月と六ペンス (1959年) (新潮文庫) サマセット・モーム 新潮社 このアイテムの詳細を見る |
一年くらい前に、古本屋で100円で購入した36刷(昭和55年)で、紙も変色し、何より字が小さく、読み始めは結構くじけそうになりました。が、すぐにぐいぐい読めるようになり、読了後は、他のモームの作品も読みたくなっていました。
バックカバーには、”ゴーギャンの伝記に暗示を得て、芸術にとりつかれた天才の苦悩を描き、人間の通俗性の奥にある不可解性を追求した力作”とありますので、モデルとなったゴーギャンやの通俗性の奥にある不可解性を追求した作品かなと思いましたが、多分、この物語の語り手であり、ある意味作者自身でもある”僕”の通俗性の奥にある文学への追求のことではないかと思います。
ストーリーは、ざっくり言って主人公ストリックランドが家族を捨てて、パリへ行くまで(この部分がちょっと退屈)と、パリ時代そして、タヒチの3部構成です。
ストリックランドは、一貫して”僕”には理解できない変わり者として描かれていますが、特にパリ時代は酷い男です。自分の才能を認め、親切に面倒をみてくれたストルーヴという男の妻を奪いながら、彼女を自殺に追い込んでも平然として、ただもう絵を描くこと以外には興味がないという体です。
が、このパリ時代の主人公は、むしろストルーヴの方です。妻が息を引き取った後、彼女の台所で、ストリックランドが描いた彼女のヌードを見て、激しい感情に襲われながら、その絵のすばらしさを否定しきれず、ストリックランドを自分の故郷に一緒につれて帰ろうとするなど、とても”ありえない”人物ですが、けれど何故かリアリティもある。(ストルーブの中には若干ゴッホ的なところもあるのではないでしょうか)
タヒチ時代については、ストリックランドの死後、彼の絵が世の中に認められた後に”僕”が、いろんな人に生前の話を聞いて回る設定です。現地の若い女性アタと結婚し、山の中でただただ絵を描いていた彼の生活はよくはわからないものの、癲病にかかりながらも、絵を描き続けたその最期は、胸にぐーーーーーっと来ます。
芸術家の、孤独で、そして何かを求め続ける魂は、決して一般の人々に理解されることはないが、理解できる人間がいるとすれば、それは芸術家ではなく、通俗的な人間なのかもしれないなぁ・・・などと思ったのでした。
うちも、旦那は芸術家、私はこれ以上ないほど、通俗的な価値観で生きている人間。だから、上の感想は、ま、希望的感想なのかもしれませんね。