吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

FC2BBSから移動しようと目論んでいます。
http://reyline.web.fc2.com/index.htm

宝髻弥勒菩薩半跏思惟像の源流 No245

2011-03-28 16:44:08 | 日記
前回『宝冠弥勒と宝髻弥勒菩薩半跏思惟像 No189』
宝髻弥勒菩薩半跏思惟像には聖徳太子への思慕がにじみ出ていると記載しているが
この像の原形がどこに由来しているのか気になっていた。

上記写真は北魏時代の石像である。
半跏像で右手は失われているが思惟像であったと考えられる。
この像は現在『九州新幹線全線開業記念 細川コレクション 永青文庫の至宝展』で展示されている。
これを見たときに宝髻弥勒菩薩半跏思惟像の源流はここにあったと理解した。
この石像は西安の宝慶寺にあったものだそうだ。
東京国立博物館の東洋館には西安の宝慶寺にあったとされる
「如来三尊・阿弥陀三尊仏龕」等が展示されているが、それとは全然意匠が違う。
北魏といえば雲崗石窟や龍門洞窟が出来た時代である。
そちらのほうに似た意匠のものがあるのだろうか?
今後もさらに調査していきたい。

『宝髻弥勒菩薩半跏思惟像』




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茨城県ひたちなか沖の藻塩 No244

2011-03-28 16:00:35 | 日記
今年の1月に酒列磯前神社に電話して
ご好意でこの神社で頒布している藻塩を郵送していただいた事を記事にした。
『酒列磯前神社で戴いた藻塩 No206』
嫁が何を思い立ったか欲しいと言い出したと記載しているが、
この藻塩は御福塩ということでまとめて頼んだので
いくつかを知人に配ったりしている。
先日「海の放射性物質汚染」が新たな課題にと題された記事を読んでいて
酒列磯前神社で戴いた藻塩も警告となっていることを感じた。
天災が人災を呼んだが、これがさらに日本人全員に対する神災とならぬように
警告を真摯に受け止めたい。
ひたちなか沖の海は神域であるがここが汚染されることが無いように願っている。

嫁がなぜこの藻塩を欲しいと思ったのかには
今回の地震とも繋がるメッセージが隠されていたのだが
そのことについては間接的に伝えていきたいと思っている。


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地震災害復興祈願 志賀海神社にて No243

2011-03-21 23:38:42 | 日記
ちょうど6年前の1985年3月20日に福岡市の玄界灘でM7.0の大地震が起きている。
福岡市内でも震度6弱を記録している。
ところが被害はそれほど大きくは無かったので福岡以外では忘れている方も多いかもしれない。
その地震からちょうど1ヵ月後の4月20日に再びM5.8の地震が志賀島を震源として起こっている。
最大震度は5強となっている。
志賀島では志賀海神社の石垣に大きな被害が生じている。
この福岡は地震がもともと少ない地域であり
M7.0の地震は有史以来初めての規模の地震と云われている。
これは福岡市沖の玄界灘から同県筑紫野市までの
長さ約55kmの活断層である警固断層(けごだんそう)によるものだった。
志賀海神社が被害を受けたことはどういうことかと当時考えたことを思い出す。

今回東北地方太平洋沖地震では震災の前の3月9日にM7.3の地震が発生している。
この時は最大震度は5弱となっていた。
昼前に地震が起こりニュースを見ていよいよ東海地震が起こるのではないかと危惧した。
そして3月11日に同じ地域で東北地方太平洋沖地震が発生した。

この地震をTVで見て一番に理解したのは、
6年前の福岡の地震では志賀海神社の神霊が被害を縮小してくださっているという事だった。
津波は起こっていないが、これは北西と南東の方向への横ズレだったために
海底を震源地としながらも起こらなかった。
また震度6弱という揺れに関しても波長が短くて1秒未満の短周期だったために被害が少なかったらしい。
周期が2秒近ければ阪神大震災のような大規模な被害が出ていたかもしれない。
また津波が発生していれば大規模な被害となった可能性がある。
それを理解して、今回志賀島の志賀海神社にその時の神御感謝と
今後の地震災害復興祈願のために参拝してきた。

最初の地震が起こった後に
福岡のように次の地震が小さくなるのかあるいは次の地震が大きくなるかで
これだけの被害の違いが生じるという訳だ。
そこに太古からの祈りの力の確固たる存在というものを
志賀海神社に参拝して感じてきた。
志賀海神社は元寇の際に国防の要となったと
『龍神信仰 2 No159』で記載しているが、
今後も日本の国防と震災復興祈願の地として大切にしていきたい。


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脱 原子力発電の道のりについて No242

2011-03-19 08:15:04 | 日記
日本人は聖徳太子の時代より
寛恕と和を基調として相手を思いやることを第一として
全体の調和を第一として生きることを理想としてきた。
自分より家族 家族より家
家より主君とその全体を護る思想は拡大し
その集大成として天皇に対する尊王思想が完成した。
それは例えば水戸学としてまとめられ
西郷隆盛は「敬天愛人」を座右とするし
吉田松陰は「大和魂」と呼んだ。
しかしこの思想は拡大し最終的には敗戦により解体された。
戦後教育として平和民主主義が理想とされてきたが
これも戦後60年を経て日本人にほぼ根付いたように思える。
しかしそれが新たな問題となってきている。
神霊界からの警告とは結局のところその問題の核心を突いてきている。

理想は常に現実に裏切られる運命にあるかのごとく
いろんな理想が現実の前に敗れてきたが
今我々の前に存在するのは恐ろしいリアルである。

今回、地震と津波による福島原発事故が発生した。
今まで地元の人間には潜在的危険を背負わせて
その利益を関東圏の人間が享受してきたことが浮き彫りとなった。
そして関東圏の利益はめぐって日本全体に寄与している。
この福島の原発が承認されたのは50年前である。
老朽施設であったことは間違いない。
しかしそれを隠しながら使うしかなかった事実が存在する。
今後日本の電力はどうまかなうのか?
日本原子力産業協会JAIF作成ホームページの
『日本で建設中、計画中の原子力発電所』は現在封鎖されている。
たぶん福島原発の再開は困難だと思うが、
だからといって関東圏に代替地も見つからないだろうと思う。
当面は火力発電に戻り休眠中の火力発電所を含めフル稼働で発電することになるだろうが
それは将来設計としては継続不可能な話である。
CO2削減も含めるとガス発電という選択肢等でどれだけのロードマップを描けるのだろうか?
原子力先進国のフランスでは原発反対デモ行進が勃発している。
フランスでは第三世代原子炉のラマンヴィル(2012年稼働予定)と
パンリー(2017年稼働予定)が現在建設中である。
今回の事故の世界に対する影響は大きい。
原子力推進派のノーベル賞受賞者のアル・ゴア氏にとっても
『最も不都合な真実』となってしまった。

公共の福祉のために人権が制約されることは憲法にも述べられているが
公共の福祉のために生命の安全が脅かされることが許されるのかが問われている。
民主主義の世界では当然許されないはずである。

あと20年後の世界では世界の全ての電力を太陽光発電でまかなうことも可能である。
砂漠地帯に超大型の太陽光発電を設け高温超伝導ケーブルで世界を繋ぐ
『GENESIS計画』がある。
これは現実的な技術の範囲にある。

しかし我々工業立国の日本人はそれまで待てない。
すぐにでも大きな決断に迫られている。
ここしばらくの関東圏の電力計画停止はしかたないにしても
24H電力を必要とするような例えば半導体工場にとっては致命的である。
茨城県ひたちなか市にあるルネサスエレクトロニクス那珂事業所などは
永久に操業不能となってしまう。
急激に日本の工業が衰退する可能性が目の前にある。

今の政権にこの試練を乗り切ることは困難だと思うが
だとすると何も決められずに、
だらだらと国債を発行し続けた後に国家破綻する。
かといって民主主義的手法で原子力発電の継続は出来ない。

神霊界から突きつけられた試練である。
生命の安全を含めた人権相互の矛盾衝突を調整するための
(お金に頼らない)システム構築は
今の日本人には受け入れることが出来ないであろう。

しかし日本の歴史を見るとアポトーシス的思想を受け入れていた
時代が存在している。
しかしそれは全体主義体制に繋がってしまった。
これ以上書くことが辛くなってきたが、
世の中というものは少なからず犠牲の上に成り立ってきているし
さらに思いやりと感謝と全体のために犠牲となる勇気が求められている。

私が感じているこの神霊界の試練を回避して
科学的知恵と工夫で最大限に犠牲と被害を最小にして
乗り越えることが出来ることを切に願いそして祈っている。

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茨城の大洗港で大渦「ナルト」 No241

2011-03-16 00:44:50 | 日記
前回の『天災である地震と天罰である地震』の記事で
少彦名神 大國主命の神氣が強い茨城の大洗港で大渦「ナルト」が発生したが
『弓梓弓と水の女神 断片集④ No175』でも記載しているように
この渦はメッセージとなっていると記載した。
もしこれにコメントがあったらもう少しこの件について書こうと考えていた。
コメントを戴けたのでそれに感謝して追記したい。

まず下の図を見ていただきたい。
東北地震断層と水平移動
今回地震となった断層1と断層2のおおよその範囲と日本に及ぼした土地の水平移動という影響図である。
次に下の図は中央構造線を表わしている。
中央構造線
この西の端は九州で二つに別れ本線と考えられる断層は八代から海に抜けている。
そして上の細い線は熊本の立田山断層と呼ばれる断層から熊本霊ライン
繋がった末端となっている。
この熊本霊ラインは阿蘇の大神と少彦名神と大國主命の御神氣が強いところである。
そして東端は鹿島と大洗に抜けている。
ここには鹿島神宮と大洗磯前神社が設置されている。
ご存知とは思うが鹿島神宮では要石が地震を抑えている。
そして大洗磯前神社は少彦名神・大國主命が祭祀されている。
この中央構造線は霊的国防の要の線だと認識しているが、
この両端での少彦名神・大國主命の祭祀と八大龍王神祭祀が霊的結界を作り上げている。
中央構造線の結界が東北地震の影響を封印している。
筆者はこの大洗の大渦「ナルト」を見たときに
東西に繋がる中央構造線の龍の霊流を感じた。
東海地震の警告は継続しているが、
連続した大惨事となると首都東京は東西を分断されて未曾有の被害となるので
ひとまずは回避されたのかもしれない。
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天災である地震と天罰である地震 No240

2011-03-14 23:47:03 | 日記
犠牲者のご冥福と一日も早い復興を祈っています。

さて石原都知事が東日本大震災について
「津波は天罰」と表現したそうだ。
まあ取り方次第で被災者を逆なでする言葉にも聞こえるが
限定した被災者のみを対象とした表現としてではなく
日本国民は今回の地震を厳粛に我が事として受け止めるべきであろう。
国家としてみたときの神霊的天罰は旧約聖書を参考にしても
被災者個人の善悪を超えて起こる。
ソドムとゴモラという2つの町の住民たちは、
モラルを逸脱する悪徳行為を繰り返したため神の逆鱗に触れてしまったが
その子供には罪は無いはずである。
神学的には潜在的因果の継承により民族としての原罪も背負っていると
説明出来るのかもしれないが、報われない話ではある。
私は「津波は天罰」と考える時に
これが東北でなく関東東海大震災であったらと考えることも必要だと思う。
たぶん石原都知事は東京が地震にあったとしても
やはり自分たちに対する天罰だと厳粛に考えるのだろう。
厳粛に考え厳粛に反省し
自らの被災と同じ思いで持って全力の救済支援の努力を行うことに
結びつくなら「津波は天罰」という表現も理解できる。
まあ被災者でない人間に言われるのは筋違いとしても
我が事として天災を天罰と考え真摯に向き合う姿勢であれば
被災者で無い私であれば納得出来る。
しかしこれは部外者としては決して口にしてはいけない言葉でもある。

今回の地震は未曾有の大惨事であるが
やはりそれでも警告であるといえるかもしれない。
鳥インフルエンザのパンデミックや東海大震災規模となると
数百万人規模の被災となってしまう。

少彦名神 大國主命の神氣が強い茨城の大洗港で大渦「ナルト」が発生したが
『弓梓弓と水の女神 断片集④ No175』でも記載しているように
この渦はメッセージとなっている。





地震・津波に救援と原子力発電の是非を含めいったい何を我々は教訓とするのか?

追記20110420 
石原都知事の天罰発言いついてブログでなるほどなと感心する記事を見つけたので紹介したい。
さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」の
「天罰」と「心の復興」 という記事だ。
全てを的確に言いえているといえよう。



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西の国宝 瓢鮎図 No239

2011-03-07 00:20:09 | 日記
前回 東京国立博物館の国宝の瓢箪図を紹介したが
西の京都国立博物館にも国宝の瓢箪図である瓢鮎図というものがある。


不思議なことに単語の混同は東は夕顔が瓢箪で
西は鮎が鯰である。
このことがずっと引っかかっている。
たぶん一般的にはどうでもいいことであろうが
これが何かのヒントだと思って探求することから
知の好奇心は花開く。
江戸時代に瓢箪は夕顔と呼ばれていたのは事実としても
足利室町時代には瓢箪は瓢箪とも呼ばれていたということだろうか?
西の「瓢鮎図」は「夕顔鮎図」では様にならない。
東も「瓢箪棚納涼図屏風」よりも「夕顔棚納涼図屏風」のほうが聞こえがいい。
また鯰が鮎という字なのは鯰が国字だからだそうだ。
しかし検索すると「鯰」は『倭名抄』で漢籍『食経』を引いているそうで
本当は国字ではないらしい。
中国ではアユのことを一般に香魚と呼ぶ。
日本でもアユは香魚とも呼ぶがなぜアユが「鮎」という漢字を持つに至ったのかというと
アユを神功皇后が占いに使ったからという説がある。
実際のところアユはウロコがなくてヌルヌル粘る魚のために
魚偏に「粘」のつくりの「占」をあてたというのが正解ではなかろうか。
中国では鮎という字はぬるぬるのナマズもアユも意味している。
では漢籍『食経』に云う「鯰」は何を表わすのであろうか? 疑問である。
ちなみにネット検索では現代の中国人は「鯰」という字を見てアユというそうである。

30年前にこの絵を見るために退蔵院を訪ねたことがある。
そして8年ほど前に再度訪ねたときに退蔵院の瓢鮎図は模写であることを知った。
本物は京都国立博物館に寄託されている。
ところが京都国立博物館の検索では瓢鮎図は出てこない。
さらに調べてみるとgoogle検索では
不思議な絵 ―如拙筆「瓢鮎図」と京都国立博物館の
子供向けのガイドには瓢鮎図が出ている。
もともと京都国立博物館のガイドは写真が見にくくて役立たないので
期待はしていないのだが、いつもながらガッカリする。
※例えば風神雷神図もせこくなかなか見せない。
NATIONAL MUSEUMの在り方はイギリスで勉強し直したほうがいい。

さて東の瓢箪は開運図であるが西の瓢箪は開運図足りえるかが今回の議題である。

この禅問答確かに奇天烈である。
しかし瓢箪の中には宇宙があるのである。
鯰は瓢箪の中に入るし世界観も変わる。
開運図というより真理を現しているのであろう。
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久隈守景作の『夕顔棚納涼図屏風』にみる瓢箪開運 No238

2011-03-06 13:19:46 | 日記
日本画の題材に開運図というものがある。
開運となる吉祥題は南天木であったり
赤富士、松、梅、鶴、亀に虎、茄子、五鯉躍、九頭馬などや
七福神、五岳、四神や昇り龍などが有名である。
前回『開運ひょうたんを育てる』で瓢箪の開運効果について述べたが
久隈守景作の『夕顔棚納涼図屏風』を紹介したい。
この絵は国宝であり東京国立博物館の館蔵品なのでご存知の方も多いかと思う。
クリックして拡大
なぜ夕顔が瓢箪なのかという疑問が湧くが
江戸時代以前は夕顔とは瓢箪のことだったらしい。

さて国宝のこの図の家族の表情に感化された人間は多い。
そこには江戸の裕福ではない家族の一場面が描写されている。
ゴザに質素な服にあばら家という有様だ。
にも関わらず庶民生活の中での満ち足りた幸せを感じさせる不思議な
何かがその空間にはある。
最初それはこの家族の父親のひょうひょうとした表情かと考えた。

しかしそれは丸々とした瓢箪がいくつも実り月と共に
家族を静かに守る様に安心感があることに気付いた。
よくよく考えるとこれこそが瓢箪の開運力の表われといってもいい。
瓢箪の開運力の源泉は水と月にあるようである。

この作品が開運図となるかならないかの紙一重は
夕顔棚の左から二番目の瓢箪ひとつに掛かっている。
これが冬瓜であれば開運図たり得ないからである。
作者の久隈守景がこの絵の他の瓢箪部分は
くびれのあるかないか分からない描き方をしているが
このひとつだけを瓢箪として描いたので全体が瓢箪として輝いている。
冬瓜はクビレが無い

開運図の効果のなんたるものかを知りたい方は
この図を研究なされると宜しいかと思う。
ただの図にそんな力があるとは信じられないという方であっても
この絵が数千万円でも買えない国宝であることはあっさり受け入れる。
そこに考え方の妙がある。
たかだか紙の一枚の絵の目に見える金勘定は納得出来ても
見えない霊的な力の源泉は信じることが難しい。

この絵はその壁を越えさせることが出来るちょっとばかり不思議な名画である。
開運の源泉は幸せの源流を知ることから始まる。

嘘だと思われない方はこの絵を印刷して飾ってみられると
宜しいかと思う。

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金羊毛騎士団の紋章と竜の力 No237

2011-03-04 23:58:41 | 日記
前回の記事の『七の封印について フレンチ・ブルーダイヤモンドの封印』
ホープダイヤモンドの青には呪が込められていると記載したが
その根源についていろいろと調べた結果では、
二重の呪となっているように感じている。
ルイ14世がこのフレンチブルーを手に入れた後に
輪転機を回し続けれたことで深刻な財政難に陥ったと話したが
七星の封印だけでは弱いと感じたのか次のルイ15世がこのフレンチブルーを
金羊毛騎士団用ペンダントに付け直している。
クリックで拡大
写真を見ていただければ分かるように中央に置かれた
真紅のスピネル宝石に彫られたドラゴンが口から赤い炎を吐き
フレンチブルーを守っている図になっている。
このブログでは何度も龍神や八大龍王神についての考察をしているが
残念ながら西洋のドラゴンについての知識はあまり無い。
しかしながら西洋のドラゴンも東洋の龍同様に霊力を持つことは間違いなかろう。
この金羊毛騎士団用ペンダントは単なる装飾品という訳ではなさそうだ。
異端を排除してカトリックを守護することを目的とするこの騎士団は
金色の羊をトレードマークとしている。




この金色のダラッとした羊は神に捧げられた羊で、キリスト教的にはこれは受胎告知の象徴となっている。
ギデオンの一頭分の羊毛が神の奇跡により露に濡れなかったという逸話から取られた意匠である。
※ギデオンは二度神を試している。
従ってルイ15世が作らせた金羊毛騎士団用ペンダントの金羊は金羊毛騎士団を表しているが
その上部のドラゴンとフレンチブルーの部分の意匠は、
金羊毛騎士団と繋がるデザインという訳ではなさそうだ。

見る限りこのドラゴンとフレンチブルーの関係は龍が守る宝珠を現しているように思える。
実は宝珠は西洋にもあり『地球の支配権』を表している。
5世紀のヨーロッパではキリスト教の発展に伴い、
世界に対するキリスト教の神の支配権の象徴として
宝珠は球体の上に十字架が付加された意匠となっている。
宝珠を持つキリスト像

さてこの宝珠であるフレンチブルーは上図のように十字架をあしらったものではなく
七芒星ヘプタグラムとなっている。
Sigillum Dei Aemeth
ジョン・ディー(John Dee)に起因するオカルティックな技法が使われているようだ。

窃盗団はこのペンダントを盗んで魔法を解かずに分解しフレンチブルーを加工したのだろう。
ヒンドゥー教の呪だけではなくドラゴンの呪も残っている。

寝た子を起こすがごとくアメリカでホープダイヤモンドのデザインを2010年に一新したが
金羊毛騎士団用ペンダントのレプリカも3年かけて同じく2010年に完成している。
この奇妙な偶然に強く畏怖を感じている。


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