ディスクゴルフと海鮮丼満喫の旅の続きです。
以前の記事はこちら
にかほ陣屋で美味しい海鮮丼を食べた後は、
はらくにさんの故郷にかほ市を探検します。
まずは道の駅象潟「ねむの丘」で情報収集。
道の駅エリア内に観光拠点センター「にかほっと」がオープンしたようで大変なにぎわいでした。
地場物産品を販売するブースや飲食店のブースが多くあり、ねむの丘以上ににぎわってます。
これだけの施設を備えた道の駅は他には無いかもしれないですね。
観光パンフレット「にかほ絵草紙」をゲットしてさっそく探検スタート。
まずは近くの「蚶満寺 かんまんじ」を散策。
蚶満寺は仁寿3年(853年)慈覚大師によって創建されたと伝えられているそうです。
西行法師や北条時頼が訪れたとされているほか、松尾芭蕉や小林一茶などの文人が多く訪れているそうです。
案内板によると、
周辺はかつて九十九島といわれるたくさんの島々を浮かべた潟であり、
松島と並び称された景勝地であった。
しかし、
文化元年(1804年)の大地震で象潟は隆起し、一夜のうちに陸地となった。
当時の島々は現在、水田に点在し、
春の田植え時は水面に浮かび往時をしのばせることができる。
象潟は松島のような景勝地だったのが200年前の大地震で陸地になってしまったんですね。
山門をくぐると案内所があり秋田美人のお姉さんがやさしく説明してくれます。
300円?の拝観料を払って入場します。
まずは本堂にお参り。
御本尊は釈迦牟尼仏。
この寺には、七不思議の伝説が残っているそうです。
弘法投杉
かつて、参道入り口左側の老松のてっぺんの一枝がだれが見ても杉に見えることから、
弘法大師の霊験によるものといわれ、「弘法投杉」と呼ばれていた老松が太平洋戦争の終わり近くまであった。
現在は残っていない。
夜泣き椿
樹齢700年の椿で、寺に異変があるときは夜泣きするという。
寒中雪の中で開花するそうです。
あがらずの沢
小さな太鼓橋があり、この辺は昔深い沢で、ここに人が落ちると泥が深い為あがることが出来ない人取沢であったといわれている。
咲かずのツツジ
北条時頼が植えたと伝えられる二株のツツジのうち一株は普段は花が咲かない。
寺に異変がある年に限り咲くという。
木登り地蔵
本堂裏手のモチの巨木の、上方の幹が分かれた間にちょこんと地蔵様がある。
ある時地蔵様を木の根元に下ろしたが、翌朝にはまた元の所に登っていたと伝えられる。
姿見の井戸
平安初期の三十六歌仙の一人の猿丸太夫が、象潟に来た時この井戸に自分の姿を映して自らの行く末を占ったとされている。
夜半だれにも知られず井戸に参り自分の姿を映せば、将来の姿が現れるといわれている。
血脈授与の木
ある時、入棺の際に血脈(戒名を書いたお守り)を入れるのを忘れた葬列がこの前までくると、
忘れたはずの血脈が、ケヤキの枝につり下がっていたといわれ、それ以来このケヤキの古木は血脈授与の霊木といわれるようになった。
千年を超える歴史があるお寺には色々と伝説があるものなんですね。
船着き場の跡と舟つなぎ石
西行法師歌桜の跡
ちょうど桜が咲いてました。
きさかたの桜は波にうずもれて花の上漕ぐ海士のつり舟
犬楠(タブノ木)
亜熱帯植物で樹齢千年を超える霊木だそうです。
圧倒される巨木ですよ。
いろいろと勉強になりました。
再び山門を抜けると今度は公園内を散策。
今は小山になってますが200年前には島だった近くの島へ行ってみる。
駒留島
蚶満寺をスタートして「象潟 九十九島めぐりコース」があるようです。
今回は少々足が疲れているのであきらめました。
島の上からは鳥海山が望めます。
公園内にある松尾芭蕉像。
きさかたの 雨や西施か ねむの花
西施像
中国4大美人の一人だそうです。
救国のため敵国に身を捧げた悲劇的な美女。
松尾芭蕉は松島に比べて「うらむがごとし」と象潟の風景に似通うものとして美女西施を俳諧の世界に生かしたそうです。
象潟はおよそ2500年前に鳥海山が大きく崩れて岩雪崩が発生し、
海に流れ込んだ岩の固まりは多くの島となり、
やがて島々を囲むように砂嘴が発達して一帯は入り江になった。
島々には松樹が茂り、水面に鳥海山を映し、
松島と並ぶ景勝地として広く知られるようになった。
しかし、
1804年6月の大地震によってこの地域は隆起して陸地となり、
往古の潟は一変して現在の稲田と化したのである。
象潟は、火山活動及び地震による土地の変化を示す自然記録として学術上の価値が高いため、
昭和9年1月22日国の天然記念物に指定されたそうです。
大変勉強になりました。
時間があるのでまだまだ旅は続きます。
次もありますよ!!
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