観光列車から! 日々利用の乗り物まで

日記代わりに始めました。
まずは先日の小旅行での観光列車から出張利用の乗り物まで。

宇野駅 /宇野線

2013-07-01 10:58:23 | JR西日本 本四備讃線・宇野線

宇野駅は、ローカル盲腸線宇野線の終着駅です。かつては、四国への移動手段であった宇高連絡船との接続駅として、東京・大阪方面からのブルートレイン「瀬戸」や特急「うずしお」など優等列車や貨物列車が入線して賑わい、構内には側線や機回し線、引込み線などが幾本もある広大な駅でした。

しかし1988年(昭和63年)に瀬戸大橋の開通で四国との連絡口としての使命を終え、1990年(平成2年)には宇高航路で残っていた高速艇も休止になり、1994年(平成6年)2月に旧駅舎(鉄筋コンクリート2階建、屋上に平仮名で「うのえき」の看板)の北側へ新築されました現行駅舎へ移転し(この時までにホームが嵩上げされた)、翌年から始まった旧駅舎の解体をはじめとした駅前広場の再開発により、その名残もほぼなくなった。2011年(平成23年)3月12日現在、日中は普通列車が1時間に1本発着するのみとなっています。岡山県玉野市築港一丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)宇野線の駅。

駅前には、バス・タクシー乗り場、コイン駐車場、駐輪場、ポスト、公衆電話、玉野警察署宇野駅前交番などがあります。また、パークアンドライド(要予約)に対応する。駅前はロータリーが整備され、また中央のオブジェを含め水棲生物の像があちこちにあり、公園のようになっています。

両開きの線路配置で、島式ホーム1面2線(頭端式)を持つ地上駅。平成6年に移転新築された南欧風の洒落た駅舎です。駅舎はホームとは直角に設けられています。列車留置用の側線が2本あります。出入口(改札)は1か所です。

直営駅(児島駅の被管理駅)であり、駅舎内にはみどりの窓口、みどりの券売機、近距離乗車券の自動券売機(オレンジカード対応)、玉野市観光案内所、キオスク売店、自動販売機、デジタル公衆電話(テレホンカード、ISDN対応)、改札内に水洗式トイレなどがあり待合室は十分に広いスペースです。自動改札機は設置されておらず、岡山地区でも使用が開始されたICOCAには改札、自動券売機ともに非対応です。駅スタンプも配備されました。

改札口には三角の明かり取り窓があります。駅構内に乗務員宿泊施設がある。移転前の駅は現行の駅よりも南側(海側)の像がある広場付近に南北に建っていた。駅南東の空地には、かつての宇高連絡船のバース跡がわずかながら残っています。

宇野駅プラットホーム
ホーム 路線     行先
1・2 ■宇野線 茶屋町・岡山方面
※日中は主に2番のりばから発車します。
ホームはカラー舗装されています。上屋は長いですが狭いホームです。

2004年(平成16年)8月30日に中国地方に上陸した台風16号の影響で瀬戸内海沿岸は予想以上の高潮が発生し、宇野駅周辺も冠水し翌朝始発列車の為に駅構内(ホーム)へ停泊していた岡山電車区所属の105系F8編成(2両)と、115系D18編成(3両)の2本の電車も床下浸水の被害を受け電気部品・回路の故障により自走不能に陥り、駅構内の電気・信号設備も冠水、駅事務所でもマルスなどの機器類が被災し、当日は始発からダイヤが大きく乱れ、各種乗車券・特急券など切符類の発券などをはじめとした駅事務にも支障をきたしました。
当時、岡山電車区では105系は新和歌山車両センター(当時)へ転出する編成があり、115系は短編成化・リニューアル工事、213系もワンマン化改造のために入場している編成が多く、予備車が極端に不足していたために、たまたま岡山電車区に留置されていた網干総合車両所所属の223系J1編成(6両)を急遽宇野線の運用に投入しました。

1910年(明治43年)6月12日 - 国有鉄道宇野線開業と同時に設置(一般駅)。宇高航路が開設され連絡船が就航。
1953年(昭和28年)4月5日 - 備南電気鉄道(のちの玉野市営電気鉄道)により、宇野駅 - 玉駅間が開業。
1955年(昭和30年)5月11日 - 濃霧の中、紫雲丸と第三宇高丸が衝突して前者が沈没し168人死亡する事故が発生(紫雲丸事故・国鉄戦後五大事故の一つ)。この事故をきっかけに、本四架橋(本州四国連絡橋)の構想が具現化していった。また、この事故をきっかけに乗客が乗った客車の航送は中止。
1956年(昭和31年)3月24日 - 備南電気鉄道が玉野市営電気鉄道となる。
1960年(昭和35年)
6月 - 宇野駅開業五十周年記念式典を開催。
7月6日 - 旅客ホーム2・3番線の使用を開始。
10月1日 - 宇野線電化、電車発着開始。
1961年(昭和36年)9月1日 - 宇野線の単線自動化が完成。
1965年(昭和40年)
8月26日 - 旅客ホーム1番線の延伸工事を開始。
9月25日 - みどりの窓口を開設(マルス102型端末設置)。
9月30日 - 旅客ホーム1番線の延伸工事が完成。
1968年(昭和43年)
6月4日 - 広潟第2踏切簡易跨線橋が完成・使用開始。同時に広潟第2踏切を廃止。
9月1日 - 駅構内にあり、開かずの踏切でもあった宇野踏切解消のため、宇野駅構内跨線橋工事が開始される。
1969年(昭和44年)
5月1日 - 宇野駅構内跨線橋が竣工・使用開始。宇野踏切を廃止。
8月23日 - 駅構内の大改良工事開始。
1970年(昭和45年)
4月5日 - 宇野線CTC化。
4月30日 - 宇野線の手小荷物運搬電車が運転終了し、手小荷物荷物の扱いも終了する。
5月1日 - 手荷物扱い駅でもあった備前田井駅・八浜駅の無人化に伴い、両駅の管理駅となる。
6月 - 宇野駅開業六十周年記念式典を開催。
10月1日 - 駅構内の大改良工事が完成。
1972年(昭和47年)
4月1日 - 玉野市営電気鉄道廃止。
11月8日 - 宇高航路にホバークラフトが就航。同時にホーム先端に乗り場ができる。
1980年(昭和55年)
6月 - 宇野線開業七十周年記念式典を開催。
1986年(昭和61年)11月1日 - 荷物・車扱貨物の取扱を廃止(旅客駅となる)。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)が継承。
1988年(昭和63年)
4月9日 - 宇高連絡船のさよなら運航。
4月10日 - 瀬戸大橋開通。本四備讃線が開業し快速「マリンライナー」などが運転開始。同時に岡山駅 - 宇野駅間の快速「備讃ライナー」、宇高連絡船やホバークラフトは廃止され高速艇のみ存続。
1990年(平成2年)4月1日 - 高速艇「しおかぜ」運航休止。
1991年(平成3年)3月16日 - 休止されていた高速艇が正式に廃止となる。
1994年(平成6年)12月3日 - 北側(内陸方向)に建設していた新駅舎の使用を開始。同時に営業距離を0.1km短縮。現在、海際にあった旧駅施設と桟橋設備は全て解体され跡地は再開発されている。
1995年(平成7年)3月 - 旧駅舎の解体工事が始まる。旧駅舎や駅構内跡地周辺の再開発工事が開始される。
2004年(平成16年)8月30日 - 台風16号の高潮により被災(後述)。翌8月31日は、台風の影響により駅業務も支障が出て始発からダイヤが大きく乱れる。
2006年(平成18年)4月21日 - 強風のため、瀬戸大橋線が始発から運休し、宇高国道フェリーや四国フェリーの宇高航路での振替輸送を実施。これに対応するために、臨時「マリンライナー」が岡山駅 - 宇野駅間で終日運転される(宇野駅 - 茶屋町駅間ノンストップ、一部列車は茶屋町駅まで各停)。
2009年(平成21年)4月1日 - 本四フェリーが宇高航路から撤退。宇高航路は国道フェリーと四国フェリーの2社体制となる。

電報略号 ウノ
駅構造 地上駅
ホーム 1面2線
乗車人員
-統計年度- 1,198人/日(降車客含まず)
-2010年-
開業年月日 1910年(明治43年)6月12日
備考 直営駅
みどりの窓口 有

 


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1 コメント

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Unknown (安芸路マリンビュー)
2013-07-06 21:23:01
宇野線の(茶屋町)~宇野間は、
IC乗車券の利用エリア組み入れが見送られ、
今日に至りました。
岡山近辺のIC乗車券利用可能エリアは、
岡山駅基準で、例えば、
赤穂線は長船駅、津山線はひと駅先の法界院駅までというように、
どうも中途半端なところで区切られている印象が、
ぬぐえないようで、
IC乗車券普及率アップの足かせになっていると思います。
JR西日本においては、
近畿圏、岡山・広島エリアでの、
IC乗車券利用可能線区や駅の新規拡大とか、
近畿・岡山・広島地区のICエリア結合は、
現時点ではまったくメドが立たないそうです。
地方の線区によっては、
列車の車内にIC乗車券自動販売機や、
セルフ方式のチャージ機を整備するなど、
IC乗車券の使い勝手向上のためのアイディアは、
いろいろ考えられると思いますが・・・・
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