心と身体がよろこぶ“気功養生”

「養生気功塾」のお知らせ、気功の魅力、気功養生法、気功の生活術をメインに、日々のあれこれも書いています。

気功6000年の歴史 その1(01~02)

2022-05-10 17:19:26 | 気功の話

気功家・津村喬さんが残してくださった文章をご紹介。

 

このブログでも何度か文章をお借りして

その都度許可を得るために連絡差し上げると

自由に使って構わない

役立ててくださいと

いつもおっしゃってくださいました。

 

気功の歴史部分について

津村さんの文章をご紹介させていただきます。

 

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十項目でわかる気功の6000年の歴史

01 気功の始まりは5800年前の亀の呼吸  先史時代
02 黄帝内経と老荘で気功の基礎理論が作られた  戦国
03 丹田・命門等が発見とされ五禽戯・導引図など基本の導引が作られた  漢
04 黄庭経・抱朴子・養生要集の三大古典が書かれた  魏
05 天台小止観で気功の基礎理論が作られた  随  
06 医師たちが気功治療を具体化する一方、内丹理論が完成した  宋
07 薬学者李時珍が体験に基づいて奇経八脈理論を提出した。  明清
08 劉貴珍北戴河療養院、陳濤上海気功研究所が現代気功の始まりになった  中国建国後
09 民間の気功が大流行になり、法輪功ではじけた。  2000年まで
10 健身気功が国の気功として作られた。  2004年以降


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01 気功の始まりは5800年前の亀の呼吸  先史時代
(1)書物に書かれているのは
 『尚書』には4000年前の中原地帯が洪水で洪水でかなりの部分が水没したとある。『呂氏春秋』がその洪水の時期に湿気で気が停滞して筋骨が緊張し全身の関節病が流行し、舞踊を用いて気血を動かして治療したという記載がある。この舞いは導引の先駆形態と見られる。
(2)医学書の記載では
 『黄帝内経素問・移精変気論』には「昔人がけものの間に住んでいるような時代、動作をして寒さを逃れ、陽の当たらない所に住んで住んで厚さを避け、内にはあれこれ思い悩まないよう、外には疲れすぎずに、こだわりなくくらしていると、邪におそわれないことがわかっていた」とあるが、これは原始的な気功法の描写である。
(3)考古学からわかることは
 1975年に青海省で出土した彩色の壷には膝を曲げて両手を腹の脇に当て、口を開けて上を向いている人の姿が描かれていて、服気吐納をしていると見られる。これは5800年前に気功が既にあったことを表している。発見地点の岷江のすこし下流には鼈の名前を王に付けた王国が存在しており、これこそ亀の呼吸だとも主張されている。
 1957年にやはり青海省で発掘された「踊る人の描かれた盆」には五人一組で手をつないだ人が三組踊っている姿が描かれている。これは舞踊・気功の起源の形であると見られる。
(4)シャマニズム起源説
 宗教の古い形であるシャマニズムは気功の起源のひとつと考えられる。夢見心地の時に霊魂が肉体から遊離するなどの実感を得たのかもしれない。原始的な分かはみなこのシャマニズムと結びついている。『黄帝内経』にも「祝由」「移精変気」という言葉でシャマニズムの心身医学的応用について書かれている。これについては漆浩著、池上正治訳『中国養生学の神秘ー医学・巫術・気功』がある。

 

 

02 黄帝内経と老荘で気功の基礎理論が作られた  戦国
 中国気功はゆったりした原始的萌芽の時期を経て、殷周時代になると、社会の生産力の高まりと文化的発展に連れて、一門の学説をなすようになった。特に春秋戦国の時期には百家争鳴となって、医、儒、道、法などの諸家が気功の発展に貢献した。
(1)『黄帝内経』が気功学の基礎を作った
 春秋戦国時代にまとめられた『黄帝内経』は気功学の基礎を据えた。内容はあちこちに分散しているが,理論方法から治病までみな書かれている。『黄帝内経』は一種の社会医学で「社会=心理=生物学」を統合する考えがあった。導引・按摩・行気を論じた「霊枢・病伝」、養生原則を説いた「霊枢・本神」、腎虚証の患者に対して午前五時から七時南を向いて入せいし唾液を飲むことを説いた「素問・刺法論(遺篇)」,気功が脳の開発に通じることを論じた「素問・生気通天論」などなどがある。
(2)道家思想の気功学への貢献
 道家を代表する老子は紀元前577ー477ころ生きた大思想家である。道徳経・老子五千言を残した。その中には「守一」「守中」とよばれる瞑想法、「虚其心、実其腹」という入静法、「専気致柔」という吐納導引法から「道法自然」の天人相応観まで、気功の基礎理論はここに出尽くしている。荘子には導引から周天、踵息、坐忘、心斎などの功法が具体的に紹介され、また気功のイメージ操作をさまざまに言葉にしている。
 老荘は気功養生学の基礎を据えた。だから後生の人は気功を「黄老の学」と呼んだ。
(3)儒家の場合は
 孔子の有名な「八目」ー格物、致知、誠意、正心、修身、斉家、治国、平天下は気功の修練と言ってもよい。『中庸』は養心と養気について書いている。『中庸』『大学』の中では「慎独」という日常の中で自己点検をして行く一種の気功法が説かれている。
 孟子が「浩然之気」をいい、荀子が「治気養生之術」を説いたように、儒家も一貫して気の修練を論じる。荘子の書いている顔回の坐忘は静坐法の始まりと言われる。
(4)その他の思想家たち
 『管子』の「心術」「白心」「内業」などの著作で主として静坐の方法とその効能を説いた。韓非子もまた「虚静」のレッスンを通して「長生久視」が可能になると説いた。儒家では専ら静功が重んじられた。『呂氏春秋』には動静結合の視点が見られる。
(5)行気玉佩銘をめぐって
 戦国時代の《行気玉佩銘》はひすいの十二面体の玉に45の文字が刻まれたもので天津博物館にある。「行気、深則蓄、蓄則伸、伸則下、下則定、定則固、固則萌、萌則長、長則退、退則天。天幾春在上、治幾春在下。順則生、逆則死」がその全文。古来さまざまな解釈がなされてきた。

 

 


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