赤澤の個人的体験と心情をベースに置いたこの本は、だからこそ格差の問題や政治の問題など表層の諸問題を浮き彫りにするだけでなく、人の営みと哀しさを、とても普遍的に書き出す。
だから最後に言明しよう。これは赤澤の体験であると同時に僕の体験でもある。赤澤の心情であると同時に僕の心情でもある。そして何よりもあなた自身の体験であり、心情であるはずだ。
映画監督、作家 森達也
会社人間だった父と偽装請負だった僕―さようならニッポン株式会社 | |
赤澤 竜也 | |
ダイヤモンド社 |
「本書によせて」として、冒頭にある、映画監督の森達也氏の文章を引用したが、まさにその通りの感想をもった。
著者の赤澤氏は、1964年生まれ。大手都市銀行の役員だった父親は、バブル崩壊寸前に脳内出血で命を落とす。著者は、敷かれたレールの上を歩くことを拒否し、高校生の彼女の妊娠を機に駆け落ちし、建設現場などで働くようになったが、親の説得に応じて、なんとか大学に戻り卒業する。銀行員として実績も上げるが、バブル崩壊後、父親が勤めていた銀行の巨額損失事件などを機に、裏社会に身を落とす。その後、偽装請負トラック運転手なども経験し、現在に到るまでの人生を父親の人生とパラレルに書いた自叙伝。
ほぼ同年代生まれで、サラリーマン家庭に育ったの私にとって、氏の子供時代の体験は、森氏の言葉通り、自分の体験であった。
日曜日は、「時事放談」から始まり、「兼高かおる世界の旅」、夢路いとしこいしの「がっちり買いましょう」とテレビが続くというところなど、まさに、そうそう~!と声を出しそうになった。団地の間から見える給水塔、父親の会社の運動会・・・まさに私の子供時代にみた風景だ。
私は女でもあり、両親の期待も大きくはなかったため、自分の前に、「人生のレールが敷かれている」と感じたことはなかったが、気が付けば、そんな言葉が死語になりつつあるほど、社会は流動化し、不安定化している。
トラックドライバーとして、格差社会の底辺を生きた著者の体験がやはり一番迫力があった。
貧困層の苦難をひたすら大げさに報ずるルポにみられるひと昔前の左翼ちっくなノリにも僕はついていけない。仕事仲間は雀の涙ほどの給料にもかかわらずパチンコで三万、五万とすっても平然としている連中ばかり。いい意味でも悪い意味でも「のんき」だなと思うことが多かった。問題は賃金にあるのではなく、安全やモラルの方にあるのではないか。
という文章に、考えさせられた。
ジョージオーウェル作の「1984年」にあった、社会の最下層「プロール」・・・党員ではない彼らは、人間以下の存在だが、党員たちより自由に生きていた・・・の様子が鮮やかによみがえってきたりして。
小泉改革の頃、競争がよりよい社会をもたらすのではと、思ったこともあったが、競争の結果、危機にさらされたのは、「安全やモラル」だったのか・・・。
文章は、やや硬く、洗練された感じではなく、同じ内容ならもっと面白い本にできたかもしれないなぁと思われるところもあったので、同時代性に訴えることができなくなった30年後まで残る本とは思えないが、今をあらわす良い本だと思いました。