本が好き 悪口言うのもちょっと好き

読書日記です。っていうほど読書量が多いわけではないけれど。。。

図説 オランダの歴史 佐藤弘幸

2012-08-13 | その他

 ”ふくろうの本”シリーズの本をこんなにじっくり読んだのは初めてかも・・・。

 ノンフィクションは好きでも、こういう形式になっているとなんとなく、教科書のようでなかなか読み切れないのです。

 やっぱり自分が旅行に行こうと思うから、読み切れたのだとは思いますが、でも十分面白い本でした。

図説 オランダの歴史 (ふくろうの本/世界の歴史)
佐藤 弘幸
河出書房新社

 別に奇をてらうような書き方はされていないので、純粋にオランダの歴史が、非常に面白いと言えるのかもしれません。

 ローマによる支配の時代から、フランク王国による支配、ノルマン人の侵攻などの時代を経て、中世を迎える。ホラント伯家、エノー伯家、バイエルン候家、ブルゴーニュ候家などの領地となりながら、最後はスペイン支配下となり、近代を迎える。

 17世紀には、繁栄を誇ったオランダもイギリスやフランスといった大国の中で次々に戦争に巻き込まれ、貿易が落ち込み、また莫大な戦費の負担により18世紀には衰退が明らかになる。19世紀には、ベルギーも含めたネーデルランド王国が誕生し、国王ウィレム一世のもと経済立て直しに取り組む。社会インフラの整備や、近代的な銀行、商事会社なども設立したが、実際に破たんした経済を支えたのは、植民地から搾取して得たものであった。

 第一次大戦では中立を守り続けたため大きな被害はなかったが、第二次大戦では中立を宣言したものの、ナチスドイツに占領されたため、亡命政府は連合国側につくこととなり、終戦を迎える。 戦後もそのまま植民地支配をつづけようとしたが、結局は各植民地は独立し現在に到る。

 と、おぼろげな記憶で自分のためにまとめてはみたのですが、なかなかこれでは面白さが伝わらないですね・・・。

 でも、この本で一番私の記憶に残ったのは、あとがきです。

 ”オランダ人はなかなかレトリックに長けた国民であることもわかる。天才肌といってもいい。ある著名な日本人作家が残したオランダ紀行のように、ほとんど称賛だけに終始するのも一つの書き方ではあるが、本書はなるべくバランスを心がけながら、オランダの歴史の大づかみな流れを描いてみたつもりである。”

 これは、私も先日読んだばかりの司馬遼太郎のオランダ紀行への批判ですが、司馬さんにすれば、多分あちらでいろいろお世話になった方の事もあり、批判しにくかったのだろうなとはおもいましたが、かなりべた褒めで少し違和感はあったので、なんか読みながら自分のセンスを肯定してもらったようでニンマリしてしまいました。

 また、”知らんかったんかい!”と言われそうですが、アンネの日記の時代背景もよくわかって、改めて、隠れ家の皆で集まってイギリスからのラジオ放送を聞き、期待を膨らませたりしていたことや、ナチスの支配下にありながらも、普通のオランダ人がユダヤ人である彼女たちを匿ったという事実の背後にある感情も、少しは理解できたと思います。

 学生時代に、世界史はほんと苦手だったんだけど、もうちょっとちゃんと勉強しておくべきだったなぁ・・・とウン十年たって後悔しております。


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アンネの日記(完全版)

2012-07-12 | その他

 それでも、どんな信仰であれ、なにか信仰を持つひとは、正しい道を踏みあやまることはないでしょう。問題は神を恐れることではなく、自らの名誉と良心を保つことなんです。

 アンネの日記

アンネの日記 (文春文庫)

アンネ・フランク  深町眞理子 訳

文藝春秋

 ナチスによるユダヤ人迫害について、一番最初に知ったのは、「アンネの日記」だったような気がします。

 とはいえ、ウン十年前のことで、その時どんなことを感じたかなんて、何も覚えていません。

 覚えているのは、隠れ家の写真。本棚の奥に隠れ家の入口があるなんて・・・とナチスによる迫害というより、”隠れ家”生活への興味の方が大きかったようにも思います。

 この秋、オランダ旅行をすることになり、この機会にと読み直してみました。

 子供の頃に読んだものは、アンネの日記をもとに父のオットー・フランクが、父親という立場や、彼自身直接知っていた人たちの名誉を傷つけまいとする意図もあり、編集を加えていたものですが、今回読んだこの完全版は、アンネ自身が、戦後この日記をもとに本を出版したいと考えて、それまでの日記を清書し、内容にも手を加えて文章を書きなおしたものをベースにしたものだそうです。

 以前のバージョンの内容を覚えていないので、想像にすぎませんが、確かにこの文章をティーンエイジャーだった私が読んだら、アンネに対して随分違うイメージを持っていたかもしれません。

 隠れ家で住み始めた13歳の頃のアンネは、まだまだどこにでもいる、生意気な少女。

 本が好きで物知りだったのもあるのでしょうが、周囲に対してかなりの上から目線で、とても友達に慣れそうもないタイプ。

 ですが、両親と姉、そして全くの他人4名との2年に亘る特異な共同生活を通じて彼女の内面がどれだけ成長したか、これはもう驚くばかりで、大人としてちょっと恥ずかしくなるほどです。

 冒頭の文章は決して、誰かの言葉をそのままコピーしたものではなく、自分自身や同居人達への深い洞察をベースに彼女自身の信念として書かれたものです。

 しかし、大人に対する容赦ない批判は、同じ年頃の読者にとっては、そうだそうだ!と同感するところが多いでしょうが、大人目線で読むと痛い・・・。

 こんなスマートな少女と2年間も狭いスペースで一緒に生活するってちょっとイヤかも・・・。

 それにしても彼女のこの洞察力は、15歳以上生きられないという運命の中で天が与えたものに違いないと宗教心のない私でも思わざるをえません。

 もし彼女が生き残ったとしたら、”アンネの日記”がこれほどまでに読み継がれることはなかったでしょうから。

 そして今回本書を通じて、自分たちの危険を承知で、ユダヤ人たちを支援した多くの”普通”のオランダ人の存在にも深く感動しました。

 自分が同じ立場になったら、とても同じことができるとは思いません。”オランダ紀行”で司馬遼太郎がオランダ人のことほめ過ぎじゃないって思いましたが、やはり尊敬すべき人たちだと思いました。

 人間として、正しく生きなくちゃいけないなぁ・・・なんて思った一冊でした。


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心が喜ぶ働き方を見つけよう 立花貴

2012-05-02 | その他

思い描いた夢をずっと忘れずに追いかけていると、ある日突然ワープして、その場所に急に近づくときがくる。そこまであきらめずに、感じたまま行動し続けることが大切なのだ。

心が喜ぶ働き方を見つけよう
立花 貴

大和書房

 GWが始まった28日から3日間、宮城県石巻市雄勝町というところに行っていました。そこで出会った本書の著者である立花氏は、震災後この地区で地元の漁師さんたちとOh!GUTS!という会社組織を立ち上げられました。

 東北大学を卒業後、大手商事会社で6年勤められたのち、食品会社を立ち上げて10年、2010年5月、突然社長を解任されたという経歴の持ち主。自分で作った会社から追い出されるなんてまるでスティーブ・ジョブズみたいだなと思いますが、実際に28日にお会いした印象では大違いでした。(私のイメージではジョブズは頭がいいのは認めるが相手の気持ちは全く分からない人というネガティブなものですので・・・)

 バブル崩壊後失われた10年が20年となろうとしていた時に起こった東日本大震災は多くの人に衝撃を与えました。津波に襲われた後の町はまるで戦後の焼け野原の写真のようだと感じた人は私だけではなかったと思います。

 ですから、「壊滅的な町でやることに意義があると思っている」という著者の言葉には説得力を感じました。

 戦後、焼け野原からの復興と高度成長を自分たちが支えたという自負が団塊世代より上の人たちにはあったと思います。しかし、大人になった時にすでに高度成長が終わっていたそれより下の世代にとっては、豊かさは既に空気のようなもの。

 自分が社会に対して何かできるなんて思えず、我々の世代は、「三無(無気力、無関心、無責任)主義」、「しらけ世代」と呼ばれ、私自身も、「社会」の中の自分という意識を殆ど持たずに今まで来たような気がします。

 著者は私よりは若いですが、それでも同じ1960年代の生まれ。

 30年前だったら、”ダサい”と感じたかもしれない彼の熱さが、ほんとかっこいいなぁと思いました。

 これまでに東京から雄勝へ連れて行った人は、1年間でのべ700名以上になる。首都圏で働く人たちに、震災地を見てもらって、感じてもらって、現場感を持ってもらいたいからだ。そして、雄勝に関わりを持って一緒に活動してくれる人を増やしたいからだ。

 この行動力が、また人を呼ぶんですね。

 Oh!GUTS!では、漁師→漁協→仲買→小売り→消費者という流れを漁師→消費者ダイレクトにすることにより、消費者はより新鮮なものが届けられ、生産者はより多くの収入を得られるようになるということを目指しています。しかし、それだけではなく、消費者にもっと生産現場を見てもらい体験してもらうために、様々なイベントを企画されたり、また、漁師を目指す人の人材育成、そしてそれだけでなく、食を通じて日本の未来を担う子供たちへの教育にも一役買おうとされています。

 もちろん、立花氏自身は仙台出身で、雄勝にとってはよそ者。苦々しい気持ちで見ている人もいるだろうというのは想像に難くありません。それでも、たぶん震災前の状態に戻すことを目標としていても将来はないということも事実だと思います。

 復興には夢や希望が必要なんです。

 そんなこんなことを考えていたら、ふっと私の脳裏に浮かんだのは「ネバーエンディングストーリー」のオオカミの言葉。

  「希望を失った人々は支配しやすいからだ」

 夢を見、希望を持つことが、一度は崩壊してしまったファンタジアを再び再生させるという物語でした。

 暴走気味の資本主義に違和感を感じていたので、この震災をきっかけに日本が変われたらいいなぁって思ってはいましたが、こんな風に夢を形にしようと動き出している人がいるんだなぁと胸が熱くなりました。

「何もなくなってしまった震災地で、なかでも特に厳しい状況の雄勝で、これだけのことができるのだから、どこでもできる」と思ってもらいたい。

 小さな成功体験が伝搬してほかの人たちにも希望が生まれる、そんな連鎖が生まれれば素敵だと思います。理想と言われようと、夢を語ることは大切な事ですね。

 若い人には、是非読んで、何かを感じてもらいたいなぁと思う1冊で、私もさっそく姪っ子に贈ることにしました。

 また、とりあえず今の自分にできるのは雄勝の事やOh!GUTS!のことを知ってもらうお手伝いをすることなので、このブログでも紹介させてもらいました。

 


人気ブログランキングへ うぁ・・・長い間更新サボっていたため、ランク外になってました・・・。


芸術か人生か!レンブラントの場合

2012-04-08 | その他

 レンブラントは聖なる主題への新たなアプローチを創始したのである。彼のおかげで、風俗画と歴史画は融合し、日常と尋常ならざることが互いに入混じり、その境界がぼやけていく--絵の中の存在や物が溶け合うのと同程度に。この意味において、レンブラントはプロテスタンティズムの偉大な画家なのである。だからこそ、彼の作品が好んで宗教的主題を取り上げているとみなされようと、人間たちの住むこの卑俗な世界には画家が生み出した絵が満ち溢れているのだ。そこにまたレンブラントが依然として私たちに親しい画家であり続けている理由でもある。

芸術か人生か! レンブラントの場合
ツヴェタン・トドロフ
みすず書房

繁栄と衰退と」に続く、オランダ・ベルギー旅行用読書第2弾!

 私自身、昔から絵が好きだったというわけではないのですが、旦那が画家なので、結婚後は、絵を見に行く機会が増えました。

 そして見ているうちに不思議だなぁと思ったのが、オランダ、ベルギーって小さい国なのに、レンブラント、フェルメール、ルーベンス、ブリューゲル、そしてもちろんゴッホと、ビッグネームが並び立っているんですよね。どういう背景があったのかなぁ・・・と。

 旦那に聞いたところ、

 「あぁ、それはブルジョアが多かったから」

 ・・・説明が簡潔すぎて、よくわかりません。

 今回、この本を読んで、ちょっと、理解のとっかかりがつかめたような・・・。

 やはり、旦那のいうように、16世紀から17世紀にかけて貿易で栄えて、経済的に潤ったことがインフラとして大きかったようですね。著者はそれに加えて、宗教改革によって生まれたプロテスタントという価値観が社会そして芸術に与えた影響も大きかったようです。

 そういう時代の中でレンブラントが、ぬきんでた存在だった理由について、 本書の中では、習作として描かれた多くのデッサンを取り上げながら、彼の芸術に対する姿勢にあったと著者は述べます。

  ということは、この画家の作品に宿る人間的美質から、作者の人間としての美徳を演繹したり、描き出されたものを素朴に実生活に投影したりすることは慎まなければならないのだ。それどころか、彼の伝記的な事実からしても、創作過程の特徴からしても、レンブラントがそういった美徳を気にしていた形跡はなく、むしろ自分の絵画の完成という唯一の目的追求のために近親者を進んで利用していたことを示唆しているように思われる。彼の周囲の人々は、副次的な役割に貶められ、この飽くことを知らない芸術家の餌食と化しているのである。

 とあるのは、死の病についている自分の妻でさえ、「衰弱した肉体と絶望したまなざしの秘密を探索する絶好の機会」と捉えてスケッチを繰り返すこの芸術家の残酷さを言っているのですが、著者は、これこそが芸術だと言います。

 むしろわたしたちは、彼が容赦なく(自分自身に対しても、人類に対しても)、人間についての新たなより深い真実の探求において、先達よりもさらに遠くまで突き進み、私たちが知っていることの境界を押しやってほしいと願う。芸術においては、この真実こそ、私たちは美と呼んでいるのである。わたしたちが偉大な芸術家たちに期待しているのは、彼らの美徳の証明でもなければ、他人の悪徳の糾弾でもなく、人間を、泥棒や人殺しを聖人や英雄と同等に理解し、理解させてくれる容量なのである。

  と、

 この文章を読んで思い出したのが、「消えたカラヴァッジョ」という本。

 カラバッジョは、16世紀から17世紀のイタリアの画家で、歴史や聖人の物語を題材にしながらも、とても人間臭いというか、生々しい印象の絵が印象的です。どうしようもない乱暴者で人殺しも犯して、最後は殺されてしまったという破天荒な人だったようです。

 ウィキペディアを読んでみると、現在の評価として、やはり、「ルーベンスホセ・デ・リベーラベルニーニそしてレンブラントらバロック美術の巨匠の作品は、直接的、間接的にカラヴァッジョの影響が見受けらる。」ということでした。

 16世紀のローマでは結局潰されてしまったカラヴァッジョが、レンブラントの中に受け継がれていたのですね。とはいえ、カラヴァッジョに比べると、どこか生真面目さがレンブラントには見られて、そこがプロテスタンティズムの芸術家というところなのかなぁ・・・。

 ますます、レンブラントの絵を見るのが楽しみになってきました。

 

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「フクシマ論」原子力ムラはなぜ生まれたのか 開沼博

2012-03-10 | その他

 私たちは生モノが腐敗しきるのをただ座して待つことを避けなければならない。すなわち「生モノ」の議論から離れ、保存可能な「忘却」に耐えうる視座を獲得し社会を見通すことを目指さなければならない。

「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか
開沼 博

青土社

 

 著者は、1982年福島県いわき市生まれで、現在東大の博士課程在籍。本書は、彼の修士論文として、昨年の3.11以前に書き上げられたものがベースです。

 一般向けに書かれた本ではないため、「学問」に疎い私には結構読みにくかったし、そんな私が言うのも失礼ながら、文章や分析が”若いなぁ・・・”と思わせるところもありました。

 とはいえ、彼が、「フクシマ」として世界中の注目を集めることになるなど思いもよらなかったころから、「福島」の原子力ムラに目を向けて、コツコツと研究をしてきたという事実は、変な話だけれど日本人として感謝したいと思います。

 彼が注目したのは、中央(政府や東電)と地方(県)と原子力ムラ(原発立地町村)の関係の変遷。

 明治期、中央から派遣される”受領”のような県知事が続いた時代には、ムラはある意味の自律機構があった。それが、戦時中の国民総動員体制のもとお国のためにと中央の統制に従属することを受け入れ、戦後は、自分たちのムラを守るために積極的に中央と結びつき、そのことにより「ムラはその依存の度を深めざるを得なくなり変貌して」いったという。

 この流れを植民地化の流れと対比して説明しているところが、とてもユニークだと思いました(が、その点についてはすでに指摘している人が多くあったかどうか・・・そこまでは分りません)。

 同じようなことかもしれませんが、私はそれを読んで、大学時代にとった「発展途上国経済論」の授業を思い出しました。

 アフリカのザンビアについてだったのですが、経済が銅生産に依存してしまい、それ以外の産業が育たず、銅の価格が下落すると国の経済が壊滅的な打撃を受ける、と言うような説明だったと記憶しています。(30年前の記憶ですので間違っていたらすみません)

 このときに、資源があるというのは必ずしも良いことばかりではないということを学んだのですが、原子力ムラが、一度原発を受け入れてしまうと、その依存度は高まり、別な産業を育てて”村おこし”することよりも、addictionalに新たな原子力施設を求めるようになっていたという状況が、ちょっと似ているような気がしました。また、発展途上国と先進国の関係、すなわち豊かなものと貧しいものと置き換えてもよいのかもしれません。

 土地もやせて貧しい村だったという原子力ムラを訪れた著者が最初に受けた印象は、”ある種の宗教的と言ってもいいような「幸福」なあり様だった”という。

 それは、まるで安全である「かのように」振舞いあうことによって担保される「原子力ムラの神話」によって、危うくも「幸せ」な生活を続ける現在の、そして、彼らの「子や孫が残って暮らせる」という夢がある面で叶い、そしてある面で完全に原子力に侵食されることになる未来のムラの圧倒的なリアリティに他ならなかった。

 お金が廻ってなんぼの現代社会の、幸福の現実なのでしょうか。

 明日(もう殆ど今日)は、3.11。

 とても現実とは思えなかった津波と、現実には起こるはずのなかった原発事故へつながった、ある意味日本にとっては日常茶飯事の「地震」があった日から1年。

 冒頭の文章は、日常から非日常を思い描くことができなかった、そして非日常が現実となってもそれを忘れていく社会に対する、著者の警告であり心の叫びのように思います。

 フクシマについては、放射能の恐怖や失われた人々の生活の話は繰り返し語られるけれども、それらは多分、時間とともに忘れられていくのでしょう。

 ”電力不足が経済の足枷になる”という言葉の持つリアリティに、早くもこれらの記憶を”忘却”もしくは、”抹殺”しようとするような雰囲気を感じることも多くなりました。

 しかし、2011.3.11以前の原子力ムラの、そして日本社会のリアリティをもう少し理解したうえで未来を描いていくことができなければ、つまらない日本になるような気がしてなりません。

 1年前に失われた多くの方々のご冥福をお祈りします。
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名画の謎 中野京子

2012-03-04 | その他

 ギリシャ神話を題材にした絵画は、裸体のオンパレードでした。

中野京子と読み解く名画の謎 ギリシャ神話篇
中野京子
文藝春秋

 さすが、「怖い絵」で人気を博した中野京子さんの絵画の解説は面白い。

 しかし、この本の本当の面白さは、ギリシャ神話。

 御伽噺や伝説が無数のヴァージョンを有するのと同じでギリシャ神話もまた一貫性やら正統性はあって無きがごとし。時代が下がるにつれ、さまざまなエピソードを吸収し、迷路のように複雑になってゆきました。教訓色は薄れ、神々は人間的になり、それとともにエンターテイメント性が飛躍的に向上します。

 ゼウスも、ヴィーナスも、恋愛(プラトニックではなく)が大好きだし、

 人間とも恋をするし、嫉妬もする。

 それに、ほんと、ヨーロッパ人ってヌードが大好きですよね。

 神話を題材にしていれば、堂々とヌードを描けるとあって、多くの貴族たちが、画家にそういう絵を注文したのだそうです。

 カトちゃんじゃないですが、あんたも好きねぇ・・・としか言いようがありません。

 実際問題として、これらの絵画を見るときの当時の人たちの気持ちは、現代でいえば、篠山紀信なんかの有名女優のヌード写真集を見る時のような気持なんでしょうか。

 日本にもいろいろ神話があり、神様が人間的であることは至極自然に受け入れられるのですが、天照大御神のヌードなんて、ありがたみが無くなりそうで、なかなか想像できません。

 これも、もし神話が現在の天皇家と結びついていなければ、違っていたのでしょうかね・・・。

 それにしても、この神々の奔放さを見ていると、ギリシャの財政破たんも、それがどうした!と開き直れるギリシャ人の神経の図太さがなんとなくわかるような気がします。

 などなど、起承転結のある読み物ではないだけに、まとめにくいですが、絵画を通じて神話を見るという企画を存分に楽しませてもらいました。

 


愉しい非電化 エコライフ&スローライフのための 藤村靖之

2011-07-02 | その他
愉しい非電化―エコライフ&スローライフのための
藤村靖之(工学博士、非電化工房主宰) 著
洋泉社

 

 この本、ほんと愉しいです。

 もちろん、この本を手にしたきっかけは、福島第一原発の事故に端を発する、電力不足があったからで、自分なりにちょっと深刻な気持ちで読み始めたのですが、とにかく、科学音痴で、仕組みについては良くわからない私も、なんだかワクワクしてしまいました。

 高度成長期を境に、「便利さ」、「快適さ」が求められるようになった電化製品は、現在ではマイコン制御で、自動化が進んでいる。この先にある(あった)のは、オール電化で、人間が何も考えなくても、安心で安全な生活環境を提供してくれるという世界・・・。

 だけど、少し考えてみれば、矛盾だらけ。

 軽いホコリを吸うだけなのに、1000Wの掃除機。(1秒間に1gのホコリなら、100、000m 運んじゃう仕事率の道具です)

 リモコンで操作するために、使ってなくても待機電力を使うテレビをはじめとする製品。待機電力だけで年間家庭消費電力の10%。(一応、関電のホームページによると、夏ではエアコンのために電気使用量が多く分母が大きくなるためか、4%となっています)

 昔に比べてスーパーの営業時間は伸びているのに、増大する家庭用冷蔵庫。

 などなど・・・。

 著者は、発明家なので、こういう矛盾を解決するために、いろんな非電化製品を考案されています。

 非電化冷蔵庫、非電化空調住宅、非電化除湿機に、ソーラークッカーなど・・・。

 自然の力できちんと動く。

 だから、きっと自然科学や、物理が生活実感として感じられるようになるから、自然への親しみ度が高まりそうな気がします。

 しかも読んでいていいなぁって思うのは、誰でも作れるから、壊れても直せるっていうところです。

 もちろん、誰でもと言ったって、不器用な私には難しい気もしますが、それでも、教えてもらえばできそう。

 今の、電気製品、特に電子制御のものは、故障して修理に出しても、買った方が安いですよって言われるものが多いし、新しく買いなおしたら新しい機能がついてたりで性能が良くなってるし、、物を大切に使うという気持ちが育たないですよね。

 それでも、『エコ』という言葉には、どこか胡散臭いものを感じて反発する人も多い。

 だから、著者の藤村氏がおっしゃるように、電気に代表される今の快適・便利を否定するのではなく、『愉しい方を選ぶ』、っていうことは、とても素敵なコンセプトだと思います。

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一握の砂・悲しき玩具 石川啄木歌集

2011-04-21 | その他
一握の砂・悲しき玩具―石川啄木歌集 (新潮文庫)
石川啄木 (
新潮社

 

 もともと、詩歌を読むほうではありませんでした。

 ただ、山頭火は結構好きで、それから最近、芭蕉がいいなぁ・・・と思うようになって、

 俳句がちょっと好きになりかけていました。 

 そんなわけけで、本屋で俳句の本を探していたのですが、

 同じコーナーにあって、ふと手に取った石川啄木の短歌に魅せられてしまいました。

 

非凡なるひとのごとくにふるまへる

後のさびしさは

何にかたぐへむ

 

 自分が、すごくできる人のように感じて、 つい調子に乗ってしまったあとの、後悔と、恥ずかしさ・・・。

 なんか、わかるなぁ。

 

あたらしき洋書の紙の

香をかぎて

一途に金をほしと思ひしが

 

 

新しき本を買い来て読む夜半の

そのたのしさも

長くわすれぬ

 

 

本を書いたし、本を書いたしと

あてつけのつもりではなけれど、

妻に言ひてみる。

 

 啄木ほどは貧困にあえいでなくても、本好きにはこの気持ちわかるわ・・・。

 そして、一番惹かれたのは、

 

友がみなわれよりえらく見ゆる日よ

花を買い来て

妻としたしむ

 

 あぁ・・・・。

 1912年に、27歳の若さで、この世を去った啄木の歌は、没後100年たっても忘れられていないのに、

 当時は、売れないし、お金はないし、落ち込んでしまうこともあったんだなぁ・・・。

 なんか、愚痴っぽい歌も多くて、うざいのもあるけど、共感できるものも多い。

 本屋でいろいろ詩集立ち読みしていたのですが、詩だと、どうしても説教臭くなるというか、

 自分の思いを吐き出すだけじゃなくて、こちらに押し付けてくる感じがいやだった。

 俳句は、短いから、情景を描写するだけでいっぱいいっぱい。その先は、読み手にゆだねられるからいいのだろうけど、

 読み手側に、それを理解できる技量が必要。

 和歌は、季語をいれるというルールがないからもう少し自由で、自分の思いも吐露できるけど、

 人に説教するにはちょっと短いので、決して押しつけがましくない。

 花鳥風月や、色恋だと、なかなか私にはわからないのだけれど、

 啄木は、生きる辛さをストレートに表現しているので、いいなぁ・・・と思いました。

 

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わかる放射線 近藤民夫著

2011-04-21 | その他
わかる放射線 (テクノ・アプローチ)
近藤民夫 著
共立出版

 

 引き続き、原発問題に関連する本ということで、放射能のことを書いてある本を借りてきました。

 人間は、”わからない” ことに恐怖を感じる。

 だから、やっぱりその恐怖の対象を理解することが大事!という、立派な志をもって、読んでみたのですが、

 前の記事でも書いた通り、”わかる”というタイトルに関わらず、私にはわかりませんでした・・・。

 残念・・・。

 学校でちゃんと化学や物理を勉強しておけばよかったなぁ・・・・。

 とりあえず、わかったこと。(こんな私のまとめですから、随分あてになりませんが)

  ・放射線は波長が超短く、周波数が超大きい電磁波。

  ・原子の中の陽子、中性子や、電子が、飛び出しているのが放射線

  ・こうやって原子が壊れて、より安定的な原子になっていく。つまりそもそもは自然現象

  ・1秒間に1つの原子が壊れるのをベクレルという値で表現している

  ・紫外線を大量に浴びれば健康に影響があるように、放射線も大量に浴びれば影響がある。(あたりまえだけど)

 ここまでは、本書の1/3くらいまでに書かれていたことで、実はこれで、私の頭は飽和状態になりました。

 それ以降は、基本的に、放射線がこれまでの歴史でどのような使い方をされてきたか、どのような可能性があるかということが書かれていました。

 医療利用、原子力発電などはもちろん、ほんとうにこんなところまで!?という身近なものまで紹介されていて、びっくり。

 たとえば、じゃがいもの芽が出ないように、放射線を照射しているとか、ミバエ駆除に、放射線をあびせて不妊化したメスを放して絶滅させたとか、とにかく私たちの生活でどれだけ利用されていることか・・・。

 こういうことを知っている人たちは、少ない量なら健康に影響がないと言えることを良くわかっていて、自信をもって、”ただちに影響を及ぼすレベルではない”という表現になるんでしょうね。

 でも、この”乱用”が、ゆっくりと人間に影響を及ぼした結果が、日本人の死亡原因の第一位が、”がん”ということ???

 などなど、いろいろ考えてしまいました。

 著者は、決して放射能の危険性を甘くみているということはなく、いろいろな課題があることはきちんと認識されており、とてもフェアな書き方だと思いますが、それでも、基本的には、”きちんと管理されていれば安全だ”という立場です。

 もちろん、私にとっては、福島第一原発の事故がなければ、読もうとは思わなかった本ですが、もし、事故の前に読んでいたらきっと、すっかり納得しちゃったでしょうね。

 だって、”きちんと管理されていれば” という条件が、あくまでも仮定であるということが分ってしまったのですから・・・。

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エネルギー革命 メタンハイドレード 

2011-04-16 | その他
エネルギー革命 メタンハイドレート (家族で読める family book series 003) (家族で読めるfamily book series―たちまちわかる最新時事解説)
松本 良 著 
飛鳥新社

 

 今も、原発事故が続いていて、やはり一番気になることです。

 残念ながら、化学も物理も数学も、とにかく理系が苦手な私には、原子力のなんたるかもわからないのが、悔しい。

 それでも、原発がいるのかいらないのかを少しでも考えるための延長線上に、エネルギー問題があるということくらいはわかる。

 日本が世界を敵に回してしまった、昭和の戦争のときだって、やはり石油問題が大きかったのだし。

 ということで、少し前から気になっていた、メタンハイドレードについての本を図書館で見つけて読んでみました。

 なんといっても、家族で読めるシリーズということで、理系音痴の私にも読めそうだし、93ページの本で、字も行間も大きいというのは、ハードルが低い。

 ということで読んでみました。

 もちろん、私レベルでさっと読んでわかるというわけにはいきませんが、それでも、なんとか、ベーシックな知識は得ることができました。

 超要約すると

 ・メタンハイドレードは天然ガスの氷

 ・日本周辺の海底にたくさん眠っていると期待できる十分な証拠がある

 ・日本は、この研究に2001年から毎年40億円程度の国家予算を割り当てて、世界のトップを走っており、2018年に商業生産をめざしている

 ・メタンガスは、燃やしたときに出るCO2は、石油や石炭よりは少ないが、ガスそのものの地球温暖化係数はCO2の23倍

 ・掘り出したときに、海底を不安定化する可能性もあり、CO2、地球温暖化ガス問題と併せて環境問題への取り組みは重要である

という感じでしょうか。

 著者の専門は地質学(東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻教授)。中でも「堆積学」という分野で研究をされていて、海底掘削物の分析をしている中でメタンハイドレードと出会ったのだそうです。

 ということで、エネルギーの専門家ではありませんが、タイトルからわかるように、メタンハイドレードに大きな夢を描いておられることは間違いありません。

 しかし、すごい!と興奮する反面、メタンハイドレードを掘り出すことにより、海底での地滑りなどを発生させる危険があり、そうなると津波を引き起こす可能性があるという指摘は、この時期だけに、うーんと唸ってしまいました。

 それに、このメタンハイドレードは、プレートの境界あたりに多くあるようだし・・・。

 本の帯には、”日本のまわりは宝の山 悲願の自国資源が実用化される日”というコピーが付いていますが、もしこのことを、たとえば今回の被災地の方々に説明したら、どう思うでしょうか。

 大きな禍のもとは、自然の大きな宝の山ということでしょうか。

 どちらにしても、日本が資源大国になる日は、簡単には来ないようです・・・。

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