引き続き物見台の上より。今度は西ノ丸の外側を見渡してみよう。
正面に愛鷹山が見える・・・が、富士山は木々に遮られて見えない。
最初に行った岱崎出丸すり鉢曲輪見張台の方が、景色は良かったな。
そんな風景よりも、むしろ足元に広がる無数の堀の方が見応えがある。
この西ノ丸をコの字に囲むよう作られた堀が、山中城最大規模を誇る障子堀。
整備が行き届いていて非常に美しい。例えるならば、そう・・・まるで中身の無いペヤングの容器を
無数に並べたような・・・って、その例えはどうかと思う。ちなみに障子堀の障子とは、堀底を仕切る
障害物をさすのであって、その形状が日本屋敷に使われる障子に似ているからではないとの事だ。
それでは先へと進んでみよう。溜池へと続く北東側の出入口から西ノ丸を出る。
先に述べたように、この道を通して雨水を階段下の溜池へと逃がしていたもよう。
階段を降りて左に曲がるとT字路があった。ここを左へ進めば、先程眺めていた障子堀の方へと行けるのだが・・・
残念ながら、こちらのルートも南側の西櫓へ続く道と同様に立入禁止になっていた。工事はいつ終わるのだろうか?
仕方ないので西方面は諦めて東へ進む事にする。このT字路を右に曲がれば直接本丸跡の方まで
行けるみたいだが、そのルートは使わずに溜池の南側から元西櫓・二ノ丸を経由して行く事にしよう。
こちらが、その溜池。と言っても全然池っぽくないけれど。深さは4m以上もあったとか。
各出丸の堀水や排水が、この溜池に貯まるように計算された作りになっていたらしい。
まさに城の生命線。山中での水の確保が、いかに重要な事だったのかを思わされる。
FILE:8へ戻る 山中城跡目次 FILE:10へ進む
正面に愛鷹山が見える・・・が、富士山は木々に遮られて見えない。
最初に行った岱崎出丸すり鉢曲輪見張台の方が、景色は良かったな。
そんな風景よりも、むしろ足元に広がる無数の堀の方が見応えがある。
この西ノ丸をコの字に囲むよう作られた堀が、山中城最大規模を誇る障子堀。
整備が行き届いていて非常に美しい。例えるならば、そう・・・まるで中身の無いペヤングの容器を
無数に並べたような・・・って、その例えはどうかと思う。ちなみに障子堀の障子とは、堀底を仕切る
障害物をさすのであって、その形状が日本屋敷に使われる障子に似ているからではないとの事だ。
それでは先へと進んでみよう。溜池へと続く北東側の出入口から西ノ丸を出る。
先に述べたように、この道を通して雨水を階段下の溜池へと逃がしていたもよう。
階段を降りて左に曲がるとT字路があった。ここを左へ進めば、先程眺めていた障子堀の方へと行けるのだが・・・
残念ながら、こちらのルートも南側の西櫓へ続く道と同様に立入禁止になっていた。工事はいつ終わるのだろうか?
仕方ないので西方面は諦めて東へ進む事にする。このT字路を右に曲がれば直接本丸跡の方まで
行けるみたいだが、そのルートは使わずに溜池の南側から元西櫓・二ノ丸を経由して行く事にしよう。
こちらが、その溜池。と言っても全然池っぽくないけれど。深さは4m以上もあったとか。
各出丸の堀水や排水が、この溜池に貯まるように計算された作りになっていたらしい。
まさに城の生命線。山中での水の確保が、いかに重要な事だったのかを思わされる。
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