吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

FC2BBSから移動しようと目論んでいます。
http://reyline.web.fc2.com/index.htm

熊本の天社宮と加賀の郡家神社の関係 No294

2011-08-31 12:37:49 | 神霊界考察
熊本の天社宮や味噌天神等で祀られる初代国司の道君首名公
越の國の道君家を出生地とし
奈良の都の官吏としては
律法=今の国会機能として大宝律令の作成に関わり僧尼令を講義し
外務省としては新羅大使となり
県知事としては筑後肥後守に任じられ
宗教家としては病気平癒を『小天天子宮』で行い
土木指導では柳川の水路や筑後川・菊池川・白川の河川を整備し味生池を作り 
農業指導を行い農民に感謝され
文学家としては懐風藻に漢詩を残すほどである。
公式な国の歴史書の続日本紀にも
官吏としては異例とも言える長文の記載で道君首名公の業績が褒め称えられている。
人として初めて神として祀られた最初の人物としても知られる。
※正史以外では藤原鎌足の談山神社説があるが
これは調査の結果藤原不比等の偽装と考えられる。
自分で自分の親を神として崇めさせるという事は不遜以外の何物でもない。

道君は越の出身であるが
今回ネットで調べていて新しい発見があった。
『のっティ新聞VOL.11』
道君の本貫地とされる金沢・森本にある「郡家神社」についての記載だ。
これが道君首名公の氏神社の一つではないかと感じた。
「明治初年 社名を少名彦那神社と称す」とある。
さらに調べると
「延喜式内社で、聖武天皇天平5年=733年の創祀と伝え、
もと吉原村山中杉ノ水と称する霊水の辺りに在ったが
醍醐天皇延喜5年現在地に移り、
延喜の制、国幣小社に列せられ、
貞観18年正六位から従五位下を授けられた古社にあてられる。
奈良朝より加賀国造石撞別命累代の崇敬篤く、
社領の寄進等あり、明治6年8月村社に列格。」
ということが分かった。

とうことは肥後の地で道君首名公が少彦名神を祭祀したことが
この地にまで伝わり創建された神社だということがわかる。
つまり由来的には天社宮(小天天子宮)からの勧請社ということになる。

それで道君首名公にあやかり加賀国造の崇敬が篤かった訳である。
この郡家神社は別名「薬師の宮」とも呼ばれていたそうであるが
これは少彦名神を祭祀している所以である。
現在は主祭神が大巳貴神(大國主命)となっているが
主祭神の入れ替えは残念なことである。

ついでにこの記事には
道君の道の出自はアシカのことではないかという事が書かれている。
『武内宿禰や蘇我氏に繋がる須賀社 続編 No166』
で考察しているが確かに「道」とはアシカのことでもある。
ここでは道中貴命を基準に
語源は「葦鹿」で「葦(アシ)の生えているところにいるシカ」の意味であるという。
つまりアシもスゲでありアシカも菅=須我に通じる言葉ということになる。
と記載しているが道君も菅=須賀に関わる一族であろうか?
ここで八代との繋がりが出てくれば確実なのだが
少しばかり面白いものを発見した。
『金沢市吉原町 郡家神社の解説板』
社紋が八輻法輪となっている。

法輪のスポーク=輻(や)が八本になっているものだ。
この八は八大人覚八正道を表わすといわれているが
私には道君が須賀につながるメッセージにも受け取れた。

継体天皇と蘇我氏と越の国との関わりを明確にしたいと調査中だが
道君は武内宿禰の子孫という系図も存在するので
当時は道君は菅=須賀=蘇我氏と同族であるとの認識があったのかもしれない。
※一般には四道将軍の一人の大彦命の後胤とされる。
もともと筆者が蘇我氏を調査するきっかけとなったこと自体が
『飛ぶ鳥を落とす勢い No284』に書いた通り
道君首名公の神霊に感応があったことによる。
従ってこの件についてはさらに今後のテーマとしたい。

ところで飛鳥時代の有能な官吏である道君首名公の神霊は
現在の日本における官僚の国に対する忠節心の無さを嘆かれている。
また自ら大王の地位にありながら官吏としての範も示した武内宿禰公の神霊も
同様に嘆かれている。
この二霊はこの国を守ってきた偉人が昇格した大神霊であるが
この二霊を崇敬する後続の官吏が菅原道真公ということになる。
私は官吏三大神霊とお呼びしているが
菅原道真公は御存知のように天誅をもたらす神霊である。
菅原氏は奈良の菅原町に由来する名前であるが
元は土師氏であり先祖は野見宿禰であるが野見宿禰は天穂日命の14世の子孫である。
従って彼の死後の霊的背景には血縁由来は薄い。
菅原道真は883年に兼任ではあるが加賀権守になり石川県に出向いている。
その後886年讃岐守を拝任しているが、
これらにより道君首名公の本貫地のことを熟知していたと考えられる。
また讃岐の満濃池を初めて造ったのは、
「萬農池後碑文」によると大宝年間(701年~704年)に
讃岐の国守道守朝臣(みちもりあそん)の創築となっているが
この讃岐国司という道守朝臣は道君首名のことではないかと考えている。
また平安時代になって賞されるべき官吏と言う事で道君首名公は再評価され
孫の道公廣持は835年承和二年に當道朝臣の姓を賜っている。     
(※君の字は天子を意味するので使用禁止となり公と書換え)
菅原道真が大宰府に流された際にも
道君首名公の偉業を目にしたことは想像に難くない。
柳川の水路や一級河川の整備に農業政策に国司としての統治能力には
同じ国司として先輩である道君首名公の多能な業績に驚いたはずだ。
大宰府に流される際に少彦名神の神霊に祈った道真公だが
同じ藤原家により九州の地に追いやられた道君首名公の思いを
十分に理解したことであろう。
大宰府での境遇を呪う道真公は天拝山に登って祈願をしている。
この際に神となった道君首名公と武内宿禰公と道君首名公が祭祀した
少彦名神と大國主命に祈りを捧げたと思える。
彼の死後彼を霊界から神霊界に引き上げることとなったのは
この天拝山での祈り故である。
菅原道真公は「天満大自在天神」として思う存分に藤原に祟る。
この官吏三大神霊が今まさに動き始めている。

もちろん祟るのは官僚と政治家ということになろう。




応援してくださる方はこちらをクリックお願いします。
日記@BlogRanking

人気ブログランキングへ
コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

石川県「かほく」の浜の海難事故の霊的背景 No293

2011-08-30 02:54:04 | 神霊界考察
石川県「かほく」の浜で鳥肌が立つ事故が多発している。
今回の事故はそれぞれは偶発的事故であるが
全体では鳥肌が立つ霊的な要因が潜んでいる。
脅かすつもりではないがここで泳がれた方は
しばらく事故などに用心したほうがいい。

私自身も過去何回も離岸流に巻き込まれたり
大波に巻き込まれるなど危険な経験をしてきたが
そういう無謀な行動による危険さと違い
霊的な背景による海難は全く別次元の怖さがある。
幻惑により危険を危険と感じなかったり
あまりにも危険予知出来ない危険が迫りくるからだ。

ニュースで『妻が掘った穴に落ちて新婚夫婦が死亡した』と聞いて
鳥肌が立ってしまった。
きっかけはちょっとした悪ふざけなのだが、
心に衝動が走り思考が薄れて
後で考えるととんでもないことをしてしまっている。
穴は落とし穴として掘ったもので海岸に2.5mも掘ったという。
土木工事では高さが2m以上掘削したり
あるいは切張や腹起こしのような土留め作業には
地山の掘削及び土止め支保工主任技術者の設置による
安全確保が必要とされている。
もしこの穴が1.5m以下であれば危険度は大幅に下がる。
2.4m×2.4m×2.5mとすると14.4m3で
比重を2.5とすると36tonもの砂の量になる。
バケツで運び出すとすれば3000回程度の膨大な回数のリレーとなる。
なんでここまで深く掘ったのかについて
いわゆる憑かれていた状態であったことが簡単に想像がつく。
事故の際も考えられないことに頭から落ちたようで
逆立ち状態で埋まっていたらしいが
これが普通に足からであったら何事もなかったかもしれない。


それでこの場所で過去に他にも事故等が起こっていないかを調べてみた。
以下ざっとネットで見つかったこの浜辺一帯で起った事故だ。
子供たちが夏休みになる今年2011年の7月20日から8月末までの40日の間に
7件の事故が見つかった。


********************************************************************************************
8月27日午後10時45分頃、石川県かほく市大崎の大崎海岸で、
「夫婦が砂浜の穴に落ちた」と男性から119番があった。

駆けつけた消防署員が約1時間後、砂浜に掘られた穴の中から男女2人を引き上げ、
病院に搬送したが、間もなく死亡が確認された。

同県警津幡署の発表によると、
2人は金沢市湖陽、会社員出村裕樹さん(23)と妻で事務員の里沙さん(23)。
共に頭を下に上半身が埋まった状態で見つかっており、死因は窒息死とみられる。

同署などによると、里沙さんと友人の男女5人は、
9月1日に誕生日を迎える裕樹さんを驚かせようと、
27日昼過ぎ、波打ち際から約40メートルの砂浜に、
約2・4メートル四方、深さ約2・5メートルの落とし穴を掘り、
シートで覆って砂をかけておいたという。穴の中からはマットが見つかり、
周辺からスコップやはしごが見つかった。
*******************************************************************************************
8月22日午後4時20分ごろ、内灘町向粟崎の内灘海岸で、
「(一緒に来た友人が)行方不明になった」と、119番通報があった。
県警ヘリ「いぬわし」などが一帯の海域を捜索。
約1時間後に岸から約100メートル離れた海中から、
生徒を引き上げたが、搬送先の病院で死亡が確認された。

津幡署などによると、死亡したのは、
金沢市八日市1の県立高2年、道勧裕次郎さん(16)で、
友人6人と海水浴に来ていた。
生徒は、岸から約60メートル離れた
遊泳禁止区域を示すロープ付近で遊泳中におぼれたらしい。
*******************************************************************************************
8月18日午後3時10分頃、内灘町粟崎浜町の内灘海岸で、
友人3人と海水浴をしていた金沢市芝原町、大学院生安田清貴さん(23)が溺れた。
ほかの遊泳客が救助し、病院に搬送されたが、安田さんは意識不明の重体。
同海岸では今夏、水難事故が相次いでおり、
金沢海上保安部などが警戒を強化したばかりだった。

同海保の発表によると、安田さんは同日午後2時頃から、
友人らと遊泳区域外で泳ぎ始め、3時頃に3人が深みにはまり、
2人は自力で岸にたどり着いたが、安田さんの行方がわからなくなった。
遊泳客の女性が110番し、同海保や警察、消防が捜索。
協力した遊泳客の男性が約20分後、海底に沈んでいる安田さんを見つけた。

※海底に沈んでいたとすればかなり危険な状態だと思える。
意識の回復を切に祈りたい。

********************************************************************************************
8月16日午後5時25分頃、石川県かほく市の大崎海水浴場で
内灘町大清台、 主婦河嶋智子さん(38)が流されたと118番があった。
河嶋さんは行方不明で金沢海上保安部や県警などが捜索している。

津幡署の発表によると、
河嶋さんは夫(37)と長男(6)、次男(4)の4人で海水浴に来ており、
沖合約50メートルでおぼれかけた夫と子供を助けに行き流されたという。
長男は近くで泳いでいた海水浴客に救助されて助かり、夫は自力で陸に上がった。

※次の日に妻の遺体が発見されている。

*********************************************************************************************
8月3日内灘海岸で消波ブロックから飛び込んでいた内灘町の男子高校生(16)が
溺れて死亡した。
*********************************************************************************************
7月21日内灘海岸でビニールボートで遊んでいた同市の会社員男性(24)が溺れて
意識不明の重体で病院に運ばれる。
*********************************************************************************************
7月20日に内灘海岸で金沢市のアルバイト男性(19)が溺れ、
病院に搬送される事故が発生。
*********************************************************************************************


津幡署管内数キロの浜でここまで複数の事故が起こるほうが不思議だ。
単なる海難事故者の自縛霊や不成仏霊が起こしている事故とは思えない。
ここでさらに鳥肌が立つことが頭をよぎった。

たぶん....

:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*:*

昨日の深夜にこのたぶん以降の文章を書いて投稿しようとして
記載した部分が全て消えてしまった。
サーバーが死んでいていつもは自動保存されていて
復元できるバックアップデーターも無くて復元不可能だった。
吉田一氣の予想が的を得ていたことは確信できたが
警告により公表が困難となってしまった。

霊的な妨害であろうか?

それでも愛読者のためにいくらかのヒントは残したい。
水奈月より一連の神事を行っているが
熊本霊ラインの崩壊と中央構造線の西の端になる天社宮と東の端になる酒列磯前神社で
神聖なる場所が荒らされた。
この伝えるメッセージが非常に重要だということである。
『酒列磯前神社の調査 No277』
『熊本霊ラインと熊本大災害 問題提議篇 No264』
『熊本霊ラインと熊本大災害 対策検討篇 No265』
『水無月は水の月  No267』
『二十一日祈願と忌服 No272』
『21日祈願と平行して行なった写経について No275』
天社宮と万日山と酒列磯前神社の攻撃で
熊本霊ラインへの祈りと中央構造線への祈りの霊流が無くなったので
自宅でミニ霊ラインを構築し熊本の地の震災息災祈願を執り行った。
この際に道君首名公の神霊と彼の一族が奉祭している白山神の力をお借りし八大龍王神を動かした。
この神事では私を少彦名神と武内宿禰公の神霊が保護してくださった。
本来なら道君氏一族の拠点である越に行き白山神社にも参拝することが筋だったのかもしれない。
現在日本には大きな歪がいくつか生じているようだ。
今回の一連の事故が道君首名公の本貫地で起こったことが示していることがある。
『道君の本貫地は金沢・森本の河北潟に面した地域』

これ以上は書けないので賢明な読者様は推察をお願いしたい。










応援してくださる方はこちらをクリックお願いします。
日記@BlogRanking

人気ブログランキングへ



コメント (37)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

唐津の浜で鎮魂お焚き上げの報告 No292

2011-08-25 11:12:30 | 神霊界考察
以前の記事に『21日祈願と平行して行なった写経について No275』
記載しているが、今回この写経した用紙をお焚き上げしてきた。
佐賀の唐津に知り合いのユタさんが居るので彼女にお願いした。
スケジュールがなかなか合わずにやっと
先週の土曜日の8月20日に行ってきた。
その日は嫁が朝早くから供物の筑前煮やら御結び等を準備した。
朝9時頃だが近くのスタンドでガソリンを入れてさあ出発という時になって強烈な雨が降り出した。
もともとこの写経は『水那月は水の月  No267』
『二十一日祈願と忌服 No272』
『21日祈願と平行して行なった写経について No275』
で記載したように
水の月である水那月の六月にに水の女神と八大龍王神の力を借りて
震災厄除と死者の鎮魂の意味と霊的な呪を断ち切るために執り行ったものであった。
6月は記録的な豪雨となったけど、当然本日も豪雨となるのは仕方が無い。
ワイパーを動かしても前も良く見えないくらいだったが
熊本と佐賀は天気も違うだろうと思って行くことにした。
高速に乗ってしばらくすると少しおさまったので
途中で寄り道して武雄市の武雄神社にまず参拝してきた。
ここに天神様を祭る楠の大木があるのだ。

      
大きめの写真を貼り付けたのでクリックして拡大してみてもらいたい。

武雄神社は武内宿禰を祭る神社だが
武内宿禰は蘇我氏の祖である。
この武雄神社は御船山の中腹にあるが
この御船山という名前の由来は実際にこの山が船の形をしているからである。
   『A地点が大楠の場所』

この山を見て『熊本で素戔嗚尊を祭祀する北岡神社にて No278』で記載している
美具久留御魂神社から望む二上山を思い出してしまった。
もしかすると飛鳥の蘇我氏の故郷を懐かしむ原風景は
この二つの峰を持つ武雄の御船山ではなかろうか?
この武雄には武内という地名もあるし
数キロ離れたところにある黒尾大明神には武内宿禰の母が祀られている。

一度武雄あたりの古代史も調査してみたいものだ。

さて実際に佐賀についてお焚き上げをお願いしていたユタさんに会ったら
雨が降るとお焚き上げが出来ないので来ないものと思っていたそうだ。
私としてはまさか雨が降ると出来ないということは想定していなかった。
タープを張るなり傘を差すなりして強行出来ると思っていたのだが、
いつもは霊の天界への旅立ちに折り紙の折鶴を使っているそうで
雨が降るとだめだということだった。
今回は折鶴の話もなぜか手違いで聞いていなくて準備していなかった。
でも結局、志賀海の龍神さんにお願いして数多くの霊を上げていただいた。

お焚き上げした場所はユタさんの家の目と鼻の先の
海に面する住吉神社の裏の浜だったのだけど
観天望気によるともう雨が降り出す寸前だったのに
不思議と降らなくて妙に感心されてしまった。

やはりお焚き上げは人に見られると
霊が取り付くこともあるので余り良く無いらしいのだが
ここは綺麗な浜なのに両側が封鎖されていて
人が全く寄り付かない場所でロケーションは非常に良かった。
まるでプライベートビーチのようで
近くにこういう浜があったら酒でも飲みながら
ボーっと一日を過ごせて楽しめそうだ。
    

無事お焚き上げは完了して
鎮魂の成果はあったと感じている。
ひとまずはほっとしている。






雑談
夏休みも終わろうとする最近ブログのアクセスで
『読書感想文 「働かないアリに意義がある」 No207』
検索上位に上がってきている。
どういうことかというと、
中学生の夏休みの宿題の読書感想文のネタになっているようだ。
私の文章とは限らないが大半をコピーしている子供もいるのだろう。
ネットは楽するためにあるのでじゃんじゃん活用・盗用して結構。
ただせめて半分は理解してもらいたいと願う次第だ。
あと働かないようにみえる蜂が働き出す閾値が違うことが
いろんな多様性をもたらす(意義がある)のは
思考回路が無く本能により行動する昆虫などの社会生活をする動物だけで
人間はこの本能により行動しはじめる閾値を
いろんな感情や知恵で代替しているのであてはまらない。
ぐうたらが実は社会の役に立つかもしれないという
言い訳にはならないので一言付け加えたい。




応援してくださる方はこちらをクリックお願いします。
日記@BlogRanking

人気ブログランキングへ
コメント (5)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

美具久留御魂神社の「白雲宮」と二上山の「深蛇大王」 No291

2011-08-17 16:06:22 | 神霊界考察
先日、『熊本で素戔嗚尊を祭祀する北岡神社にて No278』の記事にて
富田林にある美具久留御魂神社について
1.うらら様から富田林にある美具久留御魂神社がとても気になっていますというコメント
2.二上山の秘密とこの神社で古くに為されたある事の秘密
3.美具久留御魂神社の読みが「三輪に括る」ではないか?
4.『北岡神社で茅の輪の案内』が二上山と美具久留御魂神社の暗示
5.富田林にある美具久留御魂神社にはなんらかの秘密が隠されていそうだ
というような趣旨のことを断片的に述べている。

今回うらら様が美具久留御魂神社に参拝されて
ブログにその『みぐくるみたま』参拝記を載せられている。
この記事によりいくつかのことが分かったので
それで断片的であった内容をまとめたい。

まず二上山は三輪山と同じく縄文祭祀の気配がある霊山である。
三輪山は大物主神・大己貴神・少彦名神が今は祭祀されているが
もともと賽神が祭られていた神奈備山である。
同様に二上山は雌岳雄岳の二峰を少彦名神大國主命が造った
という伝承を持つがこの山には縄文祭祀の跡がある。
柿本人麻呂歌集に以下の歌がある。
大穴道少御神作妹勢能山見吉
大汝少御神の作らしし妹背の山を見らくよしも
もしかするとこれが原点だとするとこの妹背の山が
二上山ということになるのだが
妹背の山を二上山に断定する根拠は乏しい。
現在この二上山の神社は葛木二上神社となっていて
祭神は豊布都霊神と大国御魂神となっている。
今回ここでテーマとする神霊はとりあえずはこの二柱の神霊ではなく
当麻寺中之坊所蔵の「当麻寺付近絵図」に記載されている
二上山の雌岳に祀られていたという 「神蛇大王」 である。
「当麻寺付近絵図」や奈良県史の二上山で出てくる神蛇大王とは
実は役の行者(役小角)が葛城の大神として祭祀し
二上山にも勧請した「深蛇大王」とも呼ばれる
八大龍王神の氣を宿す大蛇である。
まず役小角と八大龍王神との関係は
『古墳時代有終の八角墓 No288』に記しているので是非読んでいただきたい。
役行者は二上山に残る縄文呪詛を八大龍王神の神力で封印して
「深蛇大王」として祭祀したものと思われる。
この深蛇は般若面の真蛇とも繫がりそうである。
また今回素戔嗚尊を祭る熊本の北岡神社で「茅の輪の案内絵図」 が
二上山と美具久留御魂神社の暗示となっていたが
素戔嗚尊は祇園精舎の牛頭大王から「深沙大王」に結びついた。
この結びつきについてはマル秘とさせていただきたい。
深沙大王は疫病を除き魔事を遠ざける効能のある水神である。
深大寺に『開創と水神「深沙大王」の縁起図』がある。
「深沙大王」と「深蛇大王」は同じ水神でかなり類似するところがあるようだ。
深沙大王は絵姿では白蛇を持つがこれも後述する長尾神社の水光姫命の白蛇に繋がる。
『深沙大王』

美具久留御魂神社の縁起にも蛇が出てくる。
祟神天皇の10年この地に五彩の巨蛇が現れて農民を悩ましたので、
天皇は親しく妖蛇の巣窟を見られ
「これ大国主神の荒御魂の荒ぶるなり宜しく祀るべし」と
仰せられて祀らしめられた。
つまりこの伝承は三輪山と同じく縄文蛇神である賽神を
封印祭祀したということになる。

また二上山に近い葛城の当麻にある長尾神社には
水光姫命、白雲別命が祭られているが
ブログ検索で『神奈備の長尾神社』の由緒によると
水光姫命が応神天皇の御代に当麻町竹内の三角岩に降臨され、
子孫の加彌比加尼に命じて長尾に祀らされたものでお姿は白蛇であった。
父神が天より降臨された天白雲別命であるというのは、
白雲が雨をもたらし、雷にもなるところから、
水の根源を現したものでありますとある。
ここには興味深いことに
女神を祖神とする唯一の氏族が吉野連という記載と
吉野連の祖は井光の宗女の水光姫のことを
豊御富(トヨミホ)とも呼ぶということが記載されている。
このトヨは後述するように水の女神と密接な関係にある。

さて今回うらら様のブログ記事によると
本殿背後の旭山は真名井ヶ原とも呼ばれているということ
本殿の向かって右側にある小さな祠から光が差して
どなたかがおられるかのような不思議な感じがした摂社があったが
その社は「白雲宮」と記載されていたとのこと。
この写真を拝見した時に
白雲宮には少彦名神の御神気を感じた。
この神社は葛城との縁があるようだが
たぶん霊的には葛城の白雲峯の高皇産霊神を
祭祀しているように思えた。

ただ今回うららさまの縁を考慮すると
面白いものが見えてくる。

今年の5月16日に『物部氏の三輪での祭祀の背景考察 No263』にて
籠神社の上にある奥宮の真名井神社についての記載をしているが
5月22日にうららさまが真名井神社に参拝されている。
その時の記事が『天の真名井の水と波せき地蔵さん』
『なにごとのおはしますかはしらねども』である。

その後縁があってうららさまには天橋立南端にある智恩寺に参拝していただいた。
その時のうららさまの記事が『九世戸文殊の文樹』である。
吉田一氣が
「匏は水の女神と月と少彦名神がキーワードでしょうね。
ところでここは前記記事の通りに文殊菩薩もキーワードなのです。
若狭湾に面する天橋立南側にある天橋山智恩寺には行かれましたか?
高速増殖炉もんじゅの顛末の和合にはこの2社の参拝祈願が必要でしょう。
とにかく文殊菩薩の功徳が無くなるとしばらく竜神様は暴れるでしょうね。」
と脅しのようなコメントしたのですぐに智恩寺に参拝していただけた。
しかしこの件でしっかりとうららさまと水の女神との神縁が結ばれたようである。

さてこれらの縁を考慮して
うららさまが感応した 「白雲宮」の水の女神の導き を考えると
再び柿本朝臣人麿歌集 巻7 1282の
橋立 倉椅山 立白雲 見欲 我為苗 立白雲
橋立の倉椅山に立っている白雲よ。見たいと欲すれば湧き立つ白雲よ。
という歌が思い出される。
この橋立も天橋立なのかは分からないが白雲は龍神と考えられる。

「丹後風土記残欠」という古文書がある。
丹後とは籠神社や真名井神社や天橋立のある地域だが
これによると
真名井、白雲山の北郊にあって、清いこと麗しい鏡の如し。
けだし、これは豊宇気大神が降臨した時に当たり、湧き出た霊泉である。
その深さ3尺あまり。その周囲は122歩。
日照りにも涸れず、長雨にも 溢れず。いつも増減しない。
その味は甘露のようで、万病を癒す力がある。
傍に、祠が二つある。
東は、伊加里姫命、或いは豊水富神と称す。
西は、笠水神即ち、笠水彦命笠水姫命、の二神。
これは、即ち 海部直たちの斎きまつる祖神である。

つまり 美具久留御魂神社の白雲宮の水の女神は丹後の豊水富神・笠水姫命にも比定出来る。 
どうも美具久留御魂神社は丹後の真名井神社を模しているような感じだ。
本殿背後の旭山は真名井ヶ原とも呼ばれるというが
旭山は白雲山であったのかもしれない。
それに二上山の葛木二上神社の祭神には豊布都霊神と
トヨが付いているが
丹後の方も豊宇気大神や豊水富神というようにトヨとなっている。
そして葛城の方も長尾神社の由緒によると
白雲別命の娘が水光姫=豊御富となっている。
これは丹後の豊水富神=葛城の豊御富と考えて良い。
水の女神である「白雲宮」が二上山との繫がりで
蛇である深蛇大王や八大龍王神の氣を呼び
それがトヨの女媛に掛かったのである。

さてうららさまの産土は美具久留御魂神社の方になるので
丹後には産土の神の威信により出向いたということになる。
今回知らぬ知らぬ内に丹後の出来事を
産土神に事後報告した次第というのが結論のようである。

さて肝心のトヨであるがこの件は別の機会で報告したい。


応援してくださる方はこちらをクリックお願いします。
日記@BlogRanking

人気ブログランキングへ
コメント (7)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高師小僧と蘇我氏 No290

2011-08-16 10:24:34 | 神霊界考察
前回『古墳時代有終の八角墓』で『方格規矩四神鏡 』について記載したが、
この鏡についてネット検索していて面白い記事を見つけた。
『褐鉄鉱容器に納められたヒスイ勾玉』という記事で
内容は褐鉄鉱容器に納められていた2点のヒスイ勾玉が見つかったが
この意味について仙思想の仙薬である太乙禹余粮との関係から
褐鉄鉱容器に納められていた2点のヒスイ勾玉についての意味を考察している。
当時日本に中国からもたらせられた方格規矩鏡の銘文に
「神仙界を訪ねて玉を食べ黄金を摂れば
官位は昇進し子孫は繁栄する」と記載されていて
玉と神仙思想との深い繋がりが見受けられると結んでいる。
実際の褐鉄鉱容器の写真の方は前頁になる『ヒスイ勾玉を納めた褐鉄鉱』という記事
にあるので参照していただきたい。
ところで神社では魔除けに鈴を鳴らすが
この鈴の原型が褐鉄鉱容器にあると考えられている。
まず全国各地に鳴る石と呼ばれるものが産出している。
天日に当ててよく乾かし強く振っていると
次第に内側の粘土が剥がれて丸く固まり鳴り出すそうである。
それとは別に鈴なりという言葉を感じさせる鈴がある。
葦や茅といったイネ科の植物の根元に
鉄バクテリアが住み大きな水酸化鉄の殻を作ることが知られており、
殻に覆われた植物の根は枯れて後には空洞となり
振るとチャラチャラ音のする褐鉄鋼の鈴が出来ることがある。
これを「高師小僧」と呼ぶ地方がある。
この高師小僧に含まれる褐鉄鋼は
ふいごを用いた「たたら製鉄」より低い温度で精錬出来るために
縄文時代末には日本でも製鉄が出来ていた可能性がある。
日本は古来「豊葦原の瑞穂の国」と呼ばれてきたが
この豊葦原とは
豊かな広々とした葦原のようにみずみずしく美しい稲穂が実る国
という意味ではなく
鉄器を生産するのに適した褐鉄鋼の葦原が多い國
という意味だった可能性もある。
「み薦刈る、信濃の真弓、我が引かば、貴人さびて、いなと言はむかも」 万葉集2-95
という歌があるが信濃の枕言葉であるみ薦刈るとは葦を刈るという意味で
葦は生活に密着した素材だったことが分かる。

筆者は蘇我氏の封印された歴史を紐解こうとしているが
蘇我氏が菅や葦に繫がることは以下の記事で述べている。
『蘇我と須賀をつなぐもの No014』
『蘇我氏と鳥 No122』
『相生の須賀神社は蘇我氏の神社 No133』
『武内宿禰や蘇我氏に繋がる須賀社 続編 No166』
ということは縄文神祭祀の歴史を持つ蘇我氏は
勾玉だけでなくこの菅から作られる鈴や鉄器も造っていた可能性が高い。


応援してくださる方はこちらをクリックお願いします。
日記@BlogRanking

人気ブログランキングへ
コメント (5)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

金融界が崇める神-米国債 びっくり茶番のウロボロス No289

2011-08-12 12:17:06 | 神霊界考察
ウロボロスとは己の尾を噛んで環となった蛇のことだが
終わりの初めであり始まりの終わりである。
循環的であり無限の繰り返しであり完全性を持っている。
そしてこの世界を支配する金融システムにおいて
完全なのは米国債であると信任されている。
この神である米国債のランクがワンランク下がった。
単純に考えればアメリカの信用とその信用に基づいた国債の信頼性が
アメリカの莫大な債務と国債の乱発により
揺らいでいるということになると思っていた。
ところが驚いたことに揺らいでいるのは
乱発した米国債の信頼ではなく
それを買い支えることが出来ない市場の方だった。
神である米国債とそれを支える神輿の担ぎ手の関係では
担ぎ手の使命は常に支え続けることこそが
必要十分条件だったようだ。
いまや神の怒りは担ぎ手を全てひれ伏させてしまった。
史上初の米国債格下げで金融の神は怒りの嵐を呼び
世界同時株安の暴風雨となった。
NY市場の株やREIT市場の暴落だけでなく
日本市場も東日本大震災に続く9,000円割れとなってしまい
世界市場は完全に冷え切っている。
そしてこの怒りの嵐は世界を一巡すると
再び格下げを受けたはずの米国債は
他を全てなぎ倒すことで神の玉座に再び収まり
全世界は恐れひれ伏しその神輿を必死で担いでいる。
もはや担ぎ手にそれを下ろす手段は無いかのごとく
米国債は安定的に買われ続けている。
神の偉大さを表現する米2年債利回りは0.23%と
過去最低まで低下して世界人民に崇められている。
よく見ると一番担ぎ手は日の丸日本で
自らの身を削いで神の座に捧げて悦に入っている。

一度麻薬を手にしたものが麻薬から離れることが出来ないように
一度米国債を手にした国々はもはやその悪の神の手から逃れることは出来ない。
アメリカの毒はすでに全身に回っている。
この毒に比べれば2007年のサブプライムローンの債権を紛れ込ました毒などは
コブラと蛾レベル程の差がある。
来年アメリカは本性を表わし牙をむく。
日本人はこの神の生贄にされつつある。
この神話は一瞬での全世界完全崩壊するまで続く悪夢である。


応援してくださる方はこちらをクリックお願いします。
日記@BlogRanking

人気ブログランキングへ
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

古墳時代有終の八角墓 No288

2011-08-11 10:08:46 | 神霊界考察
古墳時代の最後は七世紀中葉であるが
突如として中央政権に八角墓が現われる。
京都市山科区の天智天皇陵と考えられる御廟野古墳
高市郡明日香村越の牽牛子塚古墳
高市郡明日香村平田の中尾山古墳
高市郡高取町佐田の束明神古墳
高市郡明日香村野口の野口王墓古墳などが知られている。

さてこの八角が何を意味しているのかだが
正確なところは判っていない。

明日香の八角墓は特別なもので天皇陵ではないかと言われているが
周辺諸国では六世紀末から七世紀初頭にかけて
いくつかの八角墓の例がある。
関東以外の例として鳥取市国府町岡益に梶山古墳がある。
被葬者については不明であるが、
八角墓であることから675年(天武4年)に因幡に配流された皇族の
麻積王であるとの説が有力となっている。
この八角墓は装飾など道教思想が濃厚であるが
この八角の持つ意味も道教的な要素を持つのではないかと考えられている。
八方位が世界を表わすのだと考えられている。
前回『酒列磯前神社の調査 No277』
徳川光國が帝を廃帝にして自分が権力を握った則天武后に習い
則天武后の造字である圀の八方の世界観から
天下を狙って光國を光圀に替えたと記載したが
光圀の改名も現世での野望と言うより八角墓の意味を持つのかもしれない。

さて藤原家全盛の八世紀になると
八角堂がいくつも建てられている。
721年には元明天皇と元正太上天皇が不比等の冥福を祈るために
興福寺の北円堂を建てているし
739年には行信僧都が聖徳太子の威徳を偲んで
法隆寺東院の夢殿を建てている。
藤原仲麻呂は藤原南家の菩提寺の栄山寺に父母の冥福のために
現在国宝の八角円堂を建てている。
このことから八角墓に関しても
藤原氏の影響があったのではないかと推察する意見もある。

中国で最も古い木造建築塔の応県木塔は八角形となっている。
山西省朔州市応県北西の仏宮寺境内にあるが1056年に建てられている。
石の八角塔では1044年の遼寧省瀋陽市の無垢浄光仏舎利塔がある。
すくなくともこの時代の八角は仏教由来である。
八大聖地、八大菩薩、八功徳、八解脱、八宗の祖師などの仏教用語がある。
今でも香港や上海では八は縁起が良い数字とされているが
それは"発財"(金持ちになる)の"発"と"八"の発音が一緒だからだそうだ。
故宮博物館の翡翠で出来た「白菜とキリギリス」なども同じ意味を持つ。

皇位継承儀式で使われる高御座という玉座も屋根は八角形となっている。
これも八角墓の八角と同じ由来だと考えている。
まあ四方八方の方位から八角としたという考え方は非常に妥当であり
八世紀に道教思想が盛んになったからだというのは頷ける。

『八角屋根の高御座』  『八藤と四方雲文の茵(しとね)』

ただ先ほど中国の八角形が仏教由来であるということを記したが
中国の道教的要素には八角ではなく『天円地方』という考え方がある。
天は円くて地は方形であるという世界観(宇宙観)である。
天を祭る天壇は円形で地を祭る地壇は方形である。
日本では前方後円墳がその例に倣っている。
『方格規矩四神鏡 』
『天円地方』のあしらい方等を観るとなるほどと頷ける。
道教思想を貫くなら円は八角を破るので
わざわざ八角を持ち込む必要性は薄いような気もする。
『大仙陵古墳』  『方格規矩四神鏡 』

吉田一氣的には八角墓の由来について
あえて根拠の無い異説を唱えたい。
伝説の人物である役の行者(役 小角)は
舒明天皇6年(634年)- 大宝元年(701年)という伝承となっている。
彼は『八大龍王神の根源 追記 No171』で延べた通り
箕面山で八宗の祖師の龍樹菩薩の観応があり八大龍王神を感得している。
彼は天皇が奉斎する御巫八神と八大龍王神を
秩父で合祀して「八大宮」として祭祀している。
これは神道と仏教を初めて習合した超強力な国家安寧の祭祀といえる。
埼玉県秩父市中町にある「今宮神社」のことだが
明治までは神仏習合祭祀で「八大宮」と呼ばれてきた。
つまりこの八大宮にあやかり八角墓を造った可能性を
筆者は感じているのだ。



応援してくださる方はこちらをクリックお願いします。
日記@BlogRanking

人気ブログランキングへ
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サファイアの奇跡 No287

2011-08-07 00:09:09 | 神霊界考察
ブログにコメントをくださるうららさまが以下の記事を書かれていた。
『質オザサ店主ブログのシャルルマーニュの護符』
この宝石の来歴等はうららさまの記事を参考にしていただきたい。
ただこの宝石は吉田一氣にとっても非常に興味がある題材なので
補足として以下の写真を添付したい。

    

   

写真をクリックして拡大して見ていただければ分かる通り
中央の宝石はサファイアであるとしても
かなり透明に近い石のように思える。
裏面に貼り付けられた四角いサファイヤの青が
透けて青く見えているようにも思える。

以前青いダイヤに秘められた呪について
『七の封印について フレンチ・ブルーダイヤモンドの封印 No236』
『金羊毛騎士団の紋章と竜の力 No237』
現在のアメリカの輪転機でのお札と国債の刷り過ぎによる崩壊の予兆が
ホープの新セッティングである「エンブレーシング・ホープ」に
滲み出していることを考察したが、
この青いサファイヤにも何か秘密がありそうである。

サファイアとは赤いルビーも含めたコランダム=Al2O3の総称となっている。
Al2O3に不純物としてクロムが1%混入すると濃い赤色のルビーになり
鉄・チタンが混入すると青色のサファイアとなる。
サファイアには科学的な表現からは外れるが
中に入れたものを増幅する働きが潜在的にあるように感じている。
ルビーには発光現象としてルミネッセンス冷光や蛍光や燐光が知られているが
これはクロムの潜在力を引き出しているようにも思える。
ルビーは694.3nmのコヒーレントな赤色光を励起発光し
増幅された光がレーザーとして放出される。
サファイアはクロムを含んだルビー以外にもレーザー光を
発光する物質が知られている。
例えばチタンでもレーザー光を出す。
サファイヤは高温に耐え融点は2050℃となっている。
500℃程度で黒炭化するダイヤモンド結晶よりも
温度耐性ははるかに高い。
それだけ内部にエネルギーを保持できるということだ。
このサファイアの結晶構造は六方最密充填構造であり
酸素を中心に見ると六配位八面体となる。

  

以前より六角の麻の葉紋と八角の八大龍王紋について考察してきているが
このサファイアの結晶構造はこの二つの紋の特徴を兼ね備えているのかもしれない。
そしてこの特性が中に入れたものを増幅する働きとなるのだろう。
二つのサファイアの間に挟まれた十字架と聖遺物は
キリストの象徴として増幅され
強力な護符の役割を果たしている可能性がある。

『ビームの型』

20110814追記 
ところでこのシャルルマーニュの護符の聖遺物は聖母マリアの髪の毛らしい。
髪の毛と木片で作った十字架は
日本で知られる藁人形とそれに仕込んだ相手の髪の毛と効果が同じである。
藁人形は一般に怨恨の呪や恋愛成就の呪として用いられているが
古来より相手の髪の毛が利用されてきた。
これは類感呪術と感染呪術とを合わせていることになる。
類感呪術とは雛形に起こった事が本体に影響するということで
感染呪術とは相手の一部(髪の毛や爪)と本体とは
その一部を依代として霊的に繋がっていて
相互作用があるということを意味する。
それで類感呪術の雛形と本体との間柄を確定するためには感染呪術が必須となる。
シャルルマーニュの護符内の十字架は聖母マリアの髪の毛の雛形であると同時に
キリストの雛形にもなっている。
シャルルマーニュの護符には持つ者を皇帝にする力があるという伝説があるが
実際このペンダントの効果は上記理由より髪の毛に依存していると思われる。
ということは聖母信仰ということになる訳である。
だからこそ物質界での皇帝になる力も授かる訳である。


応援してくださる方はこちらをクリックお願いします。
日記@BlogRanking

人気ブログランキングへ



コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水に流すということ No286

2011-08-02 03:18:07 | 神霊界考察
キリスト教徒が「赦し」という言葉を使うが
日本人の「水に流す」という表現とは実は全く違う。
キリスト教ではもともと人類全てが
原罪という大きな罪を背負っていると考えて
その罪の贖罪をキリストが皆になり代わって
十字架に磔になることでしたと考えている。
聖書中の姦淫の女を裁けるのも
罪を犯したことのない者ということになるが
人類は全て原罪があるので
従って本質的には罪を罰するのは神様のみということになり
それ故に「赦し」が求められている。
また神の人間に対する「愛」であるアガペーを
信仰者も持ちたいと願い
それが「赦し」の本質的な礎となっている。
それはそれで立派なことではあるが
その出来事の記憶は消える訳ではなく
まるで烙印のごとく周囲にも本人にも残る。
契約の書には記憶までも消しなさいとは
記されていないからだ。
それで赦しを与えた人は、赦しても残る憎しみに対して
忘却の努力をするか
いつまでも赦しを与えたんだと言い続けることになる。
たいていはリメンバーという叫びがこだましている。

日本人の「水に流す」という言葉は
神霊に接する際の水での禊に由来する。
これは罪穢れを水で清めることなのだが
禊では罪穢れを祓いそこには小さな生まれ変わりがある。
それゆえに「水に流す」とは
その記憶すらも消し去ることとなる。
生まれ変わり罪が無かったことにまで遡るのが
「水に流す」という言葉の重さである。
日本人にはこの「水に流す」という美徳が備わっている。
くれぐれも歴史を忘れやすい民族ではなくて
水に流す民族であるということを
取り違えないで欲しいと願っている。


応援してくださる方はこちらをクリックお願いします。
日記@BlogRanking

人気ブログランキングへ
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする