本が好き 悪口言うのもちょっと好き

読書日記です。っていうほど読書量が多いわけではないけれど。。。

華氏451度 レイ・ブラッドベリ

2016-11-05 | 小説

  われわれは、過去一千年のあいだにどんな愚行を重ねてきたかしっているのだから、それをつねに心に留めておけば、いつかは火葬用の積み薪をつくって、そのなかに飛び込むなどという行為を止めることができるはずだ。愚行を記憶している人間をもう少し集めるとしよう。全世代、そろえたいな。 

華氏451度 (ハヤカワ文庫SF)
レイ・ブラッドベリ
早川書房

 SFをあまり読まない私ですが、若い同僚が貸しますと言ってくれたので読んでみました。

 主人公のモンターグは「昇火士」。誰かが本を持っているという通報があれば、駆けつけて燃やしてしまうのが仕事。ある日、近所に住むクラリスという名の少女と出会って、「会話」をしたことがきっかけとなり、自分の中にあった違和感に気づき始める。社会全体が過去を忘れ、人々が交わす言葉に意味が失われ、単に”今”を積み重ねているだけ。身近な人が戦争に行っても、頭の上を戦闘機が飛び交っても、誰も気にしない・・・。

 ストーリー展開としては、粗削りな感じがするのですが、焚書を題材にしているので、”本を読むのが好き”と思っている人達の心に刺さる箇所があちこちにちりばめられています。そういうところが、60年間読み継がれてきた理由なのかなと思います。

 本について描かれた文章を紹介すると、

 この本には毛穴がある。(中略)1枚の紙の1インチ四方あたりの毛穴の数が多ければ多いほど、誠実に記された命の詳細な記録が、より多く得られ、読んだものはより”文学的”になる。なんにせよ、それが私の定義でね。細部を語れ、生き生きとした細部を。優れた作家はいくたびも命に触れる。凡庸な作家はさらりと表面をなでるだけ。悪しき作家は蹂躙し、蠅がたかるにまかせるだけ。さあ、これでなぜ書物が憎まれおそれられるのか、おわかりになったかな?書物は命の顔の毛穴をさらけ出す。

   -----
 

 人は本に対して神のようにふるまうことができる。テレビラウンジに一粒の種をまいて、その鉤爪にがっしりとつかまれてしまったら、身を引き裂いてそこから出ようとするものなどおるかね?テレビは人を望み通りの形に育て上げてしまう!この世界と同じくらい現実的な環境なのだよ。


 確かに、本は、テレビほどの「鉤爪」はない。それは、画像の鮮やかさ・・・リアルさの、脳に与えるパンチ力の違いなのかなと思います。例えば物語を読んだとすれば、イメージは自分だけのもの。(ちょっと寂しいから、こうやって他の人とそのイメージをシェアしたり、話をしたくて、ブログなんか書いている。もちろんそれについても、どうよ?と思う事もあるけれど)でも、テレビが発するイメージは、あまりにもリアルなのと、同時に多くの人が同じイメージを受け取っているということも影響するのかもしれませんが、鉤爪は容易に見ている人の心に喰い込むような気がします。

 こんな表現もありました。

 彼らに、なにをしているのかとたずねられたら、こう答えればいい。我々は記憶しているのだ、と。


 つまり本は、人間の外部記憶装置だという意味だと私は理解したのですが、2016年の現在、その記憶装置は、本から、”クラウド”という別のメディアに移ろうとしていますよね。本とは比べ物にならないほど、記録、検索が容易になるんですよね。それは人間の脳の外部空間が広がったことになるのでしょうか。寧ろ、人間の脳がもともと持っている、無限の空間を空虚にしたまま放置することになるのではないのでしょうか。最近ほんとうに、記憶力の低下を実感することが多くなったのは、年のせいもあるけれど、すぐにググれる便利な環境が原因では・・・と思うこともあります。

 

 冒頭に引用した文は物語のクライマックスで、戦争により都市が崩壊したときに、そこから逃れていた知識人(賢人という意味での)のリーダーが言った言葉です。賢人たちが、失われかけた、歴史、哲学、芸術の伝道師になって、社会を再生するのかな・・・というる終わり方になっていますが、まず、”崩壊”はあるような気がしますが、その後の再生があるのかしら・・・と悲観的に感じてしまうのは、多分、最近よんだ、「人工知能 人類最悪にして最後の発明」という本のせいですね。

 

 崩壊するのは人間社会だけで、生き残るのはAIなんでしょうか。

 


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楽園のカンヴァス 原田マハ

2016-09-18 | 小説

「この作品には、情熱がある。画家の情熱のすべてが」

楽園のカンヴァス (新潮文庫)
原田マハ
新潮社

 ここ1年余り、いろいろな事情で本を読むのをサボってしまったので、久し振りに図書館に行って、本を借りても、なかなか読み切れない、読了するだけで精一杯という事が多く、レビューを書けない!

 リハビリが必要だ!と思って、選んだのがこの本でした。数年前に結構話題になっていた本ですが、リハビリにはぴったりの、読みやすさ、そして面白さでした。

  物語は、ルソー知られざる「夢を見た」という作品を巡って繰り広げられます。

 1984年、この作品の所有者であるスイス、バーゼルに住むバイラーという伝説のコレクターに招かれたルソー研究者のティムブラウンと早川織絵。MoMAにあるルソーの「夢」とほぼ同じ絵を見て驚いた二人に与えられたミッションは7章からなる物語を毎日1章ずつ読み、最終日に講評をするというもの。そして、優れた講評をした方に、この絵の取扱権利(ほぼ所有権と同じことらしい)を与えると。X線検査どころか、講評までの間はこの絵を見ることもできない。

 2人が読むことになった不思議な物語は、晩年のルソーと、「夢」そして「夢を見た」に描かれている女性のモデルと言われているヤドヴィガそして、ルソーの価値をいち早く見抜いたと言われているパブロ・ピカソを巡って繰り広げられます。

 当時、まだまだ評価が固まっていなかったルソーが、実は現代アートの先駆者であると信じていたティムですが、実は招待されたのは彼のボスで、名前が一字違いのトム・ブラウン。ルソーについての知識と情熱は自分の方が上と自負しているティムは、トムのふりをしてバーゼルに行っていたのですが、その彼に、いろんな人がコンタクトしてきて、実はこの絵の下にピカソの大作が隠れていると聞かされるのです。

 また、早川織絵にも秘密が・・・。ティムはこの絵を巡る謎に翻弄されながら、7日目を迎えるのですが・・・。

 

 と、あまり書くとネタバレになるので、内容の紹介はこのくらいで。

 とにかく、読み始めてすぐ気づくのは、著者の絵画への愛。

 そして、実在する1枚の絵から、こんな物語を作り上げる発想力に感嘆です。

 「画家を知るには、その作品を見ること。何十時間も何百時間もかけて、その作品と向き合うこと」

 本書の中の一節ですが、著者の原田マハ氏の経歴を見ると、彼女自身の思いが詰まっている言葉なのだろうと思います。

 MoMAで勤務されていたとのことだからその間に、ルソーの「夢」を何度も見て、彼女の中で発酵して、この作品に結付いたに違いない。

 絵は、本当に見るものを想像の世界、「夢」の中に引き込む力がひときわ強い芸術だと思います。

 色(=光)が多分、人間の記憶をすごく刺激するのに加え、言葉がないため、制約が少ない(もちろん、近代以前はそう言い切れない部分もありますが)。そう思ってみると、絵画の正統的な教育を受けていないルソーだからこそ打ち破れた壁だったのかもしれません。

 私自身、旦那が画家という事もあり、絵を見にいく機会は多いのですが、美術館では意外にじっくりと絵と向かい合うのは難しいのです。人も多いし、今しか見られないと思うと、一つ一つに時間を取っていられない・・・。

 それに、私自身が絵に対する感受性が低いんでしょうね。なかなか、絵の前を離れられないというほど惹かれる絵に出会うことができません。

 でも、絵そのものよりもむしろ、その背後にある美術史が面白いです。そして、画家の人生とその時代を感じながら一緒に絵を見るのを楽しんでいます。

 この本を読んで、また美術館に行ってみたくなりました。

 1つだけ辛口批評になりますが、「夢を見た」という架空の作品を巡る物語は、本当の話だったのではと思わせる技量十分なのに、ティムと織絵を巡る物語の設定が、やや安易で、ライトノベル的だったのです。

 今、本が売れないと言われている時代で、この辺りが売れ筋なのだと思いますので、仕方ないのかもしれませんが、私にとっては、せっかくの夢の世界に浸り始めたところで、時々、現実に引き戻されるという、ジェットコースター感が味わえない残念感が残った作品でもありました。

 

 
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カラスの教科書 松原始

2016-07-31 | 評論

 

  Q: ・・・カラスと目を合わせると襲われそうで怖いです。

 A: 大丈夫です。向こうもそう思ってますから。

カラスの教科書 (講談社文庫)
松原 始
講談社

 

 著者の松原始氏は、動物行動学の専門家で、長年カラスの研究をされている方で、本書には著者のカラスへの愛が溢れていて、かわいいなんて思った事の無かったカラスがちょっとかわいく思えてくること間違いないです。

 この本の魅力はだから、カラスそのものではなくて、たとえカラスという世間の嫌われ者でも、カラスの気持ちになって理解しようとする著者の人間性にあることは間違いないです。

 そして、その魅力を増幅しているのが、編集者による素敵なカラスのイラストです。

 もう、このカラスのキャラクタグッズがあったら、絶対買いますよ~。

  ところで、この本を手にしたのは、やっぱり私が、カラスって賢い鳥だと思っていたからなんだと思います。以前カラスは賢くて、攻撃されたら相手の顔を覚えていて仕返しするからと、駆除業者が顔を隠して作業をしている様子をテレビで見たこともあるので、このことは定説だと思っていたのですね。

 でも、著者がいうには、人間にとって「賢く見える」事が「賢い」の定義。でも本当に異なった生き物の賢さを計るのは無理があるんだと

 例えば、正解のボタンを押し続ければいればそのうち餌がでるよ、という装置を使ってハトに課題を解かせると、ハトは餌が出るまで何千回でもボタンをつつく。あきらめるという事を知らないのだ。例えて言えば、自販機にコインを入れてボタンを押したのにジュースが出ない時、「出ないよ?出ないよ?出ないよ?」と何千回も押し続けるのがドバト流である。(中略)。

 だがここで、ハトの視線で考えてみよう。ドバトのエサは果実や種子で地面にめり込んだような種子でも、つついていればそのうち口に入るらしい。(中略)つまり「諦めることを知らない」「何も考えない」というのはドバト的には全く正しい、最も賢いやり方だと言える。

 

 一般の人が陥りがちな単純な判断に、違った視点を与えてくれるというのが、私の読書の一番の楽しみで、こういう文章を読むとワクワクしてしまいます。

 今までは「カァ~」という声が聞こえても見向きもしなかったのに、今は、どこで鳴いているんだろうと探してしまうし、ゴミ置き場のカラスをみると、ハシブトかしら、ハシボソかしらと見つめてしまいます。

 余談ですが、この本の中に、「カラスの絵本図書館」というコーナーがあって、何冊かの絵本が紹介されております。そこには紹介されていなかったのですが、私は子供の頃に読んだ、「カラス旦那のお嫁取り」というアラスカエスキモー(イヌイットって今は言うんですよね)の昔話集を思い出しました。

 この本ににある「てばたき山」というのは、鳥が渡りをするときに通らなければならない山なんだけど、トロトロ飛んでいると、その山が両側から手をたたくみたいに迫ってきて挟まれてしまうというような話だったと思うのです。子供の頃にそれが恐ろしくて強烈なイメージが焼き付いているのか、今でも時々そのイメージが浮かんでくることがあるんですよねぇ。

 この本を読んで、ワタリガラスという種類のカラスはその名の通り、渡り鳥。この本の主人公はワタリガラスだったんですね、きっと。

 


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ネット時代の図書館戦略 ジョン・ポールフリー

2016-07-18 | 評論

 世界中の都市や町で、予算を審議する時期が来るたびに同じ論争が盛んになる。デジタル時代における図書館の存在意義とはなんなのか。


ネット時代の図書館戦略
ジョン ポールフリー
原書房

 前回の記事をかいてから2年近くも放置していたこの読書ブログですが、またゆっくり再開しようかなと思います。

 放置はしているものの、毎日数十件ですが確実にアクセスをしていただいているのは励みになるし、やっぱり本は読みっぱなしより、一冊読んだら少し振り返り、感想をまとめる努力をすることが、自分のためになるなあとつくづく感じる今日この頃なので・・・。

 さてこの本、「ネット時代の図書館戦略」は、本好きな人ならやっぱり手に取らずにはいれないタイトルではないでしょうか。

 著者は、もともと法学の教授という立場で図書館にかかわっておられたとのこと。ハーバード・ロースクールの学長となり、「世界最大の図書館を運営してみないか」と言われて飛びつき、もともと「デジタル技術の利用が民主主義制度をどう変えるかについて教えたり書いたりしていた。」という経歴などもあり、今はアメリカ・デジタル公共図書館(DPLA)の設立委員長として、尽力されているという、さすがアメリカだなぁというマルチな方のようです。

 私にとっての図書館は、タダで本を貸してくれる場所というものだったのですが、本書によると

 ・情報を提供をする場

 ・学習の場所

 ・ローカルコミュニティへのサービス提供をする場所

 などの役割を果たしており、そこには司書という専門家がいて相談もできるし、それら全体が公共のサービスとして誰にでも無料で提供されているということが重要だということです。

 しかし、紙やDVDといった実態をもった出版物だけが記録された情報ではなく、インターネット上に日々蓄積されていく情報も含めて、体系的に保管して提供するということはすでに個々の図書館の努力ではどうにもならない。よってそれぞれの図書館は、自分たちの特徴あるコレクションのアーカイブを行い、それぞれのできるサービスを提供し、それをDPLAといった全国組織で連携する。個々の図書館は、来館者(家にいながらでもいいのでしょうが)に対してそのネットワークを提供する基盤としての役目を果たし、司書は水先案内人となる・・・といったイメージが粗っぽくまとめると著者の描く未来像のようでした。

 日本でも最近、公共図書館の運営を民間企業に丸投げしたというニュースが流れました。著者は図書館が果たすべき役目は、国や自治体がやらなければ、多分企業がやるだろうが、それで本当に良いのか?ということを何度も述べられています。現代のビジネスの世界は先を見ると言ってもせいぜい数年単位。少なくとも何百年も先の人たちの為の情報アーカイブという役目は公共が果たさないと、企業に任せていたのではできませんよね。

 そして、この本を読んでいちばんハッとしたのは、メールやブログなどの情報も歴史的に残すべきものであっても手が付けられない状況にあるということです。

 確かに、図書館や博物館に保存されている偉人達の日記や書簡が歴史的に重要なのは言うまでもなく、ごく普通の人が書き残した日記なども、時代を経ると当時の世情や風俗を知る貴重な手掛かりになっていることは、疑問の余地がありません。

 今や、意図的に情報発信しなくても、検索や買い物した履歴、そして電気やガス、テレビなどの家庭での利用状況などもビッグデータとしてどこかに集められていく時代。

 それらを管理し、未来に残していく役割を担うのは、図書館というネットワークがいちばんいいのかもしれません。この先、図書館がどんな変化を遂げていくか楽しみになってきました。

 


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友情(REUNION) フレッド・ウルマン

2014-11-25 | 小説

 

 形式からいうと、友情は長編小説(ノヴェル)でもなく、短編小説(ショートストーリー)でもない。イギリスよりもヨーロッパ大陸でより高く評価されている芸術形式、<ノヴェッラ>である。この作品には、長編小説の特徴であるぶあつい分量も、ひろく全体を眺望するような性格もない。しかしまた、短編小説でもないというのは、短編小説はふつう、ある挿話(エピソード)、生のちょっとした断片を扱うものだが、<ノヴェッラ>のほうは、もっと複雑なもの、-長編小説の小型模型(ミニチュア)-であろうとするからだ。 (序文 アーサー・ケストラー)

友情
フレッド・ウルマン
集英社

 ずいぶん、サボっていたのに、急にまた投稿しようと思ったのは、ひとえに、この本に感銘を受けたためです。

 繊細な16歳の二人の少年の美しい、青春物語。

 この本の最後の1文に本当に本当に、ショックを受けます。

 冒頭に引用した序文の通り、短編小説の長さなのに、すごく長い時間を主人公のハンスと生きてきたような気分になってしまっていたんでしょうね。

 四半世紀の後、アメリカに渡ったハンスのもとに届いた、親友のコンラディンの消息。

 多分、ハンスが受けたショックに近いショックを受けてしまって、もうよろけそうになってしまいました。

 

 抒情的な文章が、かえって深い悲しみを掻き立てます。

 こんなにも、静かに、簡潔に、20世紀前半の世界の悲劇を描き切った作品は他にはないのではないでしょうか。

 

 

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フランクル 夜と霧

2013-12-14 | 評論

フランクの心理学では、

「あなたの内側に何かを探し求めないでください」

「あなたの心の内側をのぞき込まにでください」と言います。

そして、次のように問うていくように促すのです。

「この人生から、あなたは何をすることを求められているのでしょうか。」

「この人生で、あなたに与えられている意味、使命はなんでしょうか」

「あなたのことを必要としている誰か、あなたのことを必要としている何かが、この世界にはあるはずです。その誰かや何かに目をむけましょう」

「その誰かや何かのために、あなたができることには何があるでしょうか」

 

フランクル『夜と霧』 2013年3月 (100分 de 名著)
諸富 祥彦
NHK出版

 

  少し前にアマゾンのページで、死ぬまでに読むべき本100冊

 (だったかどうか全く自身がないのですが)というような特集があり、

 自分が読んだ本が何冊くらいあるかなぁと思いながらつらつら見ておりますと、

 「夜と霧」という(恥ずかしながら)全く聞いたことのなかった作品名があり、

 ホロコーストを経験したユダヤ人心理学者の著作だということで、

 さっそく図書館に申し込んだところ、届いたのが本書でした。

 「夜と霧」ではなくて、その解説本で、なんだ・・・・とすこしがっかりしましたが、

 とりあえず読みやすそうなので、読み始めると

 1時間ほどで一気に読めてしまいました。

 そして、「夜と霧」を読む前に、こちらを読んでよかったと思っております。

 (といっても、「夜と霧」はまだ読んでないのですが)

 フランクルの作品に大きな影響を受けたたという著者のプロフィールをみますと

 明治大学文学部教授にして、教育学博士、臨床心理士、

 「時代の精神と戦うカウンセラー」とありました。

 私は、本の中の人物の心の弱さには寛容でいられても、

 現実の世界で、自分の周囲の苦しんでいる人に対しては、

 ”自分のようなものには理解できない”といつも距離を置いているし、

 どこかで、弱虫って思っているような、卑怯者です。

 その裏返しで、自分が悩んだ時も人に相談するという発想がなくて、

 カウンセラーという職業にも酷く懐疑的だったのですが、認識が変わりました。

 若いころは、結構自分自身の事で、ウジウジ悩んだりしてましたが、

 年を重ねるにつけ、悩みを抱えるのが面倒になってきて、

 できるだけ悩まない、苦しまない道を選ぶことが、スマートな生き方だと

 思っていた節があります。

 そして、50歳を超えた今振り返ってみると、 随分薄っぺらら人生だったと

 気づいたのですが、若いころに、この本(「夜と霧」のほうですが)に出合っていたら、

 悩みから逃げるのではなく、もう一つ上のレベルに引き上げて、

 人のために悩むということができていただろうに・・・。

 そういう意味で、もし悩みの多かった高校生の頃に戻って、

 著者のようなカウンセラーの人にあっていたとすれば、

 人生変わっていたかもしれないのだなぁと思いました。

 ちなみに、私の旦那は、悩むことが趣味じゃないのと思うほど、

 悩みの多い人ですが、一緒に悩むという訓練ができていない私の

 ある意味、突き放した、冷たいアドバイスでも、ありがたいと言ってくれる人です。

 そして、そのことでまた自分は、別に救いが必要だと思っていたわけではないのに、

 救われているのだと思います。

 「人生は決してあなたには絶望しない」

 というフランクルの言葉通り、わたしにも人生はこんな役目を与えてくれたんだなぁ

 なんて思ったりして・・・。

 ”愛”ってやっぱり地球を救いますね。

 (「夜と霧」はその悩み多き旦那(日本語が読めない豪州人)と一緒に読めたらいいな

 ということで、英語版を入手したのですが、さてさて読み切ることができるでしょうか)

 

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三匹のおっさん 有川浩

2013-11-13 | 小説

軽い小説が読みたくて、図書館で見つけたので借りて読みました。

「阪急電車」、「フリーター、家を買う」に続いて3冊目の、有川浩作品、

軽い読み物を探している時には、間違いのない選択でした。 

三匹のおっさん
有川 浩
文藝春秋

装丁から想像できる通り、内容はマンガです。

一応、私が”マンガ”と表現するのは、

ファンタジーではないけれど、設定にリアリティがない場合。

ただ、リアリティを出そうとして失敗したとかそういうことではなく、

この世界では、それでいいんだという了解のもと書かれているものを

私はそう表現させてもらっています。

もしかすると、それを”ライトノベル”というのがほぼ一致するということなのかもしれません。

 

子供のころから仲の良い、定年世代のオヤジ3人が、私設自警団を結成し、

町に起こる犯罪を人知れず取り締まるというパターンで6話から構成されています。

また、おっさんの一人、剣道の達人キヨの孫で高校生の祐希と、

頭脳派のおっさんノリの娘でやはり高校生の早苗とのラブストーリーが絡んでいるので

マンガ感たっぷりです。

とにかく罪のないお話で、読みやすいし、人情感たっぷりだし、

その上、久し振りの高校生のいじらしいラブストーリーに

ドキドキしたりして、軽いけれど、楽しい読書でした。

心が疲れているときには、ピッタリです。

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分断されるアメリカ サミュエル・ハンチントン著

2013-11-03 | 評論

 分厚い本で、とりあえず読み終えることを目標に読み始めました。

分断されるアメリカ ナショナル・アイデンティティの危機
サミュエル・ハンチントン著 鈴木主税訳
集英社

 過去三世紀半にわたってあらゆる人種、民族、宗教のアメリカ人によって受け入れられてきたアングロ-プロテスタントの文化と伝統および価値観に、アメリカ人はもう一度立ち返るべきなのだ。これらのものこそ、自由、統一、繁栄の根源だったのであり、そして世界における持続した勢力として道徳的なリーダーシップを発揮してきたもとだったのである。

 子供の頃、「外国」の代表がアメリカでした。

 私の夫は白人ですが、知らない人から、「アメリカ人ですか?」と聞かれることはあっても、それ以外の白人の国の人ですかと言われたことはありませんから、実は今でも、そういう感覚の人、多いのではないでしょうか。

 ここ20年、私自身のアメリカに対する印象はずいぶん変わりました。 どちらかというと、悪い方に・・・。

 そして、上に引用したような言葉を読めば、最近の私なら、「何様!?」って思っていたかもしれません。

 しかし

 アメリカ人は移民と同化について論ずるさい、移民を差別せずに一般化する傾向にあった。こうして彼らは、ヒスパニック移民-なかでもメキシコ移民-が突きつける特殊性や難題、あるいは課題に目をつぶってきたのだ。少なくとも2004年までは、メキシコ移民に関する論争を避け、この隣国との総合的な関係という幅広い問題を、それが他国との問題と変わらないかのように扱うことによって、アメリカ人はアメリカという国が今後も、一つの国語とアングロ-プロテスタントという共通の主流文化を持つ国であり続けるのかという問題も避けているのだ。だが。その問題を無視することは、それに答えてもいるのであり、アメリカがいずれ二つの民族と二つの言語と二つの文化をもつ国に変貌することを黙認しているのである。

 というような文章を読めば、見方も変わります。

 日本とはそもそも国の成り立ちが違うわけで、単純に比較はできませんが、もしも日本で同じように、例えば隣国から大量の移民が合法、非合法になだれこんできて、日本語が通じないような町が出てくるというようなことになれば、かなりの”ヘイト”リアクションが巻き起こると思います。

 礼儀正しい日本人でいられるかどうか・・・。

 そう考えると、オバマケアに多くのアメリカ人が反対するのをみて、あまりにも非寛容と思っていましたが、日本人には考えられないくらい、寛容なのかなとか・・・。

 ただ、もしかして、そういう国内の軋轢を、”テロとの戦い”に目を反らせることで、国としての一体感を維持しようとしているということも言えるのでしょうか。

 とにかく読み終えるという目標だけはなんとか達成しました。

 私程度の読み手にはとても総括はできませんが、アメリカという国のあり方を通じて、自分の国である日本を見る新しい視点を得ることができて、読んでよかったと思える一冊でした。

 

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クリック? クラック! エドウィージ・ダンティカ

2013-09-23 | 小説

語り手が「クリック?」と尋ねると、あたりの聴衆は待ち兼ねたように「クラック!」と答え耳をすます。まさにダンティカはこの伝統にのっとり、時空を超えた現代の「語り手」として、新たにきわえられた文字という文化を駆使し、私たち読者に「クリック?」と尋ねているのです。人としての大切な思いを伝え、私たちの心を育みたいという切なる願いを込めて。 (訳者 あとがきより)

クリック?クラック!

エドウィージ・ダンティカ

山本伸 訳

五月書房

 ハイチ生まれで12歳の時にアメリカに渡った女性作家による短編集。

 ハイチといっても、地震があったので知っているくらいで、その歴史も文化もほとんど知りません。

 ただ、本書からうかがい知れるのはそこが、カリブ海にうかぶリゾートアイランド・・・・ではなさそうということ。

 それぞれの作品から垣間見える社会は、戦い、虐殺、貧困、難民・・・厳しい現実を背景にしています。

 読んですっきりするとか、感動するという作品ではなく、正直、よくわかりませんでした。

 著者によるあとがき、

 「何千という女たちの声が、あなたのそのすり減った鉛筆の先から文字となって溢れ出すことを待ち望んでいる。なぜならハイチの女はみな台所の詩人だから。いまは亡き女たちの願い、それはあなたがあなたのお母さんからもっとたくさん話を聞くこと。たとえそれがパトワや方言やクレオールのようなわかりにくい言葉であったとしても。」

 それぞれの作品の中の女たちは、語るべき物語を持っている。

 その現実があまりにも非日常すぎて、日常の言葉としては語り切れないためなのか、

 記憶の中で断片化するとともに抽象化されているからなのか、

 昨夜の夢が説明できないように、それぞれの物語を起承転結では要約できません。

 これはもしかしたら「女」とか「人間」という自分自身の感性を総動員しないと理解できないのかもしれません。

 今回は跳ね返された感もありますが、この人の作品、もう1冊くらいトライしてみたいです。

 

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遊べない人の心理学 レノア・テア著 田口俊樹訳

2013-08-31 | エッセイ

 人生が続くかぎり、わたしたちは新しい技術、新しいゲームを選び続けなければならない。大きくて、栄養十分で、狩りをしない動物として、私たち人間はすぐに生きることに退屈する。

「遊べない人」の心理学

レノア・テア著 

田口俊樹訳

講談社

 本書は、エッセイだったことに、今このブログを投稿するため、カテゴリーをどうしようかと思い、さらっと訳者あとがきを読み直して気が付きました。

 さすがに学術書だとは思っていませんでしたが、タイトルに心理学とあるもので、著者が何かテーマを持って主張しようとしているのかと思って、掴みどころがないなぁ・・・とこちらの読解力に不安を感じならが読んでいましたが、そっか・・・エッセイだったんだ。

 遊びがいかに大切かということを、精神医学者である著者が彼女の患者などの例を挙げながら書き綴った内容です。

  「遊び」という言葉が新鮮なだけで、楽しみ、趣味、生きがいなどに置き換えてみれば、ごく当たり前のことが書かれております。男と女の遊びが違うとか、遊びがいろんな傷を癒すとか、精神的に問題を抱えているひとはうまく遊べないとかね。

 ま、エッセイだとわかっていたら、単純にいろんな人の例を楽しめたのかもしれないのだけど・・・・そうとは知らなかったので論旨が見えない見えないと焦ってしまい、あまり楽しめませんでした・・・。

 ひとつ、へぇ・・・っと思ったのは、西洋では、中世以降17世紀ころまでは、大人と子供の区別はあまりはっきりせず、「子供はそれまで何百年も特別扱いされることはなかった。そのおかげで、自分をとりまくものの中を自由に行き来し、年齢や階級にかかわりなく、あらゆる種類の大人と遊ぶことができていた」が、17世紀ころに”子供”という概念が生まれ、「より安全に、より大事に扱われるようになった反面、それまでの自由と自立を失う」のだそうです。

 そういえば、産業革命がおこり、子供を含めて劣悪な環境で働かされていたというような話も歴史の時間に聞いたような。

 また江戸時代の末期に日本に来た西洋人たちが、日本では小さい子供がより小さい子供を背負って子守をしたりする様子に大変驚いたというような話も思い出しました。

 それに、最近は 「はだしのげん」を閉架にした問題で、子供に見せるものを規制するべきかどうかというような議論が盛り上がってますが、社会の中の「子供」をどう位置付けるかで「モラル」も違ってくるんですよね。

 もしかして子供をもっと大人と同じに扱うことで、実は大人たちが自由になれるのかもしれません。

 そして私自身は、まぎれもない遊び下手。

 だからこそ、このタイトルに惹かれてしまったのでしょうね。

 「遊び」というキーワードを、ちょっと心にとめておこうと思います。

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百田尚樹 3作品(影法師・永遠の零・海賊と言われた男)

2013-08-18 | 小説

 父親が購入した百田尚樹氏の3作品を借りて読みました。

 とにかく、読みやすくて、人気が出るのも納得です。

影法師 (講談社文庫)
 
講談社

中士の家に生まれて、人柄も素晴らしく文武両道に秀でた彦四郎と

貧しい下士の生まれで、父親を目の前で惨殺された勘一。

この二人の友情物語です。

まあ、ここまでかっこいい二人の男を書いて、マンガにならないためには、

舞台は江戸時代しかなかったでしょうね。。。 

ラストシーンでは泣かされますよ。

 

永遠の0 (講談社文庫)
 
講談社

年末には映画も公開される本作品に、またまた、泣かされてしまいました。

自分の祖父が、特攻で戦死した零戦パイロットだったと知った、姉弟が、

祖父の事を知る人たちを訪ねはじめます。

この作品は、その祖父の宮部の物語という完全なフィクションの部分と

零戦をめぐる戦線のドキュメンタリー的な部分が交互に折り重なっており、

小説としてはややバランスの悪い作りですが、

巧さで読ませてくれます。

自分の祖父や曾祖父が、天皇陛下万歳、お国のためにと、洗脳されて、

部下を殴ることもなく、自分を失わず、家族をいちばんに思って死んでいったと

思いたいですよね。

でも、実際に宮部みたいな人はいなかったと思います。

戦場はそんなにきれいごとではすまないのではないかと・・・。

だからと言って、この作品が心を打つ作品であることを否定するものではありませんが・・・。

 

海賊とよばれた男 上
 
講談社

 

海賊とよばれた男 下
 

講談社

本屋大賞で大きな話題になった作品。

こちらも小説ですが、出光興産の創業者出光佐三をモデルにしており、

どこまでがフィクションでどこまでが実話なのかはよくわかりませんが、

出光のホームページなどにある社歴と比べても、大筋はほぼ実話と思われます。

同じ日本人として、こういう気骨のある人がいたというのは誇りです。

大国の顔色をうかがうだけでなく、正しいと思ったことを成すということは、

サラリーマン社長には絶対できないことだし、 

株式会社になって株を公開してしまっても、できないですよね。

そういう意味で、現在の資本主義がいかに”人間尊重”の精神から離れて行っているかを

考えざるをえません。

石油という資源を巡って、日本がアメリカとの戦争に踏み切ったというのが定説ですが、

石油業界からの視点でこの時代を見たときに、また少し違った様相が見えました。

この時代、まだまだエネルギーの主役は”石炭”で、”石油”へのエネルギー革命が一気におこることが

まだまだ常識として認識されていたわけではなかったのですね。

また戦後の物語の中の1つのクライマックスが

英国のプレッシャーでどの国も腰が引けていたイランから石油の輸入を行ったエピソード。

恥ずかしながら、この辺の歴史は全く知らなかったです。

今、本当に難しい状況にある、中東地域ですが、

もともと日本への感情が比較的よかった裏にはこんなこともあったのだなと感動しました。

業界にすれば、迷惑極まりなかったでしょうが・・・・。

それにしても、エネルギー業界というのは、今も昔も・・・・だなぁと実感。

百田尚樹氏の本当に読みやすい文章で、

そんな、いろんなことがすっと入ってくるこの1冊は、確かに本屋大賞の価値ありと思いました。

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アンネ・フランクについて語るときに僕たちの語ること ネイサン・イングランダー

2013-08-14 | 小説

つまり、アメリカでホロコーストが起こった場合に、キリスト教徒の友人たちの誰が私たちを匿ってくれるだろうかって

アンネ・フランクについて語るときに僕たちの語ること (新潮クレスト・ブックス)
ネイサン・イングランダー
新潮社

偶然、立て続けにユダヤ人の物語を読んでしまいました。

タイトル作を含む8編からなる短編集で、ほとんどが現代に生きるユダヤ人を描いています。

とは言え、あまりにもバラエティに富んだ内容で、どう受け止めてよいものやら・・・。

何も書けそうにないので、裏表紙に引用されている、大竹昭子氏の書評を引用させていただきます。

ユダヤ人の歴史が、宗教が、複雑にねじれた感情が、熾火のような情念が、1970年生まれの目で、「ユダヤ人」の内側に留まりつつ観察される。正義を行うとはどういうことか。そもそも義とは何なのか。現代小説の扱わなくなった問いが一篇ごとにごとに人間の奥深さをあらわにするさまに戦慄。

ということです。(さすがプロですね。そうよそれが言いたかったのよと書きたくなるような簡潔で完璧な総括。)

 ユダヤの歴史と宗教が現代に生きるユダヤ人にまとわりつき、そこから逃れられないもどかしさ、逃れてしまった後ろめたさなどが伝わってきます。

 正義を語ろうとしたときに、ユダヤ人という存在を無視することはできませんね。

 冒頭に引用した問いは、タイトル作の中で、アメリカで育ったユダヤ人の2組の夫婦の中で交わされる話。

 私も昨年、アンネの日記をウン十年ぶりに読み直して、アンネの運命よりも、ユダヤ人を匿ったオランダ人達がいたことが印象に残り、そのあと、時々、同じ立場なら自分にできるだろうかと考えてしまうことがありました。

 自分が捕まるのも怖いけれど、自分の家族まで巻き込むかもしれないとしたら、難しい決断です。

 そして、唯一出せた結論は、「自分がユダヤ人なら、周囲を巻き込まずに捕まろう」ということ。

 日本人的なのかもしれません。

 自分が迫害される立場だとして、誰が匿ってくれるかという視点では考えたことなかったです。

 とにかく日本人には絶対かけない小説。

 結構読みにくかったけれど、やはり読んでみてよかった。

 最後に、ストーリーとはあまり関係ありませんが、とても好きな一説を忘れないように書き留めておきます。

 彼女はどんどん縮んでいるのだ。彼のアグネスは。毎夏、老人たちは子供たちが大きく成長するようにどんどん小さくなっていく。この世の背の高さというものは限られていて、それぞれのインチは持ち主を変えていくに違いないとジョシュは思うようになっている。

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古書の来歴 ジェラルディン・ブルックス

2013-07-20 | 小説

「ひとつだけ願いがかなうとしたら、これがこの街で燃やされる最後の本になってほしい」 

古書の来歴
ジェラルディン・ブルックス著 森嶋マリ訳
武田ランダムハウスジャパン

 

 この本の主人公は、「サラエボ・ハガター」という1冊の本です。

 ”ハガター”とは、ユダヤ教の本で、出エジプト記や、エジプト脱出を祝う過ぎ越しの祭の式次第が記されているもので、

 あとがきにあるこの本の説明を引用すると、

 そのハガターが初めて学者たちの注目をあつめたのは、1984年のサラエボで困窮したユダヤ人一家がそれを売りに出した時だった。多くの美術史学者がサラエボハガターの発見に興奮した。現存する中世の彩色画が描かれたヘブライ語の最古の本のひとつだったからだ。その発見によって、宗教的な理由で中世のユダヤ教が絵画的な表現を禁じていたというそれまでの定説が揺らいだ。わかったのは、十四世紀半ばからコンビベンシアと呼ばれる時代-にかけてスペインで作られたということだけだった。

 ということです。

 そして、1940年、第二次世界大戦下、ナチスの侵攻を受けたサラエボで、このユダヤ教の本を守ったのは、イスラム教徒の学芸員、そしてボスニア紛争の際に、戦火からこの本を救ったのもイスラム教徒だったのです。

 この事実にインスピレーションを受けた著者が、この本の辿った運命を美しい物語にしたのが本書。

 ワインのシミや、蝶の羽、白い毛、そして失われた留め金などが、それぞれの時代でこの本を手にしたユダヤ人が辿った運命の欠片。

 鑑定をするハンナには、その手がかりを私たちに提示してくれるだけで、その答えはわかりませんが、

 私たち読者は、その欠片の裏にあった、悲しい物語を読むことができます。

 けれど、オーストラリア人のハンナ自身も、鑑定の過程で亡くなった自分の父がユダヤ人であったことを知り、

 ”情(じょう)”などないのではないかと思っていた母と父の間の物語を知ることになります。

 構成が巧い。

 ところで、恥ずかしながら、私自身は、ユダヤ人迫害の歴史について、モーゼの物語、ナチスのユダヤ人迫害のことしか知りませんでした。

 とんでもないですね。 ほんと、とんでもない・・・・。

 自分の無知と無関心を深く恥じました。

 しかし、この本がそれだけでなかっのは、著者の「本」に対する深い愛情。

 私のような、へっぽこ本読みでも、やはり本を愛する気持ちがありますから、

 読み終わったとき、(僭越ながら)とても著者にシンパシーを感じました。

 やっぱり、本って本当にいいものですよねぇ。

 サヨナラ・サヨナラ・サヨナラ

 (一定の年齢以上の方しかこのオチはわからないかしら・・・)

 

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世界をこんなふうに見てごらん   日高敏隆

2013-06-08 | エッセイ

人間は人間の環世界、すなわち、人間が作り出した概念世界に生きている。人間にはその概念的世界、つまりイリュージョンという色眼鏡を通してしか物が見えない。

世界を、こんなふうに見てごらん (集英社文庫)
 日高 敏隆

集英社

以前、著者の作品を読んだ時の感想に、”頑固おやじ的な文章”と書いておりましたが、今回、このエッセイ集を読んで見て、確かに頑固な人だけれど、それは凝り固まった頭の人に、批判されながらも、自分なりの考えを捨てなかったという頑固さなんだと感じました。

 日本はドイツ哲学の流れが強いのか、しばしば、人間は真実を追求するといわれるが、むしろ真実ではないこと、つまりある種のまぼろしを真実だと思い込む存在だという方があたっているのではないか。

 人間は理屈にしたがってものを考えるので、理屈が通ると実証されなくても信じてしまう。

 こういうことを言うのは、物書きとしては問題なくても、国立大学に勤める学者、科学者としてはタブーなんだろうと思う、

 (それでも、こういうことを言う人を、理学部長にした京大は、やはり東大に比べればいい学問をしているんだなと、関西人としては思いたいですが・・)

 今は少しは変わっている部分もあるのだろうけれど、”フクシマ”をめぐる原子力に対する多くの学者たちの態度を見ていても、あまり変わっていないことは明白ですよね。

 2009年に亡くなった著者が知る由もなかったフクシマですが、まさにそういう科学者、人間の愚かさを感じておられたのだなと改めて感じました。

 

 自然現象は幅広い、

 人間が調べたひとつやふたつの要素でできあがっているのではないということをちゃんと認識することがいちばん重要で、おおげさにいえば、それは我々が自然とはどういうものかを基本的にどのように認識するかということに関係してくるだろう。

 人間には自然を破壊することはできてもコントロールすることはできない。ぼくはそう思っている。 

 

 そして、コントロールできないのは、人間社会そのもの。

 人間社会が作り出した経済という大きな流れが、自然の破壊を支持し、理屈を支配してしまう。

 「人間は理屈にしたがってものを考えるので、理屈が通ると実証されなくても信じてしまう。」

 そう、そして、理屈が通っていると判断するかどうかは信じたいか信じたくないかに大きく影響されるのだから・・・。

 と私は思いました。

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The Help Catharyn Sockett

2013-04-07 | 小説

 随分久しぶりに投稿します。

 Windows8のPCにして以来、なんとなくブログを更新するのが面倒になり、

 (Windows8がというより、IE10が悪いのかもしれませんが・・・)

 私ってもともと書くのが遅いし、

 最近、なんか仕事終わって帰ってきたら疲れていたというのもあり、

 早く寝るようになって、そういうペースになると、益々ブログを更新できなくなってしまっています。

 また、それとは別にさんざん悩んだ末、Kindleを購入しまして、洋書を読んでたりしたので、

 益々、本を読むペースは落ちております。(;´∀`)

The Help
Katharyn Stockett
Berkley

 で、そのKindle で読んだ洋書の一つ、「The Help」

 「ヘルプ ~心がつなぐストーリー」というタイトルで翻訳も出ております。

 私の英語力がたいしたことないので、細部はわからないまま

 読み飛ばしているところもありますが、それでも、心に沁みる話でした。

 ヘルプとは、黒人のメイドのこと。

 舞台は1960年代はじめのミシシッピ州ジャクソン。

 人種差別がまだ公然と行われていた時代。

 大学を卒業したばかりのスキーターは、ジャーナリストを目指しながらも、

 就職が見つからず、実家に戻ってきて、地元の新聞の小さなコラムを担当しています。

 家事に関するそのコラムを書くために、友人の家のメイド、アイビリンにいろいろ話を聞くうちに、

 彼女たちへのインタビューをまとめたものを出版したいと思い始めます。

 しかし、それは大きなリスクを伴うものなのでした。 

 「ミシシッピバーニング」という映画を見たとき、自分が生まれた1960年代に

 あの自由の国アメリカで、こんなことがあったのかとショックを受けましたが、

 あの映画が、暴力を中心に描いていたのに対し、この本は、

 家庭、日常生活、そして女性の視点から描かれているものです。

 白人の批判などをすれば命が危ない時代に、

 何故、多くのメイドたちがスキーターに協力したのか。

 背が高くて、なかなかボーイフレンドもできないというだけで、

 大学を中退して、サッサと結婚した幼なじみ達と異なった価値観を持っていることすら

 ことさら意識していなかったスキーターが、アイビリンとの交流を通じて、

 成長するにつれ、友達が離れて行ってしまいます。

 やっとできたボーイフレンドのプロポーズをふいにしてまで

 彼女が書くことをあきらめなかったのはなぜなのか。

 そういうシリアスな背景を、コメディ的な要素を織り込んで、感動的な内容になっていました。

 映画にもなって、すでにDVDも出ているようなので、是非そちらも見てみたいと思いました。

 (予告編をWEBで見たところ、スキーターのイメージがずいぶん違うのですが、それも楽しみ)

 

 NHKでアメリカの銃規制に関する人々の反応を特集した番組をやっていたのを見たのですが、

 銃規制に反対する人たちの心理を、開拓精神に拠るという説明が一般的で、

 それはそれで真実なのかもしれませんが、

 1960年代の南部の州のこの雰囲気を考えれば、ある種の特権意識というか、

 自分たちはいつも正しいという意識が強く影響しているのではないかなと感じたりもしました。

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