観光列車から! 日々利用の乗り物まで

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南大嶺駅 美祢線

2012-11-26 04:27:00 | JR西日本 美祢線・因美線

南大嶺駅は、山陽鉄道の厚狭~大嶺開業時の開駅で、後に美祢方面への路線開業により分岐駅となりましたが、20世紀末に大嶺支線が廃止となりました。

所在地は山口県美祢市大嶺町西分字祖父ヶ瀬にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)美祢線の駅です。

単式・島式2面2線のホームを持ち、交換設備を有する平屋の鉄骨造駅舎の地上駅です。駅舎は職員詰所を流用したもの。長門鉄道部が管理している無人駅であるが、駅手前の道路を挟んだ位置にある個人商店(小田酒店)に乗車券の発券が委託されていました現在は廃止されています。駅舎は単式ホーム側にあり、互いのホームは跨線橋で連絡しています。


かつては2面3線で、単式ホーム(1番線)が大嶺支線用、島式ホームの駅舎側(2番線)を下り用、反対側(3番線)を上り用としていたが、大嶺支線の廃止により1番線の線路が埋められて、単式ホームが2番線の線路に面した位置まで広げられました。

そのため、1番線は欠番となり、2番線は両側のホームに挟まれた構造となった。現在は旧1番線側の単式ホームのみで2番線下り列車の乗降扱いを行い、島式ホームは3番線発着の上り列車専用となっています。


ホーム 路線 方向 行先
2(駅舎側) ■美祢線 下り 美祢・長門市方面
3(反対側) ■美祢線 上り 厚狭方面


大嶺支線廃止後、上記ののりば番号標はなくなっているが、信号反応灯の表記から、番線番号は残されています。
1番線ホームには、山陽鉄道によって当駅が建設された当時の停車場中心を示す礎石(マイル・チェーン表示)が残っていたが、上記の埋め立てによって現在は見ることができない。この礎石の示す中心位置は、現在の停車場中心と若干離れていました。

 

 

1905年(明治38年)9月13日 - 山陽鉄道の厚狭駅 - 大嶺駅間開業時に、伊佐駅(いさえき)として設置。
1906年(明治39年)12月1日 - 山陽鉄道の国有化により、国有鉄道の駅となる。
1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称制定。大嶺線の所属となる。
1916年(大正5年)9月15日 - 美祢軽便鉄道が当駅から重安駅まで開業。国有鉄道との共同使用駅となる。
1920年(大正9年)6月1日 - 美祢軽便鉄道が国有化され美禰軽便線となり、国有鉄道単独駅に戻る。
1922年(大正11年)9月2日 - 軽便線の呼称廃止に伴い美禰軽便線は美禰線に改称。


1924年(大正13年)3月23日 - 線路名称改定。それまでの大嶺線区間を含めた厚狭駅 - 当駅 - 正明市駅(現在の長門市駅)間と、当駅 - 大嶺駅間が美禰線(1963年より美祢線と表記)とされ、当駅もその所属となる。
1949年(昭和24年)1月1日 - 南大嶺駅に改称。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道に移管。
1997年(平成9年)4月1日 - 大嶺支線(当駅 - 大嶺駅間)廃止[2]。
2010年(平成22年)7月15日 - 大雨による厚狭川氾濫で橋梁や路盤が流失、全線不通となり、営業休止。
2011年(平成23年)9月26日 - 全線開通により、営業再開。

美祢軽便鉄道→美禰線
1916年(大正5年)9月15日:美祢軽便鉄道 伊佐駅 - 重安駅間(3.4M≒5.47km)が開業。吉則停留場(現在の美祢駅)・上領停留場・重安駅が開業。
1920年(大正9年)
6月1日:美祢軽便鉄道が国有化され、美禰軽便線となる。吉則停留場を吉則駅に格上げ。上領停留場が廃止。
10月30日:重安駅 - 於福駅間(3.0M≒4.83km)が延伸開業。於福駅が開業。
1922年(大正11年)9月2日:軽便線の呼称廃止に伴い美禰線に改称。

美祢線(南大嶺・大嶺間)における第一種鉄道事業の廃止について、鉄道事業法に基づく廃止許可申
請を2月10日、運輸大臣あて行います。

1 廃止対象線
美祢線 南大嶺・大嶺間  2.8キロ
2 駅の廃止
美祢線 大嶺駅
3 廃止予定日
平成9年4月1日
4 経緯と廃止理由
1 経緯
明治38年 9月     厚狭・大嶺間 開通(山陽鉄道)
明治39年12月     厚狭・大嶺間 国有鉄道化
昭和58年12月     大嶺駅貨物取扱廃止
昭和60年 2月     大嶺駅無人化

2 廃止理由
  美祢線の支線である南大嶺・大嶺間(2.8Km)は、明治38年の開業以来、石炭等の輸送路線とし
 ての役割を担ってきましたが、石炭産業の衰退により昭和46年に大嶺炭鉱が閉山となったことか
 ら貨物輸送が激減し、昭和58年には貨物営業を廃止しました。
  また旅客輸送についても年々減少を続け、当社としましてもサービス維持に努めてきたところで
 ありますが、平成7年度には1日の乗車人員が14人しかない状況にあります。
  こうした実態から、当該線区についてはすでに鉄道の使命は終えていると判断し、地元に対し廃
 止についてご理解を賜るべく調整を行ってきたところ、平成8年12月に地元の同意を得ることと
 なり、この度、廃止の許可申請となったものであります。

電報略号 ミオ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 7人/日(降車客含まず)
-2010年-
開業年月日 1905年(明治38年)9月13日
備考
* 1949年に伊佐駅から改称。


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