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片上鉄道、DD13 551(国鉄DD13形ディーゼル機関車)

2016-11-08 10:50:08 | 乗り物(列車・車両)

国鉄DD13形ディーゼル機関車(こくてつDD13がたディーゼルきかんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が製造した入換用液体式ディーゼル機関車である。

ヤード構内での車両入換作業に用いることを主目的として開発された機関車である。本形式が製造される以前、車両の入換作業には明治・大正時代から戦前にかけて製造されたB6形や、9600形、8620形等の古豪蒸気機関車が使用されていたが、都市部では煤煙による周辺環境への悪影響が、国鉄部内でも機関車自体の老朽化、動力費と人件費の増加などが問題視され始めていた。しかし、その当時、国鉄が保有していた入換用ディーゼル機関車は、DD11形およびDD12形(アメリカ製)の10数両のみで、それらはいずれも出力は300ps級にとどまっており、ヤード構内での入換には力不足であった。
そこで、DD11形より出力を増強し、入換用として適切な出力を備えたディーゼル機関車が計画された。こうして1958年(昭和33年)から製造されたのが本形式である。入換のほか、支線などでの小運転に用いることも想定された。
蒸気機関車を置き換える入換機関車の決定版として量産されたが、規模の大きなヤードで使用するには不向きである[1]こと、軸重が14tとローカル線(丙線)での運用には大き過ぎるうえ、客車暖房用の蒸気発生装置を持たないという欠点もあり、DD20形の試作を経て、1966年にこれらを解消したDE10形や、これを基に入換用途に特化したDE11形が開発されたことから、1967年(昭和42年)をもって製造が中止された。(なお、私鉄や臨海鉄道向けには、その後も同類機が継続的に製造された。

外観はDD11形およびDD12形と同様に、2台のエンジンの間に運転室を設けた凸形のセンターキャブ形状である。ディーゼルエンジンは、1937年(昭和12年)に試作されたキハ43000形電気式気動車用 DMF31H(横型 = 水平シリンダー、直列6気筒、排気量31リットル、渦流室式。連続定格出力240ps/1,300rpm)をベースに、国鉄・新潟鐵工所・振興造機・ダイハツ工業で共同開発したDMF31S形(縦型 = 直立シリンダー、直列6気筒、排気量31リットル、予燃焼式、連続定格出力370ps/1,300rpm)を2基搭載する。変速機は液体式で、振興造機が開発した変速2段、直結1段のリスホルム・スミス式シンコー DS1.2/1.35 を2基搭載しており、DC11形のTC2、DF115の変速1段、直結1段よりも伝達効率が高められている。両端のボンネットには、機関とそれに装備された液体変速機が搭載されており、動力の伝達は、両端のボンネットに搭載された2つの機関からの出力軸を、一旦運転席床下に設置された逆転機に集められ、前後の台車に推進軸で動力を振り分ける方式を採用しているが、片側のエンジンだけを使用して運転することも可能である。
110号機までは前照灯が各エンドに1個ずつ設置され、両ボンネット前面のラジエーター用ルーバーは、冬季のオーバークール対策からシャッター機能付きとされ、エンジンも連続定格出力 370ps/1,300rpm の DMF31S 形であったが、111号からは、排気過給機(ターボチャージャー)が装備され、連続定格出力が500PS/1,300rpmに増強されたDMF31SB 形エンジンとなり、従来クランク軸によるベルト駆動であった冷却ファンは、静油圧駆動に変更となり、ボンネット上面に設置された。前面は通風口が廃止され、前照灯がシールドビーム2個となり、外観が一変した。

500番台
基本番台の 112 - 264 のグループをベースに重連総括制御仕様としたもので、300番台よりも早く1965年から18両が製造された。制御機器が重連総括制御対応に変更されたほか、車端部に制御回路引き通し用ジャンパ栓受、釣合管等の増設が行われた程度で外観的に基本番台(112号機以降)と大きな変化はない。

製造当初はヤードでの入換や小運転に用いられたが、DE10形が登場してからは専ら入換用あるいは貨物支線用となった。ごく一部に旅客列車の牽引を行った事例(水郡線・清水港線・福知山線(尼崎港支線)・山陽本線(和田岬支線))や重連で本線貨物列車を牽引した事例(羽越本線)も存在する。
国鉄末期、貨物列車の減少と赤字増大による貨物輸送システムの改革により、ヤードや貨物支線が廃止されたことで余剰となったため1979年(昭和54年)以降急速に廃車が進み、JR各社には912形に改造されたものを除き1両も継承されることなく、国鉄最後の日である1987年(昭和62年)3月31日までに全車廃車となった。
その用途から、地味な存在ではあったが、後にDD51形の開発において、本形式で得られた経験はすべて生かされており、国鉄が液体式ディーゼル機関車で成功を収めることができた事実から、日本の鉄道車両史におけるマイルストーンとして記憶されている。


中小規模の地方鉄道・臨海鉄道などにおいては、本形式の汎用性の高さと仕様・性能の適合から、同系の自社発注車両や国鉄からの譲渡車が多数導入された。国鉄では既に淘汰された形式であるが、2015年現在においても多数の事業体が構内の入換作業や小運転などの用途に重用している。
片上鉄道、DD13 551 - 553・555・556。片上鉄道の自社発注機である。1960年-1968年に5両が日本車輌製造で製造された。本線使用を目的とした点では同和鉱業小坂鉄道DD130形と同様であるが、ボンネットの形状やラジエターグリルのサイズなど相違点も見られる。機関はDMF31SBI (600ps) を搭載し、台車は軸バネ式のNL8Bを装着する。塗色は国鉄ディーゼル機関車標準色に準拠。
線内の客車列車・貨物列車の牽引に使用され、1両 (556) は1978年に小坂鉄道に移籍、2両 (553・555) は1988年に廃車された。1991年の鉄道廃止まで使用された残存2両が以下のとおり保存されている。
DD13 551 - 柵原ふれあい鉱山公園(岡山県久米郡美咲町)※ 動態保存車
DD13 552 - 旧片上鉄道片上駅跡地(岡山県備前市西片上)

DD13形 - DD13-556、1978年、同和鉱業片上鉄道から移籍。DD130形とは異なり総括制御装置を装備していないことから通常は予備機の扱いであり、重連で使用する際は協調運転での取扱いとなっていた。塗色は片上鉄道時代のままで変更されなかった。

 

 


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