放浪日記

刮目せよ、我等が愚行を。

江蘇省南京の最悪な1日(前編)

2004年11月10日 | 半死的中国旅行


夏休みを利用した中国旅行も、日程の半分が過ぎようとしていた。
西安のホテルでぼんやりとテレビを観ていたとき、画面に映し出されたのは、日本の戦争の罪を弾劾するニュースだった。日本兵の横暴ぶりを涙まじりでカメラに訴える老人の姿は、中国語がわからない2人にも充分伝わるものがあった。そして最後に出たテロップには「南京市」の文字。
南京といえば、豆と大虐殺。
もうすぐ8月15日を迎えようとしていた。
終戦の日を、大虐殺があった(と言われる)南京で迎える。中国人民が本当に反日的かどうか身をもって体験してみたい。にいやの心は動いた。しんたろーに、8月15日を南京で迎えようと思うのだが、と伝えた。「あ~、いいんじゃない?」と、その日のもつ意味を完全に忘れていたしんたろーは、鼻をほじりながらそう答えた。

シルクロードの東端である、古都・西安にいた我々は、15日に南京にいるために、飛行機を使うことにした。旅の舵をとっているにいやは、飛行機に乗るのが、このとき生まれて初めて。しんたろーは、以前修学旅行で乗ったことはあるものの、チェックインなどの仕組みはまるでわかっていなかった。念のために、と早めに空港へ着いたものの、どうやって飛行機に乗っていいのかわからず、荷物を預けなければいけないことも、空港利用料を払わないといけないことも、なにも知らなかった。日本語はもちろん、英語の看板すらない中国の地方空港の片隅で途方に暮れるしかなかった。そして、係員や警備員などと筆談を交わし続けること3時間、ようやく飛行機の乗り方の仕組みが理解でき、無事、南京に着いたのだった。飛行機内はクーラーの代わりにドライアイスが置かれて、通路はその煙で充ちていたが、「歌謡ショーの舞台のようだね、飛行機って」と初心者ならではの感想しかもてなかったのが、悔やまれる。しんたろーは、ひさしぶりの快適な移動に、スモークに巻かれながら爆睡していた。

南京空港に着いた我々は戦慄した。にいやのバックパックから、コンパス(中国陸軍使用の高級品)と傘が盗まれていたのだ。空港職員の言いなりになって、荷物を預けてしまったのが悪かったのだと、にいやは自分を責めた。「とりあえず係の人に尋ねてみたら~」と薄ら笑いをうかべたしんたろーのアドバイスに従い、いくら空港の職員に尋ね、ゴネて、文句を言っても、犯人は見つからないだろうという返事しか得られず、泣き寝入りしなければいけなかった。
そんな思わぬアクシデントに時間がかかってしまい、空港を出たときには夕方になっていた。空港前から出ている公共バスに乗り込み、安宿のある街の中心部へと向かう。地図を運転手に見せて、ここまでお願いと頼んでいたのだが、ある橋のたもとで突然降ろされた。走り去っていくバス。ぽつんとたたずむ我々。こんなところに突っ立ってんじゃねーよ、とばかりに痰を吐いていく自転車人民。
とりあえずここにいてもしかたないと、街の方向に向かって歩き始めた。


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