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読書日記です。っていうほど読書量が多いわけではないけれど。。。

黎明の世紀 -大東亜会議とその主役たち

2009-02-01 | ノンフィクション

黎明の世紀―大東亜会議とその主役たち (文春文庫)
深田 祐介
文藝春秋

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 1994年に出版された本です。深田裕介といえば、”スチュワーデス物語”の作者というイメージでしたが、こんな本も書いておられたのですね。

 

 

本書のテーマについては、著者はあとがきでこう書いています。

 

 

戦後極東軍事裁判に象徴されるような「民主主義対ファシズム」の図式のもとに、戦時日本の行動はいっさい飽くとして否定の対象にされ、マスコミもこうした思考に極めて率直に順応した。

 

 

しかし、著者自身の記憶、特に昭和18年のこの大東亜会議当時、一少年が「華やかで輝かしい」という印象、日本全体が興奮していたという記憶とどう折り合いをつければよか。一度きちんと向き合って確認してみようと思われたのが本書を執筆されたきっかけ。そして、その結果

 

 

結局、戦時日本人はアジア開放の大義を信じていたが故に、それを理念として宣明した大東亜会議は日本の朝野をおおいに昂揚させたが、東條首相のアジア家族主義がいい例で、日本はおおむね主観的善意の押し付けに終始した。いわば全アジア満州国化の意図だが、これに対抗するアジア諸国との政治力学的関係がテーマになったといえよう。

 

 

と結論づけておられます。ここだけを読むと日本に批判的に見えますが、本文中は必ずしもこういうトーンばかりではありませんでした。一方的な否定や肯定ではないため、読みながら、この人は結局何が言いたいんだろうか・・・と困惑してしまうことが多々ありました。私自身は歴史書の評価ができるような基礎がないので、この結論に対し好き嫌いしかいえないのですが、歴史にたいして、単純に白黒つけられないのはあたりまえで、非常に常識的な感覚だなと好感を覚えました。

 

 

 この本が単行本として出版されたのは、1991年。取材開始が昭和58年とあり、当時として、これ以上日本を擁護し、礼賛することは、一執筆家としての評価を考えればやりにくかったという穿った見方もできますが、とりあえず表面どおりに受け取ると、”大東亜共栄圏”という言葉をに高揚し義を感じた日本人の立場とその言葉の圏内にあった国々のリーダの立場と思惑、その2つの視点から公平に評価しようと努力されている、その事が貴重だと思います。

 

 

 このところは、「民主主義対ファシズム」という単純な図式を見直そうという流れが主流になったようで、それは、それで必要なこと。しかしそれは、戦後60年たっても頑なに責め続ける中国や韓国に対する日本人の蓄積された不満と苛立ちといった感情と非常に相性がよく、ともすれば、”当時の状況を考えれば仕方がなかった”、から更には、”我々は悪くなかった”、そして”我々は正しかった”と言う、、全否定の反動から言い訳、全肯定へと向かっているようで少し危うさを感じるのは私だけではないと思います。

 

 

 とにかくも、この本を読んで、ある意味お人よしの日本のリーダー(東條)に比べ、南京、インド、ビルマ、フィリピンなどのリーダーたちのしたたかで政治家らしいことに驚きました。

 

 

 大東亜会議から戻ったインドのリーダ-、チャンドラ・ボーズの言った言葉

 

 

日本という国が偉いことは認める。よい兵隊がいるし、いい技術者もいて万事結構である。ただし日本には、よき政治家(グッドステイツマン)がいない。これは致命的かもしれぬ

 

 

 とは・・・。東條に会ったその直後の言葉ですから、面白いですね。 戦後、こういう風に過去を振返られなかったことがまた致命的。東條をファシストの親玉というイメージで捉えていましたが、良くも悪くもそこまでの器ではなかったということでしょうね。

 

 

日本にいまだにグッドステイツマンがいない事の根っこはこの辺りにあったのかもしれない。兎も角も、古本屋で投資した100円は十分に回収して余りあるものでした。

 



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