ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

誰もが戦争犯罪人を裁けない

2023年05月13日 | 日記

            黄色のツルバラ

 ウクライナ・ロシア戦争の行方が気になる。短期で決着がつくかと思ったものが、今では長期にわたって続くのではないか、との予想がおおかたの専門家から出てきている。
 戦争が長引けば、長引くほど被害は大きくなり、収拾が付け難くなる。それなのに、なぜ長引くことになるのか。おそらく両国とも全面戦争に踏み切れないからなのであろう。ウクライナは当初から防戦のみで、国境を超える意思はない。ロシアにしろ、ヨーロッパ諸国のバックアップがある状況下では、全面戦争には踏み込めない。特に最後の切り札である核爆弾を全面に押し出すことはできそうもない。
 そうした中、戦争犯罪は次々と勃発する。敵国を犯罪人として告発し、開戦したのだから、兵士たちの戦闘は敵国を壊滅する以外に方途はない。民間組織であるワグネルなど、市民をさえ殺戮し、犯罪を繰り返している。そもそも民間組織が武力を組織し、独自に武力攻撃をするなど、通常では考えられない。ところが戦時状況ではなんでもが許されるのだ。
 では、戦争そのもの、つまり戦争を指揮する責任者を裁くことはできないのか。その人物を裁けなければ、戦争は永遠に続き、犯罪は積み重ねられる。
 私はプーチンのことを言っている。ロシアという国家主権を代表しているから他国が連合しても裁けないのだろうか。
 第二次大戦では日本とドイツが、戦争犯罪人として裁かれた。敗戦国だったからである。敗北ではなく、休戦状態では裁くことはできない。最近では、イラク=サダムフセイン、リビア=カダフィ、ルーマニア=チャウシエスクなどの大統領は、裁判にかけられずに、直接殺害された。ロシアも同じ道を歩むのだろうか。
 戦争を、戦争責任者を裁けないのは、なぜなのか。国家という防壁があるからなのだろうか。問題なのはその国家という代物である。ロシアの前身であるソ連は国家を否定することで世界制覇に撃ってでた。そのインタナショナリズムが逆に国家という代物を強化した。平和な時代には影に隠れているが、国家を制御することこそ現代の難問である。
 国家の犯罪は、これを裁けるのはその国の国民だけなのかもしれない。とすると、国家の犯罪を裁けない国は、国民自身に責任があるとも言える。
 さて、今回のG7の広島開催、これは国家の強化にほかならない。明らかにウクライナ・ロシア問題の陰影部にあたる。【彬】

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする