少し前の東京新聞紙上に、吉村萬壱さんという作家が「不安の産物」というタイトルでUFOや超能力などを含めたかってのオカルトブームについて文章を寄せている。文章を読んでいると結構、自分でも思い当たる節があって、興味深く読ませてもらった。たぶん私と同い年くらいかなと思ったが、案の定オカルトブ-ムだった1974年に中学2年だったというからほぼ同世代である。
呪文を唱えてUFOを呼んだり、世界の終末に備えて超能力を身につけようとしたり、プロレスごっこなどに興じる他のクラスメートを馬鹿にしている、オカルト関係の本を乱読しているクラスメートがいたりと・・・この当時の様子やこの年代の子供たちの不安定な様子がよく書かれている。
吉村さんはこのクラスメートに興味を持ち急速に惹かれたと書いてある。そしてこのクラスメートの彼の主張というのが、「まもなく人類は大災害に見舞われ滅亡する運命にあり、そうなる前にわれわれ2人は修行を積んで超能力を身につけなければならず、・・・」というような内容だったらしい。
そんな現実をはるかに超えたことを言うクラスメートに同調して、他のクラスメートに対して優越感を持ちたかったのだろうか。私もかつて読んだノストラダムスの大予言の中で1999年の人類滅亡の話を読んて愕然となったのを思い出す。同時にこんなすごいことを知って、どこか他人に対して優越感のようなものを感じた。また、1999年で世界が終わるのなら、これから何を努力しても意味がないという厭世的な気持ちになったのも思い出す。だからそのことを自分が怠けたい時の口実にしていた気がする。はっきりと吉村さんの心境を断定はできないが、私と吉村さんが共通しているなと思ったのは、こういった超常現象のような知識を得ることによって、他人に対して”優越感のようなものを得た”という気持ちと、私で言えば、現実からの逃避という心理状態が微妙に関係していたように思う。
吉村さんのご両親もお父上の浮気のせいで,ずっと険悪な雰囲気だったと書いてある。そんな現実から抜け出したいという気持ちがあったのかもしれないし、私もその頃、いやなことがたくさんあってその状況から抜け出したい、と思ったのがオカルトや超常現象などに関心を持った理由のひとつだと思う。
その1999年も何事もなく過ぎ去り、最近ではノストラダムスの予言もすっかり聞かなくなったが、私も吉村さんも、そういったこの年代特有の精神的不安定さや現実逃避があったように思う。彼の言葉で言えばそれが「不安の産物」だったのかもしれない。
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