ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

老子は危険思想家(その4)

2016-02-11 11:06:42 | 日記
老子が学問による知識の習得の、その対極におくのは、

目や耳でとらえられぬものを見ること、

つまり「道」を見ることである。

学問の習得によって得られる知識が

有についての知識であるとすれば、

「道」の体得が与えるのは、

有を突きぬけ、

有についての知識をそぎ落とすことで得られる知識、

「無」についての知識である。

「道」とは目に見える事象の裏側に隠れているもので、

もともと名づけようがないものだ、

とする老子にとって、

「道」についての知識は

「不言の教え」とならざるを得ないが、

言葉を用いないこの教えは、

靜観という「無為」を実践することで

眼差しをそのまま世界の内奥へと導くことにほかならない。

この無為の実践は決して無益なことではない、と老子は言い、

「道」の体得の有用性を強調する(43章)。

老子がなぜ有用性にこだわるのか、その理由は判然としないが、

老子がそのことを疑わないとすれば、それは、

世界の内奥にある「道」が「万物を生み育て、

万物にエネルギーを与えている」とする信仰が、

ここにもまた貫かれているからである。

コメント (2)
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