか。

(つづく)
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