がじゅまるの樹の下で。

*琉球歴女による、琉球の歴史文化を楽しむブログ*

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ラジオ小説『月下に語る』再放送

2020年04月30日 |   …… 「月下に語る」

 

久しぶりに、FMよみたんの仲宗根局長から着信。

なんだろう?と思って取ってみたら…
なんと、明日5/1~5/6の6日間、午前11:30~11:40くらいまで、
ラジオ小説『月下に語る』を再放送するとのこと!

うひゃぁ~!!

 

そういえば、初放送ってGWだったなぁ。

あれは確か……2011年だったから……

 

……9年前…!!?

 

まじか!!( ̄□ ̄|||)

 

 

『月下に語る』は2010年に
シルフさんとワタシの合作で作った
琉球短編小説。


読谷村にある阿麻和利の墓を発端に創作した、
1458年の勝連落城から始まる物語です。

主人公は阿麻和利&大城賢雄!

 

 

この物語を、
FMよみたんと現代版組踊でおなじみの
タオファクトリーがコラボして作ったのが
ラジオ小説『月下に語る』。

演ずるはこれまた
現代版組踊Teamシンカヌチャー(主に当時の鬼鷲メンバー)の面々。

当時中高生~ハタチ前後の、
現代版組踊の各舞台で主役をはじめ様々な役を演じてきた
気鋭の人たちです。

10年前に現代版組踊を見てた人には
おなじみって言っていいメンバーですよね。

 

 

 

なーつーかーしーいー

 

今では立派なインストラクターや
パフォーマーになっていたり
本土で頑張っている人たちも!

みんな元気かな!?

ちなみに、月下に語る』は舞台上の朗読劇
“onステージ版”もあるのですが
それとはまた少しキャストが違います。

 

テーマソングの「月照らす涙星」は
泣ける現代版組踊No1「百十~MOMOTO~」のテーマ曲になっていますが
元々はこのラジオ小説のために、
この物語のイメージでかきおろされた曲なのですよ~

 

 

明日からの再放送の告知CMも作ってくれたようで
電話越しに聞かせてもらったのですが、
赤犬子役の渡久地君が新しく喋ってくれてます♪

ありがとー!

 


初回放送の時の告知画像

 

作り手としては…

さすがに9年前の産物となると

正直こっぱずかしい面も多々あるのですが……

 

色々至らない点はあるのですが、
そこはひとつ、目をつぶって、
いや、聞き流して、
楽しんでもらえたら嬉しいです!!

 

 

FMよみたんはネットでも聞くことができます。

FMよみたんサイトのトップページから入ってくださいね。

この時間は聞けない!って方も
YouTubeで聞けるので大丈夫!

もしよかったら感想とか、反応とかあると嬉しいです!
番組メッセージフォーム
(番組名には『月下に語る』と書いてください)

 

<ラジオ小説『月下に語る』再放送>

2020年5月1日(金)~5月6日(水)/全6回
午前11:30~11:40頃(11:45?)

 

+

 

なお、原作の小説リンクも貼っておくので
もしよかったら覗いてみてください。


1458年 勝連落城
―――その時、勝連城主・阿麻和利は、そして王軍総大将・大城賢雄は…。
読谷村にある、阿麻和利のお墓の謎をモチーフにした創作琉球小説。



創作琉球小説
『月下に語る』
原案/和々  著作/シルフ+和々


予告編
http://blog.goo.ne.jp/wa_gocoro/e/94f831a9a424bfff5399df2b316aca80

はじめに
http://blog.goo.ne.jp/wa_gocoro/e/b52509b03cddaceafc3a53716293cd1f

本編1/4
http://blog.goo.ne.jp/wa_gocoro/e/554391defb384c03823deba1a707e6b5

本編2/4
http://blog.goo.ne.jp/wa_gocoro/e/4c378250df2b98739c134b4118b2c31e

本編3/4
http://blog.goo.ne.jp/wa_gocoro/e/c44da000828365bef8f6e8bb53913eb0

本編4/4
http://blog.goo.ne.jp/wa_gocoro/e/b38002202aa52ec4cedb180fac8fcaaf

まとめのページと裏話
http://blog.goo.ne.jp/wa_gocoro/e/3e63a1d7c84995f19eaaf4409dc7faf5


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魔除けの石柱

2020年04月28日 | ・琉球歴史/文化風景

 

去年の5月に撮った宮城島の集落の一角です。
「南グスク」に行ったときに撮りました)


「うるま市文化財シリーズ10 宮城島」(うるま市教育委員会)の
マップによると、これは

「魔よけの石柱」

 

ようは、石敢當的なものなのですが、
石敢當の文字はありません。

本来は石そのものに
魔よけの力があるとされてきており、
このように文字のない石敢當も
今でも時々見ることがあります。

過去記事→「沖縄のまじない、と不思議な石敢當

 

ちなみにこの写真の場所は
「T字路の突き当り」ではありませんでした。

ただ御覧の通り古い狭い道なので
開発されて今はT字路ではない、というわけではなさそう。

この地域ではT字路とかは関係なかったのかな?

 

 

さて、

GWですが、ご存じの通り今年は
新型コロナ感染拡大防止に伴う外出自粛要請中!

やんばるや周辺離島の島々も来島自粛を求めています。

県民の皆さんの中には、
自粛疲れだしドライブくらいならいいでしょ?
との考えの人もいるかもしれませんが、

知らない車が多く訪れているのを見るだけでも
地元の人は不安を覚えると思います。

地元の人を不安にさせちゃ、イカンですよ。

 

うん。

 

だから沖縄県民も、
やんばるや離島への遠征は
今は厳に慎み、
シンプルにおとなしく、ステイホームしましょうね!!

 

体を動かしたい!って人は
自宅の大掃除&模様替えをおすすめします!
体も動かせて家もきれいになって、きっと気分もすっきりー!


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キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ(15)『三つ子の魂、百まで』

2020年04月26日 | ・キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ

 

4コマ目、幼少期については
前回を参照

 

なお、ワタシのキラキラ尚巴志の猫好き設定は、
彼が1402年以降、しばらく滞在したであろう
島添大里グスクから猫の骨が出土していること
由来しています。

 

 


 

「キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ」
シリーズ初見の方はこちらもご覧下さい。


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紅型・藍型風白澤

2020年04月19日 | ・琉球史散策/グスク時代

前回、
疫病退散の神様アマビエについて紹介しました。

 

肥後の海、ということで
熊本にゆかりのあるアマビエ。

琉球にもアマビエような
疫病のお守りになった生き物って
いないのかしら、

と漠然と思っていたところ…

 

情報をいただきました!

 

調べてみると確かにこの生き物を描いた絵が
疫病のお守りとして使用されたらしいので

早速、
アマビエ同様、紅型風に描いてみました。

 

 

 

その生き物というのがこちら!

 

 

 

 

 

白澤(はくたく)です!

 

もともとは中国伝来の神獣ですが、
琉球を代表する絵師・自了が描き、
県指定有形文化財であり、
現在は首里城(美ら島財団)が保管し、
あの火災でも焼失を免れた、
「白澤之図」をベースにしました。

自了の「白澤之図」はこちらから
(1番下にいます)

 

白澤についてはこれまでも何度か記事にしていて( )、
徳の高い王の治世に現れる、縁起のいい神獣…
という認識だったのですが、

『白澤図』という
白澤から教えられた話をまとめたという中国の書物が、
災害や病への対処法(防災マニュアル)だったことから、

転じて、民間では
白澤の絵には厄除け・病除けの効果があると
信仰の対象になったようです。

 

日本でコレラが流行した時には
白澤の絵が売られ、人々はそれを身につけたのだそう。

参/「くすりの博物館」

 

白澤については例えばこちらのサイトがわかりやすいです。

https://amaterasu49.media/archives/7008

https://gakkenmu.jp/n/nc3b90e1779c4 
↑あの「ムー」の記事です

 

白澤は疫病から守ってくれる
存在でもあったのですね!

 

 

白澤はだいたい白いので
紅型風にするのはなかなか難しく…

藍型のほうがしっくりくるかも?

ということで、藍型バージョンも。

 

 

藍型バージョンその2。

 

どれがお好み?

 

こちらもスマホ壁紙用のサイズで
ツイッターにアップしています。

よろしければご利用ください♡

 

白澤 スマホ用壁紙(3種)

白澤 ぬりえ(2種)

 

※個人使用に限ります

※再配布・転載は禁止です

 

☆紅型・藍型風アマビエのスマホ壁紙・ぬりえはこちらから

 

 

ワタシのスマホは現在
藍型白澤バージョン1です♪

 

+

 

紅型・藍型風アマビエ&白澤は現在、
マスクアクセサリーとして
ブローチやワッペンなどにも展開しています。

詳しくは→  


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紅型・藍型風アマビエ

2020年04月18日 | ・琉球/沖縄、徒然日記

新型コロナウイルスが猛威を振るっている中、
疫病退散の妖怪?神様として
アマビエが流行っていますね。

ツイッターとかやっている人には
もうすっかりおなじみの存在ですが、
「なにそれ?」という人もまだまだいるようなので
っまずはアマビエの紹介を。

 

 

肥後の国(熊本)の海の中に、
夜な夜な光るアマビエが現れ、
「私の姿を写して人に見せると病気から逃れることができる」
と言って消えた、という。

朝日新聞4/12記事一部抜粋)
 
江戸時代(19世紀中頃)に出回ったという
元資料(瓦版)もこの記事からみることができます。
 


 
とは言え、私はいろんな人が描くアマビエを
もっぱら見るだけだったのですが、
とある内部企画?のため、
ワタシが描くことに。


どうせなら、沖縄っぽいアマビエにしよう
ということで、
紅型風にアレンジしてみました。
(紅型(風)イラストはこれまでもちょいちょい描いています→ 

アマビエは「光り輝く姿」らしいので
カラフルな紅型配色でもイケますね。
 

 

 

でも落ち着いた感じのもあるといいかも?
ということで、
「藍型」バージョンも作ってみました。
(藍型とは、藍の濃淡だけで表した紅型のことです)

 

ツイッターにUPしましたら
好評いただけたので、

展開として
ぬりえ用の線画(2種)と、
スマホ壁紙画像を作りました。

よければご利用ください。

 

アマビエ ぬりえ(2種)

アマビエ スマホ壁紙(2種)

 

※個人使用に限ります
※再配布、転載は禁止です。

 

こんな感じ。

スマホのロック画面などにどうぞ。

あなたのスマホに疫病護符♡

 

 

(つづく)


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宮城島の南グスク

2020年04月16日 | ・琉球歴史/文化風景

 

久々の、グスク探訪記事です。
(2019.5訪問)

 

訪れたのはうるま市海中道路を渡った先の島、
宮城島にある「南(なん)グスク」です。

なんグスクって響きですぐに浮かぶのは
名護市の名護(なん)グスクなんだけど、
こちらは南と書くほうの「なんグスク」です。

 

 

ちゃんと案内表示もありました。

 

「南」とあるように、
南グスクの由来は南山にあるようです。

 

南山から逃れてきた宮城按司は
イークン山に住んでいたが、
のちにナングスクに移った
と言われているようです。

 

 

門っぽい。

 

 

入ってすぐに、泉が。

「ナンガー」かな?

 

 

さらに登っていくと
「按司火ヌ神」がありました。

 

 

祠のそばにわずかに石垣が。

道はさらに奥へと続きます。

 

 

切り立った崖と大岩の間を行く。

 

そこからさらに上に登ると…

 

 

お墓がありました。

宮城按司と、その妻のお墓だそうです。

 

 

行く道もお墓の周りもきれいにされていていたので
きっと今でも住民の方々が大切にしているのでしょう。

 

 

ちょっとお天気が残念でかすんでいますが
木々の間からは伊計島が見えました。

 

 

宮城按司がなぜ南山を追われたのか、
いつの話なのか、

そして、宮城島の按司といえば
向かいの伊計グスクの按司と戦った
泊グスクの川端イッパーですが、

彼と宮城按司との関係なども
気になりますね。

字誌などもあるようなので
その辺を調べてみたら
南グスクや宮城按司にまつわるドラマが
もう少しわかるかもしれません。

 

以上、
グスク訪問レベルC
宮城島、南グスクでした。

 

参/「うるま市文化財シリーズ10 宮城島」(うるま市教育委員会)


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キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ(14)『英雄たちの、異常出生秘話』

2020年04月11日 | ・キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ

 

(つづく)

 

3コマ目、察度「王」が抜けてます(-_-;)

 

舜天、英祖、察度、尚巴志は
中山の各王統の始祖です。

第一尚氏は、王統でいえば思紹が始祖なんだけど
(尚巴志が父・思紹を立てたため)
実質的には尚巴志が実行者、ということで。

 

各エピソードの過去記事リンクを貼っておきますね。

 

舜天
源為朝in今帰仁
舜天が過ごしたガマ
【描いてみた】琉球史マイナー人物、を、9 ver弐【キラ男子】

 

英祖
【描いてみた】琉球史人物、を、32【キラ男子】
伊祖グスク

 

察度
キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ(10)『羽衣伝説~察度の父~』
キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ(11)『羽衣伝説~察度の母~
森の川と西森御嶽

尚巴志
捨てられた尚巴志

 

 
ところで、このネタ、
むかしUPしているのですが
オチが違います。
昔バージョンはこちら

そして、
昔のオチのほうをさらに少しアレンジして
『琉球歴女の琉球戦国キャラクター図鑑』では
掲載しています。
 
手元にある方は
見比べてみてください☆

 

 


 

「キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ」
シリーズ初見の方はこちらもご覧下さい


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首里どらと首里城再建支援缶

2020年04月08日 | ・沖縄のcafe、お食事処

首里に行って、
営業時間などのタイミングがあえば
寄ることの多い和菓子屋さん

知念製菓 和菓子 四季彩

以前も記事にしたことがあります

 

先日の赤瓦漆喰はがしボランティアの帰りに
久々に寄って、
季節の上生菓子と迷いに迷って、
購入したのがこちら、

 

首里どら&首里塩どら

 

そのものスバリ、
どら焼きです。

 

墨描きの首里城正殿のパッケージもかっこいい。

 

あんこも甘ったるくなく
とても美味でした♡

個人的には塩どらがオススメかな?

 

手ごろな値段で(1個130円だった…はず)
賞味期限も10日と長めなので
手土産とかにも良さそうです。

 

 

 

そして、

オリオンチューハイシリーズの、
WATTAリラックスシークヮーサー味。

首里城再建支援缶。

1缶ごとに3円が
首里城再建のために寄付されます。

 

味はシークヮーサー感がちゃんとあって
すっきりした甘さでこちらも美味しかったです。
(果汁1%だったけど)

WATTAは入れ替わりが激しいけど、
もしまだ市場に出回っているなら
オススメです♪

 

 

というわけで、久々の食べ物記事でした。


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キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ(13)『がんばれ護佐丸くん』

2020年04月05日 | ・キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ

 

前回の続き。

 

ラスト2コマは
猫好きな方ならわかってくれるはず。

やるよね?

やるやる。

 

もふもふ。

 

 

なお、
尚巴志の猫好きも
護佐丸の猫毛アレルギーも
キラキラ版でのフィクション設定ですので
悪しからず。

 

 


 

「キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ」
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琉球最古の獅子

2020年04月03日 | ・琉球歴史/文化風景

 

2020年シーサーの日。

 

そのまま村シーサーの記事にしようかと思ったけど、
(まだまだまだまだストックあるある)
ちょっと趣向を変えて…

 

シーサーの歴史について。

 

シーサーはご存じ、獅子文化にルーツがあります。

獅子文化はエジプトやメソポタミアあたりの
古代オリエントが発祥とされ、
そこからシルクロードを経由して、中国へ、
そして琉球に入ってきました。

 

 

琉球における最古(級)といわれている獅子造形が、

浦添ようどれの、
英祖王陵石厨子のレリーフです。

 

 

英祖王代の、
13世紀後半に造られたといわれている
浦添ようどれ。

 

その中にあるこの石厨子が
いつに造られたものか
はっきりとはわかっていません。

ようどれと同時期なら13世紀後半ということになりますが、
素材(中国産)などから15世紀頃ではないか、
ともいわれています

 

+

 

琉球最古の「村落獅子(村シーサー)」といえば
冨盛の大獅子(1689年)が有名ですが、

「獅子」枠で言えば、
浦添ようどれの石棺の獅子がそれを遡って
最古(級)ということになります。

 

なお、はっきり記録のあるものでは
1498年の円覚寺放上橋勾欄羽目の獅子があります。

 

ようどれの石棺が
それよりも前か、後か、
…ですね。

 

ともあれ、
獅子文化は13~15世紀の間には
琉球に取り入れられていた
ということになります。

(シルクロード→中国から入ってきた獅子文化ですが、
同時に、インド→東南アジア経由の獅子造形の影響も受けた可能性もあるようです。
獅子文化もチャンプルーということですね)

 


王国歴史博物館常設展/沖縄と世界のシーサー
『石獅子の起源とそのはたらき(民芸795号)』(國吉房次)
『おきなわの美術』(宮城篤正監修/東京美術)

 

 

なお、今回掲載した石棺はレプリカです。

浦添グスク&浦添ようどれの近くにある
「ようどれ館」では
浦添ようどれの西室内部が再現されており、
石棺や埋葬されていた遺骨のレプリカを
間近で見ることができます。

 


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交通安全見守りシーサー

2020年04月01日 | ・村シーサー/おきなわ石獅子マンガ

 

今日の村シーサーは
豊見城市名嘉地のシーサー。

それなりに車通りのある住宅街に
しっかりなじんでいます。

 

 

寄ってみます。

 

 

どん。

 

やはり村シーサーの造形は
個性的で迫力がある。

 

なんだか頬や口元が猿っぽいですね。

 

 

このシーサーには

25円が埋め込まれています。

 

 

もちろん、
王国時代じゃなくて、
現代の、ね。

 

 

さて、どこにあるでしょう。

 


↑クリックで拡大

 

名嘉地のシーサーの建造年は
分かっていないようですが
明治期にはすでにあったようです。

とすると、建造年は明治初期か、
それとも王国末期か…。


集落の変化や道路整備に伴って
今の場所に移動したとのことです。

ちなみに埋め込まれた十円玉は
昭和50年、54年モノでした。

 

 

交通安全見守り隊としても一役買っている
名嘉地の村シーサー君でした。


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