うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

どうなる?

2022年05月01日 | 社会・経済


なんとなく、ニュースで繰り返し5月9日の対独戦勝記念日のことを報道しているので(ロシアが同日までに一定の戦果を国民に示そうと躍起になっていると報道)、あと一週間ぐらいで何とかなるのかしら、とつい期待してしまう。

しかし、現実問題としてはそれはない。戦闘だけでも1年、色々と落ち着くのはどのくらいかかるか見当もつかない。

単なる印象だが、ネット上の(戦争を巡る)論争みたいなのも、落ち着いてきた気がする。非戦論を叩くみたいなことが一時目立ったが、さいきんはあまり聞かない。まあ川の向こうからあれこれ言ってるのもねえ。。

ただ、戦わずに逃げよ、というのは戦争の初期においては暴論でも何でもなかったとは思う。相手が圧倒的な武力で制圧すると思っていたから。
確か三浦瑠璃さんもそう呟いていたし、正直自分もそう思っていた。

背景として、日本では先の戦争末期に、竹槍や鍬で本土決戦を行わせるような動きがあった(実際には上陸戦は沖縄までで終戦を迎えたが)事もあるのだと思う。
一億国民が桜のごとく散華してとか、死中に活路を求め、という言葉に非合理を感じるのは、何も特殊な考えの持ち主だけのことではない。
実際戦争が継続していたらどうなったかはわからないが、今自分がこうしてこの世に生を受けている可能性が減っていたことだけは確かだ。

それでは、思ったよりも互角に戦えると思ったら継戦を唱えるのか、そのスレッショルドは6:4か、7:3なのか?,9:1なら止めるのか?と問い詰められたら、正直答えに窮する。

電車の中で突然暴漢がナイフを振りかざして、目の前の女性に襲い掛かろうとしているときに、間に入って阻止するか、と言われても、簡単には答えられない。トロッコ問題に近いものがある。

実際今の国際社会も、暴走するトロッコを目前にあれこれ言っているようなものだ。ひじょうに意地悪なことを言えば、現実に国際社会はある種の功利主義を働かせて、ウクライナの人々の犠牲を容認している。



もし他国が参戦して、それに激昂したロシアが核を用いることになれば、それがいかに限定使用であるとしても世界各地に住めない土地、作物もつくれない土地が現れ、風に乗って放射性物質が世界に拡散する。その後何十年にわたり、甲状腺がんに犯された子供たちが辛い日々を過ごすことになり、そしてそれは場合によっては世間の目から隠されてしまうのかもしれない。

なので、そう考えるとこの戦争のことで何か語るのは、とても気の重いことなのだ。

ただ、平和を祈り、厳しい現実から目をそらすことはしないように努めていたい。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする