がじゅまるの樹の下で。

*琉球歴女による、琉球の歴史文化を楽しむブログ*

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お城EXPO’19に行ってきました

2019年12月28日 | ・琉球/沖縄、徒然日記

 

お城EXPO’19に参加するため、
横浜に行ってきました!

21日はグスク展のシンポジウムだったので断念し、
22日になる頃に横浜入りして、
22日の夜の便で帰沖という、
弾丸スケジュールでした。

 

…が、
行ってよかった…!!

 

 

こういう類のイベントって
初めて参加しましたが、
全国の自治体や企業・団体が一堂に集まって
様々な取り組みをまとめて見ることができるなんて、
便利でお得な1日でした!

 

客層もファミリーから若い女性、年配のご夫婦まで、
まさに老若男女(男女比も5:5の印象)、
多くの人でにぎわっていました!
(なんでも過去最高の入場者数だったとか)

 

お城EXPOは色んな企画、展示、ブースがありましたが、

参加のメインの目的は
全国各地の「お城めぐり観光情報ゾーン」。

 

お城の魅せ方、PR方法、演出、
発行物のデザイン、工夫、
グッズのバリエーション、イベント企画etc…

面白い!楽しい!なるほど~!!

と、
どれもこれも刺激的で勉強になりました。

 

 

それでは、
ごくごく一部ですが、
印象に残ったものをご紹介☆

 

 

ブースにはフル装備の武将姿のおじさまたちがそこら中に!

やはり、鎧はそれなりに年齢を重ねた「おじさん」が似合う!

立ち上がれ!観光課の「おじさん」たち!

 

 

紙芝居だって、普通にはやらない。

見た目はもちろん、
口調も態度もしっかり成りきってます。

 

 

扮装はクオリティ高いのに
紙芝居は手作り感満載。

それがいい(笑)

 

扮装した各ブースの人たちは
武将系のほかにも、
忍者系や姫系、
歴史系ゲームキャラ風の方々も。

 

 

歴史の食を再現する取り組み。
題して「歴食」。
(これは観光情報の隣のブースでした)

これ、いいな~!

沖縄でも以前、冊封使歓待料理の再現とかあったけど
その一部を常時提供できるメニューに再構成するとか、
王様が食べてた献立も資料はあるから再現するとかして、
観光コンテンツにしたらいいのになー。

 

 

御朱印ならぬ、御城印というものもあって
御城印集めにいそしむ動きも活発化しているよう。

 

 

スタンプラリーは鉄板だけど、
こちらはラリーすることで1枚の絵になる
というスタイルのモノ。
(いわゆる多色版画の仕組み)

お城EXPOでも指定されたいくつかのブースを回って
絵を完成させるとプレゼントがもらえる
…という企画をやっていました。

ある程度の枠中で行うスタンプラリーとしては
非常に効果的ですね!

 

今後の首里城のスタンプラリーは、
このスタイルにするといいんじゃない?
(今までのやつは当分は使えないはずだし…)

 

 

「装着体験」は色んなところであるけど、
着た後に写真を撮る背景・シチュエーションって大事。

実際の現場(城=野外)がベストだけど、
室内だとこーゆー↑のもひとつの手。

 

 

缶バッヂ制作コーナーも大人気でした。

選べるデザインは、
家紋や…石積み(!!!!)

ラインナップが、さすが、渋い。
ツボを押さえてくる。

 

スタッフさんのはっぴデザインにも注目。

石積みデザインのほかにも、
鎧の小札をデザインしたものなどもありました。

 

 

弓射的もありました。
こちらの矢の先は吸盤。

矢狭間を付けた壁(パネル)越しにやってるブースもありました。

 

 

これは唸った、
石積みデザインの割りばし。

箸袋裏のデザインがそのお城の石垣になっていて
お城ごとに全部違うのです。

陣旗になっているものも。

こーゆーちょっとしたセンスと遊び心よな。

 

 

キャラクターを使ったアプローチは
やはり強い。

王道かっこいい系も、
(こちら、テンペスト挿絵の長野さん作)

 

 

萌系、美少女系も。

これ、みんなお城の擬人化キャラです。
(こちらも販売ブースより)

 

 

マンガとのコラボも。

 

 

観光情報ゾーンを中心に
ごくごく一部をご紹介しましたが、

 

これ、沖縄の観光課や観光協会の人、
来年は見に行ったほうがいいですよーーー!!
(グスクを観光資源として活用したいと思ってる自治体はマスト!)

 

沖縄ができてないこと、
沖縄に足りないもの、
そして、
沖縄の特異性と強みにも気づかされるから。

 

沖縄の城(グスク)は全国的に見たとき、
何が違って、何が魅力なのか、

それをしっかり自覚して
それを前面に出していく必要があるな…などと、
色々と考えさせられました。

 

例えば、

世界遺産のグスクにしても、
観光情報誌に載るような
ふつーにきれいな写真だけじゃなくて、

今帰仁グスクの百曲がりの城壁空撮とか
座喜味グスクの縄張り図とか!

 


こーゆーの↑↓を見て
「くぅ~!たまらん!」
って喜ぶような人たちが集まるのがお城EXPO(笑)


 

そういうマニアックなところを突くような魅せ方とかね。

一般向けのモノと同時に
こういうマニアックなニーズも十分にあることを感じました。

「日本の城100選」「続日本の城100選」関係で
世界遺産グスクを訪れる人(つまり城マニア)も多いのだから。

 

実際、ほかの自治体は縄張り図を
そのままグッズ化(バッグとかクリアファイルとか)してたりして、
マニアック(と思われがち)な要素を
気軽に、広く展開していましたよ。

 

 

あとはやっぱり、
そこに生きた「人」や「ドラマ」を
どう見せるか、アプローチするか、ですね。

 

 

イベントブースでは、
あの超有名な「名古屋おもてなし武将隊」のショーを初めて拝見。

 

いや~、これはファンが増えるの納得だわ…。

ショーの演出、魅せ方のうまいことうまいこと。

文句なしにかっこいいし、そりゃ惚れるわ。

 

でもさ、
現代版組踊のOB・OGが立ち上げた(もしくは関わっている)チームも
全然負けてないと思うんだ。

演じ手や、作り手(音楽・振り付け・脚本・演出)、
アイディア、素材(題材)は、
沖縄にも十分ある。

あとは、それを(観光に)どう活かすか、
事業・仕事としてどう成り立たせるか、
という話。

行政がそういうのを積極的に取り入れて
(↑グスクは文化財として行政の管轄だから)
大いに活用&バックアップしてくれればいいのだが。

 

ゆるキャラばっかりじゃなくて。

 

 

その、ゆるキャラの火付け役といえば、
ご存じ、彦根城のひこにゃん!

こちらも生で見るのは初めてでした。

 

い~や~~~~!

これは文句なしにかわいいっ!!!

 

しゃべらないけど
(初期のゆるキャラはしゃべられないのがデフォでしたよね)
しぐさと「間」が絶妙!

 

これはあざといくらい計算されてる。

 

ただ中の人がその場しのぎで
テキトーに動いてるんじゃなくて、
ちゃんと「ひこにゃん」というキャラクターが
動きや「間」で表現できるよう
確立されてるのを感じました。
(くまモンとはまた全然違う!)

中の人は、ひこにゃん専任か、
変わっているとしても
しっかりとしたにこにゃんマニュアルがあるとみた…!

 

ゆるキャラ活かすなら
これくらい徹底してやらねば。

 

前からたびたび書いてるけど、
沖縄は何かと「作って終わり」のパターンが多い。

作ったものをどう活用するか、どう生(活)かすか、
が、圧倒的な課題。

 

 

 

 

 

展示企画では首里城火災を受けて、
「在りし日の首里城写真展」も急遽開催されました。

 

 

平成の復元の過程、
火災の様子など。
(写真提供は沖縄タイムス)

多くの人が足をとめて見てくれていました。

 

 

そして、
被災したお城、といえば、
熊本城。

 

 

再建の間、
熊本城をどう見(魅)せていくか、
アピールしていくか。

沖縄(首里城)は熊本から学べることがたくさんあると思う。

NEO ONE KUMAMOTOのポスターシリーズ
胸にぐっと響きました。

 

 

 

 

お城EXPOでは
ワークショップやセミナー、
講演会やトークショーの開催も。

せっかくなので
『山城の魅力と歩き方』(春風亭昇太+加藤埋彦)に参加。

会場内のいちエリア、
このホールだけでも市民会館大ホールくらい広いですからね。

それが満杯になるんだから
近年のお城人気のすごさがわかる。

「山城をテーマにしてこんなに人が来るなんて、
ちょっと前までは夢にも思わなかった!」

との談。

グスク展シンポジウムでも
千田先生も同じこと言ってました(笑)

 

そして、さすが落語家さん。
その語り口や会場を山城に見立てた説明などで
何度も何度も笑わせてもらいながら
山城の構造や特徴、魅力や見方、楽しみ方を
伝授してくれました。

 

沖縄でいえば、
石垣を持たない土のグスク。


一般的にはどうしても石垣の城よりも”見劣り”しがちな土の城を
どう整備すればいいか、
どう魅せていけばいいのか、
(たぶん、沖縄では土の城の良さをPRするための整備をしているグスクはまだないはず)

これも多くのヒントをもらえるトークショーでした。

別途料金だったけど、参加してよかった♪

私自身、土のグスクに行ったとき、
もっと「観れる」ようになったかも!
レベルアップ
できた気分~♪

トークショーの中で紹介していた土の城も
(愛知県新城市の古宮城、構造えっっっっぐ!!!(笑))
実際に行ってみたくなりました。

 

 

半日くらいで回れるかな?と思ったけど、なんのその。
ほぼ丸一日いてがっつり楽しみました。

 

また参加したいなぁ。

 

今回初参加して、私が感じたことを書きましたが、
ほかの立場の人だったら
また違ったところに注目してたりするんだろうな。

もっと色んな人と一緒に行って、感想をシェアしあえたら
もっといろんな気づきを得られるかも。

そんなことも感じたお城EXPOでした。

 

 

長くなりましたが、
もう一回これを叫んで
お城EXPOレポ記事を〆ることにします。

 

 

沖縄の観光課や観光協会の人、
お城EXPO、一度は見に行きましょーーー!!

 

以上!


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赤木名散歩

2019年12月25日 | ・琉球歴史/文化風景

前記事で書いた奄美大島の赤木名グスク

残念ながら赤木名グスクは満喫できなかったけど、
赤木名エリアは楽しみました。

せっかくなので、
いくつかご紹介。

 

 

奄美大島グルメといえば、
これは外せない!

鶏飯!!

鶏飯で有名な「みなとや」。

自分でそのつどよそおって
アツアツの出汁をかけて食べるスタイル。

本場の鶏飯、美味しかったです★

 

食べたら消費。
赤木名散歩。

 

 

大島代官所跡地。

「代官」ってことは
近世の大和世の時代ですね。

奄美大島の歴史区分の中には、
「那覇世」と「大和世」があります。

沖縄に「大和世」と「アメリカ世」があったというのと
意味合いは一緒。

 

 

サンゴ(だと思う)の石垣。

 

 

マンホールが海の生き物でした。

赤木名は海のそばで、
前田川とつながっています。

かつては海からこの川に入って
赤木名グスクのふもとまで行けたようで、
「船着場」や「船だまり」と呼ばれる場所もあったようです。

 

 

そしてもう一つ。

島料理居酒屋、
その名も
「ガジュマルの樹の下で」

 

当ブログを検索したら食べログが出てきた
という方もいらっしゃるのでは?

それが、こちらのお店です。

 

営業時間外だったので
食事などはできませんでしたが、
以前から(勝手に)親近感を持っていたので
記念に看板と一緒にパチリ。


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赤木名グスクと、琉球の王弟

2019年12月18日 | ・琉球史散策/第一尚氏

 

前回の浦上グスクに続いて、
奄美大島のグスクを、もう一つ。

奄美空港がある、
北東部エリア【笠利(かさり)】にある、
赤木名グスク(赤木名城)。

奄美大島を代表するグスクでもあります。

 

※赤木名「グスク」にするか「城」にするか、
迷いましたがここでは赤木名「グスク」で書かせていただきます。

 

 

赤木名中学校の、すぐ裏手にあります。

 

 

入口の鳥居には「秋葉神社」とありました。

 

 

鳥居を抜けてしばらく登ると、
広場になっています。

 

右の石碑は、かつてこの地にあった(1675~1819)
赤木名観音堂開山時の住職の墓碑。

 

真ん中は「赤木名城跡」の碑。

 

 

説明版。

赤木名グスクは
国の史跡に指定されています。

 

ところで、
『朝鮮王朝実録』にこんな記述があります。

 

“奄美大島は琉球に帰順して15年になるが、
喜界島は毎年交戦するするもいまだ服従していない”

 

奄美大島は大きな島ですが、
その大部分がやんばるのような森林のため、
人々が多く住む島の中心地…
少なくとも、琉球の奄美大島統治の拠点は、
ここ「笠利」だったようです。

地形を見ても納得です。

 

そして、琉球が奄美大島を制し、
次に喜界島を…とした時、

この笠利にいったん軍を置き、
そこから喜界島に向かったということも
十分考えられます。

つまり、笠利が
琉球の喜界島討伐軍の前線基地でもあった、
ということです。

 

 

実際、
「喜界島は毎年交戦するも…」と書かれた時代、1450年頃には
笠利に琉球人がおり、役人(笠利大屋子)もいたようです。

 

赤木名グスクは笠利の西側にありますが、
この喜界島をめぐる抗争においても
なんらかの軍事的要衝であったのでは…
とも考えられています。

 

 

そんな赤木名グスク。

石積み、郭、幾重もの堀切などがあるらしい。

事前にコピーしてきた縄張り図を片手に、
いざ、張りきって


登★城!!

 

 

 

登っていきます!

木々の間から集落が見えます。

 

 

…ん?

 

 

…んんっ!?

 

 

Oh…マジか…

 

……大して進まないうちに、
順路を完全にふさがれてしまいました…

 

こんなに荒れ放題だと
さすがにこれは無理だと判断……

 

というわけで、登城は泣く泣く断念しました…

 

 

中にも案内板とかあるみたいなんですけどね…
(例えばこちらのサイトをどうぞ)

 

草刈されてる時期もあるのかもしれないけど……
この草木の荒れ具合から判断するに
けっこう放置されていた感じ……

 

国の史跡でもあることだし、
いつ行っても大丈夫なように
こまめな整備を願うばかりです…(´;ω;`)

 

 

赤木名グスク遠景。

この連なっている嶺の中に
いくつもの堀切があるようです。

 

 

 

 

ところで、
話を「朝鮮王朝実録」に戻しますが、

笠利を前線基地として喜界島討伐軍を率いていたのは、
琉球の「王弟」とあります。

1450年頃は、尚金福の時代です。

尚金福の弟といえば…

 

王位を継いだ尚泰久か、

それとも
尚金福の死後、王位をめぐって甥の志魯と戦った布里か!?
(※志魯・布里の乱→  

 

王軍を率いるとなると、
威勢のいい布里のイメージだし、
その見方が強いですね。

 

でも、もし尚泰久だったとしたら…
「武人・尚泰久」というこれまでとは
ガラリと違ったイメージの尚泰久像が見えてきます。

 

布里か、
それとも尚泰久か
どちらか、

 

そして時を経て
喜界島を討った(→ 尚徳も、

 

もしかしたら
この赤木名グスクを訪れていたかもしれません。

 

 


『赤木名城跡をめぐる歴史的概観』(奄美市教育委員会/2015)
『辺留グスク発掘調査報告書概要』(笠利町教育委員会/2006)


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有森神社+浦上グスク

2019年12月12日 | ・琉球史散策/グスク時代

 

奄美大島にある、
浦上有盛遺跡(有盛神社・浦上グスク)。

壇ノ浦の戦いで敗走した平家の武将のひとり、
平有盛が築いた城だと言われています。

さすがに奄美大島、喜界島は、
沖縄よりも平家伝承の場所が多くみられました。

 

 

有盛神社。

 

 

ここには奄美市指定文化財の
石造弁財天像があるようでした。

…が、案内板が残念なことに(^^;)

 

 

奄美は歴史・史跡を観光資源として
前面的に活かすという取り組みは薄いらしいのですが、
(歴史よりも自然推しだから。歴史系はあっても幕末の西郷さん関係)
もっと整備&PRしてもいいのにな~と思いました( ˘ω˘ )

 

 

この有盛神社の奥をさらに行くと
グスク的構造が出てきます。

…が、実際の風景ではわかりにくいので、
まずは県博の常設展にある模型を。

 

 

下部が有盛神社部分。

山を登っていくような形で進みます。

 

 

この丘陵のてっぺん部分には
石碑がありました。

文化十三年とあったので
1816年の大島代官が寄進建立したもののようです。

 

 

さらにその奥には
山を削り込んだ堀切が!!

しかも三段構え!

 

 

…のはずなのですが…

…うむ。

木々が生い茂っていると
まったくもってわからないね(^^;)

 

堀切は実際にその場に降りてみないと
実感しにくいですよね…。
根謝銘グスクみたいに

 

とりあえず、地面が低くなっているのは分かるはず。

 

 

帰り道です。

写真右手が平場になっているんだはず。

 

 

石垣のない、
堀切をもった土のグスクでした。


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グスクの擬人化キャラ

2019年12月08日 | ・琉球/沖縄、徒然日記

 

「グスク・ぐすく・城」展、開催中!

グスク展のまわしもの、和々です。
(和々的グスク展みどころ10はこちらから

 

さて、去年出版した
『琉球歴女の琉球戦国キャラクター図鑑』↓(和々+澪之助著/ボーダーインク)
では、グスクの擬人化(+キラキラ化)もしています。

 

ということで、
「グスク展」にかこつけて
私が担当した3グスクを久々に描いてみました★

 

左から、

・名護(なん)グスク

・伊是名(いぜな)グスク

・安慶名(あげな)グスク

です。

 

本では更に澪之助が、

・佐敷(さしき)グスク

・島添大里(しまぞえおおざと)グスク

・浦添(うらそえ)グスク

・越来(ごえく)グスク

を描いていますよ♪

 

キャラデザインのモチーフ元ネタや、
ベースとなった歴史なども書いていますので、
手に取ってくださると嬉しいです!



ちなみに、
この本では世界遺産の5グスクは
あえて取り上げませんでした。

ナゼナラバ、

世界遺産5グスクはもうすでにメジャーだから。
(加えて、先行実践もあったしね)

 

擬人化することの意味・意義は
この史跡を知ってもらうこと、
興味をもってもらうこと、
足を運んでもらうこと、
と捉えていたので、

メジャーすぎる世界遺産5グスクは外し、
行きやすさBレベルのグスクをチョイスしました。

 

まだまだモチーフとなるグスクは山ほどあるので
追加キャラとか…、
描けたら面白いかもしれません(・ω・)

 

最後に。
グスク展のCMができてたので貼っておきます↓


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漫画「琉球のユウナ」4巻

2019年12月07日 | ・和心な本、琉球な本

琉球のユウナ➃」(響ワタル著/白泉社)
(↑タイトルクリックでamazonにジャンプ)

 

先週発売になりました。

沖縄の店頭にもそろそろ並ぶ頃でしょうか?

 

ワタシは3巻からはkindleで購入しています。

発売日に、即ダウンロードしてすぐに読めることと、
巻数が増えてもかさばらないのがkindleマンガのメリット。

でも見開きページの迫力が落ちるのはデメリットかなぁ

 

 

さて、雑誌では一切読んでいないので
コミックが初見の感想としては、

 

あらぁ、ユウナちゃん、たくましくなって…


です。

 

かっこいいユウナが見れた4巻でした♪

成長著しいですね(体格的にも?w)♡

 

 

感想はこの一言くらいにしといて、
今回は4巻に出てきた琉球史エッセンスをピックアップして
過去記事にリンクしてみました。

歴史エンタメから、「次」(実際の歴史や史跡)へ!
というのがワタシのスタンスでもあるので、

マンガから「次」にもう一歩踏み込みたい人の
参考になれば嬉しいです♪

 

なお、過去3巻のレビューはこちらから。
1巻 2巻 3巻

 

 

+ + +

 

 

火矢のこん棒使用
…これ、ホントは確実に死ぬからね…。

 

三平の大あむしられ
三平の大あむしられの一人、
真壁大あむしられの住居跡(殿内)は
玉陵や首里高校のすぐ近くにあります。

首里大あむしられの殿内は赤田にあり
(わらべうたでもお馴染みの”赤田首里殿内”)
ここは過去記事はないんだけど、
首里のおおあむしられが司る「安谷川御嶽」はこの時の記事に。

 

◆ハブ除けのまじないと札
以前取り上げた
『沖縄のまじない』に詳しく載っています

 

ノロの任命
国家公務員であるノロは王府から辞令書をもらって就任しました。
辞令書はひらがなで書かれており、
首里之印が押されていましした。
(マンガにもワンカット出てましたね☆)

 

クンダグスク

 

ハベル(蝶)

 

辺戸の安須森
観光気分で気軽に行けるところではないので、
気軽に安須森感を味わいたい方は
隣の観光地「大石林山」をおすすめします。

 

辺戸の若水
首里城の年始行事に使う「若水」を辺戸の大川から汲む。
毎年12月に行われていたのですが…
今年は…できないね…(´;ω;`)

 

◆今帰仁の阿応理屋恵



今帰仁ハンタ道のそばに、
(今帰仁)阿応理屋恵ノロ火の神の祠↑があります。
ここは阿応理屋恵の住居地跡でもあります。

なお、阿応理屋恵の勾玉は残っていて
今帰仁村歴史文化センターに展示されています。
多くの勾玉が連なった重厚な首飾りは必見です!

ただ、ここでいう今帰仁阿応理屋恵
第二看守(下記参照)一族からの出です。

 

 

◆北山看守

北山王を滅ぼしたあとの、今帰仁地域の監視役。

北山看守には第一尚氏期の第一看守と
第二尚氏期の第二看守があります(メインはここ)。

第二看守は尚真の三男(尚韶威)を初代に代々続き、
その一族の墓も残っています(→ )。

第一看守は尚巴志の次男(尚忠)が初代であることはわかっていますが
(尚忠の前に護佐丸というのは伝承、かつ暫定的なものだったかと)、
尚忠が王位についた後、誰に継がれたのかは
はっきりは分かっていないそうです。


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南西諸島最大の交易拠点、城久遺跡群

2019年12月04日 | ・琉球史散策/グスク時代

開催中のグスク展に合わせて
まだ記事にしていないグスク訪問記事も
アップできればと思って…います。

 

というわけで、
今回は喜界島の城久遺跡群。

城久と書いて「ぐすく」と読みます。

 

「ぐすく」だけど、
城久遺跡群は「城跡」ではなく、
「集落跡」になります。

 

県博の館長、田名先生によると
琉球の「グスク」の語源には諸説あるけれど、
この喜界島の「城久」との関連もあるのでは?
と。

 

というのも、この城久遺跡群は
琉球のグスク時代よりも前の時代にさかのぼります。

発掘調査結果によるとⅢ期に分けられ、

Ⅰ期 9~11世紀ごろ
Ⅱ期 11後半~12世紀ごろ
Ⅲ期 13~15世紀ごろ

最盛期がⅡ期。

(なお、琉球のグスク時代は12世紀ごろ~と言われています)

 

城久遺跡群がすごいのは、

* 南西諸島とは類を見ない大規模集落の跡であること。
* 遺物の出土量が突出している
* 製鉄遺構・遺物がでている

 

よって、

*かなり力を持った有力者がいたこと、

(南九州や大宰府との関係も?)
*大いに繁栄していたこと、
*琉球列島、九州島、中国大陸、朝鮮半島におよぶ
 南西諸島一の交易拠点であろうこと、

が考えられています。

 


城久遺跡群の交易ネットワークは
琉球へヒト、モノ、情報、文化をもらたしたことでしょう。

琉球が農耕を開始し、グスク時代になっていく過程には
この城久遺跡群の存在・影響が大いにあったと考えられます。

 

 

城久遺跡群のうち、
「山田半田遺跡」を訪れました。
(360度動画→

最盛期であるⅡ期の、中心的な建物があったであろう場所で、
屋敷跡が杭打ちで印されています。

 

大いに繁栄した、最先端の大規模集落。

今は見渡す限りの畑で
なかなかイメージしがたいですが、
VRなんかで再現してほしい場所です。

 

 

実際に喜界島に行ってみて、
実感したのが、
「地形」です。

面積は大きいけれど
やんばるのように山が多い奄美大島とは違い、
喜界島は小さいけれど、
島の中央は台地になっていて、
台地の上は平らな地形。

 

地形が天然の要塞になっているし、
見通しもいい。
台地を上ってしまえば平地で農耕しやすい。

奄美ではなくここに集落が発達し、
交易の拠点にしたのも納得、でした。

 

 

 

ちなみに、ここ城久遺跡群の山田半田遺跡。
同じ日の夜に再訪しました。

星がきれいに見えるかな、と…。

予想通り、
あたり一面、ま…っくらだったのですが、
天気が微妙だったので、
「満天の星空!!!」は残念ながら満喫できず…(´;ω;`)

あと、ちょっと寒かったという思い出…(笑)

 

 

参:
「城久遺跡ー発掘調査開始15周年記念資料集―」
(喜界町埋蔵文化センター/2017.4)


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『琉宮城の姫君』でたどる宜野湾・総喜呂原

2019年12月01日 | ・和心な本、琉球な本

先日、松本清張賞受賞者で
沖縄の歴史を取り入れた小説を書かれている
滝沢志郎さんと川越宗一さんを迎えての
トークショーがありました。

川越さんの『天地に燦たり』は
過去にレビュー記事も書いているのですが
滝沢さんのはまだだったので、
今日はこちらについて。

といっても、
松本清張賞受賞作で鹿鳴館を舞台にしている『明治乙女物語』ではなく、
滝沢さんの最新作で近代沖縄を舞台にした小説
『琉宮城の姫君』のほうを。

 

 

 

雑誌「小説すばる」10月号に掲載された読み切り中編小説です。
(今はもう店頭にはもうないので、気になった方は図書館で☆)

 

主人公は、
沖縄に図画教師として赴任してきた吉永光太郎。
教え子の高良倫子の家に伝わる”宝”さがしを、
同僚の女教師・渡名喜千代と供に手伝うことになり…

という物語。

 

物語の舞台は大正時代の沖縄ですが
”宝”のルーツは王国時代にさかのぼり、

大正時代の風景と、
王国時代の歴史的背景とがミックスされた
ちょっと新鮮な世界観。

 

小説や漫画や舞台など、
創作物を通して歴史にふれると
その時代や人をより身近に感じることができるため、

まだまだ層が薄い「近代沖縄」(王国解体後から沖縄戦までの時代)を舞台にした
創作物がでないかな~と願っていたので、

『琉宮城の姫君』は
まさにドンピシャ!待ってました!!の作品でした。

(トークショーでも滝沢さんがふれていた、
琉球沖縄の歴史は、王国時代からいきなり沖縄戦に飛んでいる、という話、納得)


物語に描かれた大正時代の沖縄の風景や人々の営み、
”宝”にまつわる王国時代の話や、
まさに”宝”のことなど、
取り上げたい部分は色々あるのですが、

 

今回私が気になったのは、

 

”宝”さがしの舞台となった


「宜野湾・総喜呂原」について。

 

これって、今のどこだろう??

もしかして、基地内??

 

と思い立ちまして…

 

 

久々に宜野湾市立博物館にGO!

 

 

もともと見る予定だった企画展を見て、
一昨年リニューアルされた常設展を見学していると…

 

 

…はっ!!!!

 

 

「う そけろ原」の印部石の写真がある!!

※撮影許可はもらいましたが、展示物そのものなので大きく掲載するのは控えます。
しっかり見たい方はぜひ宜野湾市立博物館へ★

 

え、これって創作じゃなくて、マジであったんだ!!

 

う~~~ん
こういうのに出会った時って
シビレますよね~~~

 

 

総喜呂原については
学芸員さんに尋ねてみると、
現在の「赤道」エリアだということが判明。

 

今は住宅街だけど…
印部石、あるのか!?

 

そうこうしながら、
得たキーワードを元にググったりしてると…

 

普天間飛行場から印部石 宜野湾市教委
(沖縄タイムス2014.9)


…!!!

 

やっぱり基地内だ!!



宜野湾市立博物館でいただいた文化財マップで
赤道シキロー」の場所を確認し、

 

 

行ってきたの図。

 

フェンスの向こうが普天間基地。

地形図をみると写真右手側のほうが低くになっているよう。

 

なるほど、ここが……。

 

主人公らが普天満宮から宜野湾並松街道を通って
ここ「赤道シキロー」までやってきた、
その道のりに思いを馳せる…。

 

妄想トリップが得意な福耳さん(琉球歴女の会幹部)とは違って
光太郎たちの声は聞こえなかったけど…(笑)

 

 

…となると、

そこから南西200メートルほど離れた場所…

 

 

写真でいうと太陽の下の丘あたりか?
(写真、逆光ですみません

 

文化財マップでは
「赤道渡呂寒原屋取古集落」
となっていました。

 

 

というわけで、

小説を通して、新たな史跡を知ることができ、
総喜呂原(赤道)も私にとって特別な場所となりました。

こういう体験がもっとしたい。

 

トークショーでの滝沢さん談によると
今後も「小説すばる」で近代沖縄の話を書いていくようなので、
とっても楽しみです

 

 

ところで、
今回お世話になった宜野湾市立博物館では
現在、企画展『変わりゆく街並み~西普天間の移り変わり~』を開催中!

 

 

普天満宮の裏側、
普天間基地内の「西普天間」エリアの発掘成果について。

 

基地内の文化財とか、基地で消えた集落とか、
そういうのに興味があります。

去年RBC SF・ファンタジー大賞を受賞した
「タクシーの花子さん」の大工廻(だくじゃく)もそうだし…。

 

土日限定で、
「フトゥキャアブ」や「イシジャー」のVRも体験できます。

 

常設展もおすすめ。

「う そけろ原」の印部石写真だけでなく、
宜野湾並松街道の様子(写真、地図、模型)など、
『琉宮城の姫君』の一端に触れることができますよ。

 

入場無料です♪


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