本が好き 悪口言うのもちょっと好き

読書日記です。っていうほど読書量が多いわけではないけれど。。。

コーヒー・ハウス 18世紀ロンドン、都市の生活史 小林章夫

2013-02-20 | 評論

 「講談社学術文庫」というところからわかるように、本書は学術書なんですが、とても読みやすく、面白かったぁ・・・と言える一冊でした。

コーヒー・ハウス (講談社学術文庫)
小林章夫
講談社

 この本の前に読んだ立花隆氏と佐藤優氏の対談集「ぼくらの頭脳の鍛え方 必読の教養書400冊」の中で、佐藤優氏が選んでいられた本でした。

 佐藤氏によると、ソ連時代のモスクワにはほとんど喫茶店がなかった。理由は陰謀の場になるからなのですが、佐藤氏によると、

 コーヒー・ハウスというのは喫茶店の原型になった場所なんです。ロンドンといえば紅茶ではないかと思われるかもしれませんが、イギリスに紅茶が浸透するのはインドを植民地化して以降なんですね。その前はコーヒー文化があったんです。それで、コーヒーハウスに入ると、身分や職業に関係なくみんな平等に議論する。そこから政治的な空間(公共圏)ができてきた。

 とのことで、ちょっと興味をそそられて読んでみました。

 17世紀半ばに初めてのコーヒー・ハウスが開店し、ピューリタン革命から王政復古へ至る時代の中で、佐藤氏が指摘したような、政論の場として発達し、その後は、新興ブルジョワジーにとって「情報センター」となり、そこからジャーナリズムが生まれてくる。また18世紀に入ると、コーヒー・ハウスごとに趣味を同じくする人たちが集まるようになり、「クラブ」が発達し、また文学論などを交わす場となり、「小説」といった新しい文学作品の形態の萌芽もこの空間と決して無縁ではない。

 議会制民主主義やジャーナリズム、そして保険会社ロイドもコーヒー・ハウスが起源だったのかと感慨深いというか、歴史のダイナミズムを感じて、読みながらワクワクしてしまいました。

 歴史って、本当に面白いですねぇ・・・。

 21世紀のコーヒー・ハウスは、インターネット、FaceBookだったりするんでしょうか。

 前記の「僕らの頭脳の鍛え方」には、サブタイトルの通り、400冊もの本の紹介があったので、また何冊か読んでみたいと思います。


アイコレクター セバスチャン・フィツエック

2013-02-11 | 小説

この本は章立て、ノンブルが逆になっています。 エピローグ、405頁から始まって、最後が1頁になります。 (編集部)

アイ・コレクター (ハヤカワ・ミステリ 1858)
セバスチャン・フィツエック 小津薫訳
早川書房

 この注意書きに気が付かずに読み始めたので、最初、もしかして上下巻の下巻を借りてしまったのかと、戸惑ってしまいました。

 じゃあ、読むにつれて時間が巻き戻っていくのかと思ったけれど、そういうわけでもない。

 でも、確かに読み終わったときが、この物語の主人公にとっての本当の苦しみの始まりだったことがわかります。

 だから、405ページはすべてプロローグ。

 でも、一番初めの章は”エピローグ”になっていて、主人公のこんな言葉で終わっています。 

これは映画でも伝説でも本でもない。

私の運命。

私の人生なのだ。

なぜなら、苦悩の極致にありながら、死は今やっと始まったばかりだと悟らされた男-その男とは私自身だからだ。

 

この本は、この冒頭のエピローグに向かって語られるのです。

なんか、暗そう・・・と思ったけれど、ほんと暗かったです。

主人公ツォルバッハは、元は警察の交渉人。

精神を病んだ女性に誘拐した赤ん坊を返すように交渉中に、

彼女を撃ち殺してしまったことで、自分自身を責め続けている。

 

警察を辞めて新聞記者になった彼の前に、アイコレクター(目の収集人)という、

病的犯罪者が現れる。

誘拐した子供の母親を誘拐し、父親には子供を見つけるためにわずかな時間しか与えず、

子供はその間窒息死するという手口で、すでに3人の子供と、母親を殺害した。

この事件の4番目の犠牲者発見現場で、無くしたと思っていた彼の財布が見つり、

アイコレクターは彼ではないのかという嫌疑がかかる。

トラウマが、無意識のうちにこの犯罪を犯させたのか・・・?

謎の盲目の女性の透視により、犯人が隠した4人目の子供を救おうと

必死になればなるほど、状況はツォルバッハと犯人の強いつながりを明らかにしていく。

そして、彼が犯人に気が付いたとき、彼の本当の苦しみが始まるのです。

 

「治療島」でも、最後であぁ・・・とため息をつかせられましたが、

今回も、また、やられてしまいました。

そして、読み終わってもモヤモヤ。

犯人がわからなかったことは仕方がないのですが、

彼が背負うことになる苦しみに全く気が付かなかったというわけではないのです。

でも、こういう仕掛けだったとは・・・。

面白いというのとは違うけど、やっぱりまたこの人の本読みたいなと思いました。

 

ネタバレになるのであまり感想がかけませんが、一つだけ。

この本を読んで、ヨーロッパでは3人だか4人に1人の子供は、

法律上の父親が生物学的な父ではないという話を思い出しました。

そんなことから着想したのかなぁ・・・。