うざね博士のブログ

緑の仕事を営むかたわら、赤裸々、かつ言いたい放題のうざね博士の日記。ユニークなH・Pも開設。

小沢一郎さんのこと part2

2007年11月12日 06時31分38秒 | わたしの日常です。

 岩手県の出身のわたしの田舎は、かれの選挙地盤であり、昔は父君の小沢佐重喜が衆議院議員をしていた。今は県政そのものが小沢一郎が主のようなもので民主党と言うよりも、小沢党が占めていると聞く。
 しかし、県民性を考えると実業家で成功した人は少ない。特徴のある資源としては閉山になった松尾硫黄鉱山があり、宝石の琥珀の産地ではある。郷土から全国的な規模に発展していった企業に至っては小岩井乳業、東日本ハウスぐらいのものか。もともと、人口密度が低く、地理的に交通の要所というわけでもない。商品の開発・流通や資本の移動が起きるほど資本主義的な産業基盤にはない。かろうじて農林産物など第一次産業の基盤があるのみである。
 この県は日本の福岡、岐阜、滋賀、栃木、群馬県のように政争の激しい土地柄でもなく、いたっておとなしい。生存競争、権利意識につながるような一人一人の争いもない。岩手県は自然環境の厳しさ、冷害が頻発したり、度び重なるチリ地震の三陸沖津波被害を受けている。ところが、社会的に過去にも大きな犯罪、事件が発生していない。起きたとしても小さく、難事件、猟奇性、残虐性ある怪奇なケースはないのだ。

 ただ、特異な気風、気質があると言えば、ある。これは、司馬遼太郎の紀行エッセイ“街道を行く”で触れられている。南部藩のころ、ある武家、相馬大作なる人物が仕えていた上司を殺されて主意討ちを果たした、という挿話である。
 相馬大作は人品骨柄は悪くはない。仇討ちが不文律として許されていたとはいえ、実行したのは殺害事件発生後2,30年後のこと、しかも、その間彼の周辺を見渡してもそのようなそぶりがなかったという。成就したこのことに義士として周辺、身内の者たちはよろこんだ。確か、公儀のお咎めもなしだ。
 ごく普通に言えば、なんという見上げた武士の心構えになるが、やはり理解に苦しむ事件とは言えるだろう。執念深さといえるかどうか、そのこだわりのエネルギーに圧倒されてしまう。
 わたしが思うには目の前の利害とか、自他をも超越したその目的意識の持ち方にこそちょっと日本人離れを感じる。抽象性とそれを持続する心の状態。何か仏教以外の宗教的なもの、哲学的は言い過ぎかもしれないが、一見したところ頭では簡単に理解できるように見えるが、日常の暮らしの中では難解なものでありあるいは人生経験を経ないと理解できないもの。

 政治家という職業は虚業である。理想や理念を売ってなんぼの商売。元手がいらない、今すぐにでも自分で宣言すればなれるのだ。ただし、不特定多数の人々を相手にせざるを得ないから社会の構造を人一倍勉強しなければならないし、現実的に資金が要るのだ。はなから、清濁併せ呑む器量が必要だ。政治家は身を切る覚悟を持たざるを得ぬ職業だ。
 政治家には視野の広さと判断と決断力と実行力が必要、言葉遊びではない。

 小沢一郎は、そういう意味では政治家の資質を備えていることになる。今まで、政界を主導し離合集散を繰り返し、今度は自民党の福田首相と党首会談をおこない、結果的には政界に混乱を招いた。ちょっと、古い言い方になるが、官僚あがりでなく、政治家としては純度の高い生粋の党人派と見える。
 バランス感覚のみで定見を持たない福田首相に対し政治上の理念を明確にして、こだわり遂行していく姿勢は政治家だけが持ち得る職責である。前首相の安倍は組織のダイナミズムを会社員生活でしか学ばなかったし、岳父岸信介の偉大さに押しつぶされた。今回の福田首相は本来無原則であり無難に、父君を一見反面教師のようにあしらってはいるが、その政権運営をなぞっていくのだろう。今のところ、急場しのぎの政権になる。
         

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 小沢一郎さんのこと | トップ | フェイジョアの哀しみ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

わたしの日常です。」カテゴリの最新記事