大久野島の西海岸を北上して島の北西部までやってきた。 →地図←
島の北西へと伸びた岬。ここは北部監視所跡との事で、この山の中にも
北部照明所跡が残っているようだが、フェンスが張られ入る事はできない。
そんな北西の岬の手前にも、なにやら大掛かりな施設が残っている。
山肌を切通して作られた長浦毒ガス貯蔵庫跡。先ほどあった
毒ガス貯蔵庫も埋もれていなければ、こんな感じだったのだろう。
第二次世界大戦後、貯蔵されていた毒物は火炎消火器で焼却処分され
今でもその時の名残りが建物内部の焼け跡となって生々しく残っている。
そして島の外周路は右へと折れ曲がり、いよいよ島北側へ進行開始!
・・・・・・って、カーブを曲がるやいなや、道は急に上り坂へと姿を変えた。
自転車で爽快に走って来ていたら、この光景にゲッソリするに違いない。
てっきり淡島のように、島の外周は標高の低い平らな道が続いているのかと思いきや
北側はけっこう高低差がある。こりゃあレンタルサイクルの電動自転車が重宝するわ。
坂道を上っていくと、すぐにト型の分岐が出現。ここが北部砲台跡の入口となっている。
分岐を曲がって島の内部へ進むと、すぐにT字路へと突き当たった。
案内板があるT字路から、右には開けたエリアが、左にはトンネルがある。
とりあえず次は、この開けたエリアの方から北部砲台跡を見ていくとしよう。
FILE:15へ戻る 大久野島目次 FILE:17へ進む
島の北西へと伸びた岬。ここは北部監視所跡との事で、この山の中にも
北部照明所跡が残っているようだが、フェンスが張られ入る事はできない。
そんな北西の岬の手前にも、なにやら大掛かりな施設が残っている。
山肌を切通して作られた長浦毒ガス貯蔵庫跡。先ほどあった
毒ガス貯蔵庫も埋もれていなければ、こんな感じだったのだろう。
第二次世界大戦後、貯蔵されていた毒物は火炎消火器で焼却処分され
今でもその時の名残りが建物内部の焼け跡となって生々しく残っている。
そして島の外周路は右へと折れ曲がり、いよいよ島北側へ進行開始!
・・・・・・って、カーブを曲がるやいなや、道は急に上り坂へと姿を変えた。
自転車で爽快に走って来ていたら、この光景にゲッソリするに違いない。
てっきり淡島のように、島の外周は標高の低い平らな道が続いているのかと思いきや
北側はけっこう高低差がある。こりゃあレンタルサイクルの電動自転車が重宝するわ。
坂道を上っていくと、すぐにト型の分岐が出現。ここが北部砲台跡の入口となっている。
分岐を曲がって島の内部へ進むと、すぐにT字路へと突き当たった。
案内板があるT字路から、右には開けたエリアが、左にはトンネルがある。
とりあえず次は、この開けたエリアの方から北部砲台跡を見ていくとしよう。
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坂が多い場合は重宝します。
それにしても歴史とは考えさせられるものが有ります。
当時の工夫、道なり1つとっても何故T字路なのかとか。
海岸沿いは長閑な雰囲気を感じますが、島の中に入ればそこは… お一人で行かれたのでしょうか^^