本が好き 悪口言うのもちょっと好き

読書日記です。っていうほど読書量が多いわけではないけれど。。。

坂の上の雲(4から6)

2007-09-29 | 小説
坂の上の雲〈4〉 坂の上の雲〈5〉 坂の上の雲〈6〉

 

 まだ読んでます。あいかわらず1週間に1冊のペースでしか進みません。 

 

 日露戦争のイメージが変わりました。変わったというのも変ですね。何も知らなかったのですから。本当になにも知らなかったのですよ。日露戦争といえば、戦勝祝いの提灯行列くらいしか印象になく、大勝したのかなんて思っていたくらい。恥ずかしい限りです。

 

 

 日本の戦争、軍隊といえば、太平洋戦争時代のものしか印象にありませんが、40年違えばずいぶん違うものですねぇ。

 

 個々の戦況の様子は私にとっては、ちょっと退屈です。うまくイメージできないこともあり、私は、それよりいろいろなリーダの姿がとても面白いし、いろんな意味で勉強になります。

 

 

 軍のリーダというのは、絶対にぶれてはいけない。兵隊の命は重いが、その重みに負けてもいけない。彼らは将の持ち駒なんですから・・・。つらい仕事ですね。

 

 

 相手を大きく評価しすぎても、小さく評価しすぎても判断を誤る。結果がわかっている今、小説を読みながら各面々を評価するのは容易ですが、いざその場に自分がいたら・・・・。

 

 

 これは戦争がテーマですが、自分の仕事でも通じところがあると感じました。自分はリーダではないけれど、とてもその格でもないけれど、”もしリーダーだったら”と考えてみることは大切なことかもしれない。一兵隊になってしまったら、仕事なんてつまらないから。

 

 

 ”侵略戦争は民族戦争をする相手には勝てない” という意味で、日露戦争は日本が勝つと考えたイギリスの軍人がいたそうです。日露戦争は民族戦争だったんだぁ(いや、断定するといわゆる近隣諸国から文句を言われそうですが)。ともかく、これを読んで、ふっとイラクやアフガニスタンでの戦争を思い浮かべてしまいました。

 

 後2冊。見積もりではあと2週間です。


蜘蛛の糸

2007-09-24 | 小説
蜘蛛の糸・杜子春
芥川 龍之介
新潮社

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 実家の本棚にあった、色の褪せた本を取り出してよんでみました。

 

 蜘蛛の糸に関しては、ウン十年前に読んだ時の記憶と食い違いはありませんでした。初めて読んだ当時に焼きついたイメージ、細い蜘蛛の糸に、主人公を先頭に、多くの人が餓鬼となって群がっている絵が再度ありありと蘇ってきました。このシーンは、多分昔の人たちが地獄絵図で子供たちに悪いことをすれば地獄に落ちると教えたような効果を、私をはじめ多くの子供たちに与えたのではないでしょうか。

 

 しかし、残酷な話ですよねぇ。主人公はそもそも大悪人。その人生の中で一度だけ、蜘蛛を殺さなかったというだけで極楽に引き上げようとされたお釈迦様は、なるほど懐が大きい。でもその男が、自分が見つけた蜘蛛の糸を伝って我も我もと登ってくる人たちを見て、「止めてくれ」と言わないなんてことを期待するのはちょっと無理というものですよ~。いや、地獄に落ちるほどの悪人でなくても、この糸は切れないと知っていなければ、絶対むりですよねぇ。

 

 読んだ当時も、じゃあ主人公はどうすればよかったのかと考えて、「一度に登って切れてしまったら元も子もないから、順番にしてくれ」と言うのかなぁというのが、私の結論でした。しかし今回、もう一度読んで、最後のシーンで、地獄に落ちた主人公の姿を悲しそうな顔をして、またぶらぶら歩き始めたお釈迦様の姿。そして、

 

 しかし極楽の蓮池の蓮は、少しもそんなことには頓着いたしません。その玉のような白い花はお釈迦様の御足のまわりに、ゆらゆら萼を動かして、そのまん中にある金色の蕊からは、なんともいえないよい匂が、絶間なくあたりへ溢れております。極楽ももう午に近くなったのでございましょう。

 

 という長閑な描写に、より残酷なものを感じてしまったのですが・・・。主人公はもしかして弄ばれていない???いやいや、お釈迦様がそんなに残酷なはずはないか・・・。とはいえ、これは芥川の作品だし、どんな意図があったのかと深読みしてしまったのでした。

 

  また、最後に収められていた白という作品。これは、自分の友達のクロが犬さらいに捕まるのを見ていながら、自己保身のため救わずに逃げた白という犬が、気がつけば黒い姿になり、飼い主にも追い払われ、死に場所を求めてさ迷い、いろんな危ない場面に遭遇しては捨て身で人や動物を助けて有名になるがどうしても死ねず、自殺しようと心にきめて、最後に一目飼い主に会いに帰って来たところで、白い姿になり、元の生活に戻れたという話です。

 

 しかし、こんなに高潔に生きねばと思っていたら、芥川さんも自殺したくなるわなぁなんて、思ってしまった私でした。

 


さいえんす?  東野圭吾

2007-09-16 | エッセイ
さいえんす? (角川文庫)
東野 圭吾
角川書店

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 そういえば、東野さんのエッセイははじめてでした。

 

 私自身が、あるメーカの系列エンジニアリング会社に務めていることもあり、かつてメーカの生産技術部門でエンジニアだった東野さんの話は、身近に感じられました。本書は、科学に関するあれやこれやエッセイとのことですが、なんか私にとってはフツーの会社帰りのサラリーマンが飲み屋でするような話だなぁ・・・・という感じですが、他の世界に行けば結構違うのかしら・・・。

 

 ものごとをきっちり理詰めで考える技術屋の中で長く仕事をしていると、ものすごく居心地がいいです。知的好奇心が強く、人の言うことを鵜呑みにせず、納得するまで調べようとする人たちで、そして数字に強い・・・。文系の私には、尊敬・・・の一言です。

 

 東野さんもそんな尊敬できる人の一人なのですね、きっと。 だからその作品は私にとって心地がいいのかもしれないなと気づいた一冊でした。

 

 ただ、最後の"本は誰が作っているのか”の章に、

 

 この世に新しい本が生み出されるのは、書店で正規の料金を払って本を買ってくれる読者の方々のおかげである。図書館やブックオフに本があるのは、その人たちが出費してくれているからだ。

 

 とあり、ファンとはいえ、ほとんどを古本屋か、図書館、もしくは友達から借りて読んだ人間としては、恐縮しきりなのでした。いやいや、とはいえ買いましたよ・・・。単行本2冊、文庫本5冊くらいは、貢献してます・・・・。(と、誰に言い訳してるんでしょう、私)

 


坂の上の雲(1から3)

2007-09-08 | 小説
坂の上の雲〈1〉 坂の上の雲〈2〉 坂の上の雲〈3〉

 長年、父から読め読めと薦められていたのですが、司馬遼太郎は「空海の風景」で挫折したので、この文庫8冊という大作に手を出すのは躊躇われていました。単純な私はこの本を読めば、司馬史観に、きっと深く影響されるだろうなあという懸念もありました。

 

 

  でも、とうとう手にしたのは、私が無理やり押し付けた「竜馬が行く」を読んでもっと司馬さんを読んで見たいと言い出した姪っ子にたいする叔母の競争心かもしれません。決して、司馬史観を客観的に捕らえられるだけの準備ができたわけではありません。

 

 

  そういうことでやっと読み始めたものの、なかなか予定通りにはすすまず、図書館で借りてきた3冊を1週間延滞してやっと読み終えたところです。決して面白くないわけではなくここまでで挫折したわけでもなく、とりあえず一旦この3冊を返さなくちゃいけないので、ここまでで一旦ブログに書いておきます。

 

 

  松山出身の秋山好古、真之兄弟および正岡子規の3人の青春時代から、子規の死、陸軍、海軍で頭角を著した秋山兄弟を巻き込んだ日露戦争のはじまりまで進みました。  松山といえば「坊ちゃん」ですが、秋山真之は子規そして漱石とも同年代です。だから、坊ちゃんにあれだけボロクソに書かれた松山の中学生の様子が別の視点から描かれていておもしろい。また東京で高校、大学予備門、軍の士官学校など高等教育機関では、教える側も手探りで西洋の学問を取り入れていった様子が、本当に興味深いです。

 

 

  そして、子供の頃に維新があった世代の”元武士た”ちが、新しい時代にどのように適応していったか。明治という時代に、圧倒的な貧しい庶民の中から選ばれた”エリート”として理想と責任感をもって生きていた姿に、感動すらします。

 

 

  前述の通り続きを読む前に、この3冊を図書館に返さなければならないので、自分の覚えのために、本文から自分がチェックした文章を引用しておきます。

 

 

すべて第2巻より

 That’s 司馬史観?

 

他の科学に、悪玉か善玉かといような分け方はない。たとえば水素は悪玉で酸素は善玉であるようなことはないであろう。そういうことは絶対にないという場所ではじめて科学というものが成立するのだが、ある種の歴史科学の不幸は、むしろ逆に悪玉と善玉をわける地点から成立してゆくというところにある。

 

 

 真之の「天才」評に関する島村速雄の解説

 

「目で見たり、耳で聞いたり、あるいは万巻の書を読んで得た知識を、それを貯えるというより不要なものは洗いながし、必要なものだけを貯えるという作用を持ち、事あればそれが自然に出てくるというような働きであったらしい」

 

 

米西戦争について

 

要するにスペインに対する戦争はマッキンレ-大統領も好まず、実業界も好まず、海軍卿ロングも好まなかったが、通俗世論ががむしゃらにアメリカを開戦へひきずった。

 

 

 海軍について真之が子規に語ったことばとして

 

「たとえば軍艦というものは、一度遠洋航海に出て帰って来ると、船底にかきがらがいっぱいくっついて船あしがうんとおちる。人間も同じで経験は必要じゃが、経験によって増える知恵とおなじ分量だけのかきがらが頭につく」