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初アメリカ西海岸&ハワイ9日間の旅(1974年12月27日―1975年1月4日)

2019-04-28 14:07:05 | 海外旅行

今日までにLight77さん「イイネ2回とコメント2回」頂きましたアリガト。goohanasakuさん「ファイト2回」頂いたので急いでこの旅行記仕上げました。励みになります。14190456さん「イイネ」Thanks。nogappaさん「役立った1票」有難う。MKママと田舎おやじさん「イイネ、フォロー、コメント」頂き感謝。hata-8さん「イイネ」アリガト。Atelierさん「フォロー」下さりアリガト、これからも( `・∀・´)ノヨロシクです。 

初アメリカ西海岸&ハワイ9日間の旅(1974年12月27日―1975年1月4日) 

実は1973年にアメリカ・アラスカ旅行に行ったので、正確には「初」ではない。しかしアラスカは言わば準州みたいなものだったから米本土へは初と言うことになります。「JTBルック ラスベガスとアメリカ西部&ハワイ9日間」なるツアー。この時は仕事仲間と二人で参加しました。 

12月27日、羽田発今は懐かしいパンナム機でサンフランシスコめざし出発。出発が1時間半遅れたのに、偏西風に乗って大揺れに揺れながら定刻朝7時着。サンフランはあいにくの雨で空からゴールデンブリッジは見えませんでした。ルート101号線で霧と坂の町サンフランシスコ市内へ。最初の訪問地はシビックセンター。 

当時としては日本より何でも進んでいるなと言うのが第一印象でした。連邦政府、市役所、オペラハウス(第二次世界大戦講和条約の締結場所)等外から拝見。続いてツインピークス(双子丘277m)に登ったが生憎の天気で本来見えるはずの太平洋岸、サンフランシスコ湾、ゴールデンゲートブリッジは文字通り霧の中でした。 

その後日本人町訪問と言ってもそこに日系人が多く住んでいる訳ではなさそう。続いて金門公園へ。日本庭園、野外音楽堂、水族館、プラネタリューム等がある結構広い公園。最後に入った「デ・ヤング美術館」でショックを受けたのは「銅鐸のコレクション展示室」を見た時。 

こんな素晴らしい日本文化財がさりげなく、それも多数展示されている事に驚きと、流出していることへのショックでした。着いたときは横殴りの風雨だったゴールデンブリッジは徐々に風雨も収まり全貌を見ることが出来てラッキーでした。その後はフイッシャーマンズワーフ(漁夫の街)で昼食。ユニオンスクエアーのホテルに到着。夕食はチャイナタウンでした。このホテル、バスタブ、ベッド、洗面台、全てでかくて変なことにアメリカだなと感心した。 

28日は自由行動日。天候も回復しケーブルカーにのってフィシャーマンズワーフヘ行ったり、坂の道を登ったり下ったり、碁盤目に区切られた市内は地図で東西南北さえ間違わなければそう難しい場所ではなかった。市内が一望のもと見渡せるコイットタワーにも登りアルカポネが収監されていたアルカトラス島も確認できた。 

当時西半球で最大と言われたチャイナタウンでは、アメリカナイズされないで街並みや生活ぶりが昔の支那そのものかと思わせられた。二人なので気が強くなり、近づかないことと言われていたダウンタウンのテンダーロイン地区とかマーケット通りの南側もチラリと見たりで冒険気分も味わいました。夜には「Off Broadway」と言うストリップ劇場にも行ったが時差ボケで眠くて仕方がなく早々に引き上げて帰りました。29日はロスへ移動です。

判るかな?今は亡きパンナム機です

連邦政府

ツインピークスから 遠望できず

日本人町のコンクリート製の五重塔風バゴダ

晴れてきたゴールデンブリッジ

対岸です。

遠くにサンフランシスコの全景が見えます。

ケーブルカーです 当時は空いてました。

ピーター&ポール教会

サンフランシスコ湾クルーズ発着所

蝋人形館前

坂が多いです

坂の両側にはびっしりと住宅が並ぶ。

遠望できるコイットタワー

右手の小島がアルカトラス島です

チャイナタウンから見た市街

チャイナタウン 今となっては珍しくもない風景

サンフランシスコの高級住宅街

 

 

 

 

 

 

 

コメント (3)
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