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岸根砲台跡

2012-10-11 05:52:40 | 遺構 /人間魚雷 回天の島 大津島など

広島湾要塞(ひろしまわんようさい)とは、広島湾と呉軍港の防備のため設置された大日本帝国陸軍の要塞である。当初は呉要塞と呼称した。



広島湾と呉軍港への敵艦船の進入を阻止するため、音戸瀬戸・早瀬瀬戸・那沙美瀬戸・大野瀬戸に要塞砲台の設置が検討された。1887年(明治20年)1月の計画では早瀬瀬戸・那沙美瀬戸の防禦案であったが、1893年(明治26年)2月には四つ全ての瀬戸の防禦計画が決定された。具体案の計画中に日清戦争が開始されたため、工事が開始されたのは1897年(明治30年)になってからである。

砲台建設は、1897年(明治30年)3月、大那沙美島砲台から開始され、1903年(明治36年)12月までにすべての砲台が竣工した。


豊予要塞の完成に伴いその存在意義を失い、1926年(大正15年)8月に廃止された。


1897年(明治30年)3月 大那沙美島砲台着工

5月 鶴原山砲台着工

8月 鷹ノ巣低砲台着工

1898年(明治31年)6月 岸根砲台着工

7月 鷹ノ巣高砲台着工

10月 室浜砲台着工

1899年(明治32年)3月 三高山堡塁着工・室浜砲台竣工

5月 大君砲台着工

10月 早瀬第一堡塁・早瀬第二堡塁着工

1900年(明治33年)3月 大那沙美島砲台・鶴原山砲台・鷹ノ巣低砲台・鷹ノ巣高砲台竣工

4月 呉要塞司令部設置

6月 大君砲台竣工

8月 早瀬第二堡塁竣工

9月 休石砲台着工・岸根砲台竣工

12月 高烏堡塁着工

1901年(明治34年)3月 休石砲台・早瀬第一堡塁・三高山堡塁竣工

1902年(明治35年)4月 大空山堡塁着工

6月 高烏堡塁竣工

1903年(明治36年)5月1日 広島湾要塞に名称変更。

12月 大空山堡塁竣工

1926年(大正15年)8月1日 廃止


主要な施設 

呉市

大空山堡塁 - 備砲なし

高烏堡塁 - 備砲なし

休石砲台

倉橋島

早瀬第一堡塁 - 備砲なし

早瀬第二堡塁

西能美島

大君砲台

三高山堡塁

鶴原山砲台


岸根砲台

大奈佐美島

大那沙美島砲台

厳島

鷹ノ巣低砲台

鷹ノ巣高砲台

室浜砲台


広島湾要塞の一角を為す砲台の一つで西能美島の北西に位置する。明治31年(?)竣工で、27cm加農砲と9cm速射加農砲を備えていたが大正期の軍縮で廃止された。太平洋戦争末期には燃料置場として再利用されていた。


戦後は長い期間放置されていたようだが、岸根鼻が海水浴場として整備されると公園として整備された。掩蔽部跡を利用した「岸根砲台記念館」、観測所跡には展望台、さらに広大な駐車場や通路には柵やポールも設けられました。

ただし砲台跡公園として整備した割には砲床の大半を破壊してしまうなど、本末転倒な部分も見受けられる。しかしそれも束の間、この砲台があった沖美町が江田島市に合併されると公園は放置され、再び荒れるにまかせた状態となっている。



あったはずの砲床やら掩蔽部やら何の痕跡も残っていません。


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